五話 奴隷たちの異変
リエル王妃が訪ねてきてから、数日ほど経っただろうか。彼女はほぼ毎日といっていいほど、39番に対して顔を出していた。
相当に自分のことが気に入ったらしい。
まぁ、ここにいるほかの奴隷たちは、理性というものがないのだから当然のように注目は、39番に集まるというものだろう。
リエル王妃が研究所に来て一番良かったことは、研究者たちの態度が変わったこと。どこでも兵士たちの目があるうちは、下手なことはできないだろう。
といってもやはり奴隷は奴隷。暴力はましとはいったとはいえ、日常的に行われている。
「まったく、本当に女の子の顔を殴るなんてなってませんわねぇ」
「まぁ、私を対等に扱う人なんてここにはいないですね」
「それでも、貴女は生きているのですわ。“生き物は、皆平等でなければならないのです”」
彼女の言葉にどこか違和感があった。
首を傾げてリエル王妃を見つめると、首を傾げ返された。気のせいだと、39番は気にしないことにする。
「それでですね、39番さん」
39番の思考を遮るように、リエル王妃は口を開いた。
「今日は外に出てみませんか?」
「え、外に? 無理ですよ」
「無理じゃありませんわ」
「……外に出ると、私は自動的に眠らせれてしまいます」
前にも述べた通り、39番は手首と首に枷をつけられている。自動的に奴隷を無力化するものだ。脱走などはその最たるものである。
「大丈夫ですわ、今日は局長の協力を取り付けたので。すぐ近場の湖なら、ピクニックに行けます」
「局長の……?」
いくら王族の命令とはいえ、あの局長が素直に言うことを聞くとは思えない。いや、あの局長だからこそ、体裁を気にして言うことを聞くのだろうか。
考えたところで、答えは分からないだろう。
「分かりました」
申し出はありがたく受けておくことにした。
正直、窮屈な研究所の中。軽蔑の目。慣れてきたとはいえ、精神が削られていくのは変わりなかった。少しでも息抜きができるのならと、外に出歩くのはあってもない機会である。
「それじゃあ、早速行きましょう」
リエル王妃は、嬉しそうに笑顔を見せて39番の手を引いた。
リエル王妃に手を引かれて、外を歩く。自由ってわけではないが、久しぶりの外で39番の心が高鳴る。
研究所で監視されていない。囲いで囲われていない。それだけでも、幸福を感じることができるというのは、素晴らしいことではないだろうか。
それが、仮の自由だとしても。
背後には数名の兵士たちが護衛としてついてきていた。目は鋭い。王妃に何かあればただでは済まさないとでもいう感じだ。
彼らは忠誠心で動いている。当然の反応だ。
「この先を抜けると、きれいな湖があるんですのよ? 知ってましたか?」
首を横に振る。
この世界のことなど、研究所の中のことしか知らない。
39番は外に出たことないのだから。
「そうですか……」
一瞬、リエル王妃は悲しそうな顔を見せた。すぐに笑顔を見せる。
「なら、わたくしができる限り貴女を連れまわして見せますわ。いつか、その日が来ると約束しましょう」
彼女は鼻息を荒くして、そういった。
「そう来るように、願っておきますね」
「いえ、絶対その日が訪れますわ。わたくしの父に誓って約束いたします」
例えその約束が嘘でも、今の39番の支えになるには十分だった。
あぁ、この少女は本当に真っすぐだ。こんな少女こそ、国を引っ張っていくべきなのだろう。ただそれにしてはあまりにも幼くて危なっかしすぎる。
だからこそ、周りの者たちがしっかりとしなければならない。
ふと、あの男がいないことに気が付いた。
「あの、金髪の騎士はどうしたのですか?」
「金髪? あぁ、ラングニルですか。ラングニルは本国への定期報告や、食料の管理。兵士たちの教育に、わたくしの代わりに執務など色々と忙しいのですの」
「……へぇ~」
「それでも、いざといった時は助けに来てくれる頼れる団長ですのよ」
自分のことでもないのに、リエル王妃はドヤ顔で言い放った。
「信用しているんですね」
「もちろん、父の時から優秀な騎士でしたから」
嬉しそうに笑う彼女の瞳の奥には、純粋な色が浮かんでいた。本当に心の底から信頼していることが見て取れる。
信頼のおける仲間がいるというのは、実に良いことである。自分にとって信頼のおける部下というのは、いなかったなと生前の思い出がよみがえる。
そこがまた一つの間違いだったのだろう。
リエル王妃と39番一行は、少し手入れされていない道を歩いていく。小枝は散らばっているし、砂利道には雑草が生えている。しばらく誰も使われていないってことが分かった。
よくもまぁ、こんなところからきれいな湖があると分かったなと嘆息する。
「ラングニルが言ってましたの。この先にきれいな湖があるって。わたくしの疲れを見て取ってか、そこで癒してきてくださいって言ってましたわ。まったく、世話焼きにもほどがありますわよね」
「世話を焼いてくれる部下がいることは幸せなことですよ」
「どうしてそう思うのかしら?」
「人は、他人のことなどどうでも良いですから」
この言葉は、自分自身に対してだった。王妃は小首をかしげていた。
「大丈夫ですよ。こちらのことです」
39番は取り繕った笑みを浮かべた。ため息を吐きたいのを寸前のところで止める。
聞こえてくるのは、39番とリエル。そして、背後からついてくる兵士たちの足音。あとは風の音と鳥のさえずりくらいのものだった。
静寂を裂いたのは、先に偵察に行っていた兵士のものである。
「ご報告いたします!」
若い兵士は片膝をついた。頭を下げてリエル王妃に敬意を露わにする。
「湖周辺の魔物は出来る限り追い払いました。安全は確保しましたので、どうぞご安心してお過ごしください」
「ご苦労様ですわ。下がってよろしいです」
「はっ」
兵士は立ち上がって後ろに下がる。39番とすれ違いざま、視線が交わった気がした。
湖は透き通っていて、湖底まで見ることができる。不思議な水草があちらこちらに生えており、見たこともない魚が泳いでいる。
ためしに水に手を突っ込んでみる。とても冷たくて気持ちいい。水自体はさらさらとしていて、肌になじむようにして零れ落ちていく。
「思った以上に、良いところですわね」
横からの風を受けて、リエル王妃は髪の毛を抑える。
「気持ちいいですわ」
リエル王妃は背筋を伸ばした。本当に気持ちよさそうな顔を見ると、普段は気が抜けない立場にいることがわかる。
16歳で王としての責任を負うのは、どれだけの重圧がかかるのだろうか。
39番でも若くして部長という立場についていた。一会社の責任のある立場。比べ物にならないだろうけど、心労は少しくらいなら理解できる。
王妃は童心に帰ったように楽しそうに走り出した。ローブを脱ぎ、スカートが短めのワンピース姿が露わになった。靴を脱いで靴下を脱いで、そのまま湖に足を突っ込む。
「つめたーい! ほら、39番さん、ボーっとしてないでこちらにいらっしゃいな」
リエル王妃は39番に対して手を伸ばした。39番は手を取った。
「隙ありですわ!」
直後、手を思いっきり引っ張られる。急なことだったので、ちょっとした力で体勢を崩してしまった。
そのまま頭から突っ込むようにして、湖に飛び込む。大きな水しぶきが、立ち上った。
冷たかった。目が覚めるような感覚が、全身を包み込む。
顔をあげる。面白そうに笑みを称えたリエル王妃が目に入った。
「もう、何するんですか」
「ふふふ、ボーっとしてるのが悪いんですのよ」
頭を振って、体を振る。無意識に動物みたいに水気を取る。最後に尻尾を振って、ついた水分を取る。
我に返って、顔を真っ赤にした。自分が獣人族としての本能が、体に染みついていることに気が付いた。元々人間だった39番からは恥ずかしかった。
「可愛い、子狐ちゃん。顔を真っ赤にして、どうしたの?」
さらに煽るようにしてリエル王妃が口を開く。
「……」
「あらあら、顔を俯かせちゃって。可愛いですわね」
「……」
「え? 本当にどうしたの? わたくし、やりすぎちゃいました?」
「……」
心配して近寄ってくる。俯いている39番の顔を覗き込もうとする。直後、39番はニヤリと笑った。
「隙あり!」
彼女を力強く推した。思わぬことで体勢を崩した王女は、水の中に転倒した。大きな水しぶきがあがる。
水しぶきがなくなると、びしょ濡れになって尻もちついた王女がそこにいた。
一国の主にこんなことするのはどうかと思うが、先に仕掛けたのはリエル王妃のほうだ。それならば遠慮しない。
「もう、何しますのよ~」
彼女は立ち上がり、スカートの端をしぼって水気を取っていた。
びしょ濡れになった彼女のワンピースは体に張りついていた。目立つのは豊満な胸である。この世界にもブラジャーという概念はあるらしい、透けて見えるのは白い下着であった。パンツのほうは、ぎりぎり見えない。
少女のあられもない姿が見れたわけだが、39番はギリギリ顔に出さず堪える。
まだ二週間も経ってないわけだが、自分だって少女の身体になっているわけだ。それなりに見慣れている……はずである。
そういえば、自分ってかなりきわどい恰好しているよなぁって、今更ながらに思う。
「お返しですわよ!」
少し思いに耽っていた39番の顔に向かって、水しぶきが飛ばされる。思いがけないことに、体をのけぞらせてしまった。
「やりましたね!」
「油断は大敵ですわよ!」
二人はしばらく水しぶきをかけあって遊びあった。
39番は、奴隷だということを忘れて。
リエル王妃は、一国の主だということを忘れて。
今の二人の間に、身分の差はなかった。ただ友達して、水を遊びあった。
39番が異変に気が付いたのは、それからほどなくしてだった。
「どうしましたの?」
髪の水気を取りながら、リエル王妃が首を傾げる。
39番は耳を動かして、辺りを探っていた。やけに静かである。その理由は、すぐにわかった。
「兵士たちがいない……」
「……え?」
「見張っているはずの兵士たちはどこに行きました?」
「どこって……」
二人の動向を監視するかのように、兵士たちは十人ほど立っていた。一国の主を放ったらかしにしてどこかに行くなど考えにくい。奴隷と二人きりにするなんてもってのほかである。
何かあったと考えるしかない。
「リエル王妃。ここを勧めた人間はラングニルさんであっていますよね?」
「どうしてそんなことを?」
「重要なことなんです!」
「え、えっとラングニルが、近くに良い場所があるって言って……」
ラングニル。あの、ラングニルが? いやいや、まさか。
そんな否定を吹き飛ばすように、大きな衝撃が起きた。身体の体勢を崩しそうになるほどの衝撃である。数秒後、数人の兵士たちが飛んでくる。
兵士たちの鎧は何か攻撃を受けたかのように、壊れかけていた。顔は血まみれで、虫の息である。
「お前たち! どうしたと言うんですの!?」
慌てたリエル王妃が駆け寄っていく。兵士の一人の頭を王妃は起こした。
「お……お逃げください」
「な、何が?」
「王妃……あ、あなたははめられたのです」
それだけ言うと、兵士の身体は動かなくなった。
泣くリエル王妃に、39番は近寄った。彼女の隣に膝をついて、兵士の状態を確かめる。
息はあった。まだ死んではいない。今すぐにでも治療を受けさえすれば、助かる見込みは十分あるに違いない。
ただ素人である39番は治療どころか応急治療することさえできない。
いや、今の状況応急処置などしている暇などない。
「リエル王妃、下がってください」
「……あぁ」
呆然とする彼女の手を取って、無理やり立たせる。そのままゆっくりと後ろに下がる。
目線の先には、四人。否、四匹の影が現れた。
正体は奴隷たちだった。首輪も手かせも外されている。
赤い瞳は皆、血走っている。牙をむき出しにしている。涎を垂らしている。理性がないように、小さく唸っている。
オスは体が大きくなっていた。毛を逆立たせて、筋肉が盛り上がっている。あのときの黒狐と同じ状況だ。
メスたちは皆一様にこちらを睨んでいた。手と口元には血がついている。
彼らがただの状態でないことは火を見るよりも明らかであった。
研究所の人間に何かをされた。それだけは分かる。
王妃を襲う。ただそれだけのために、異世界人の魂はさらにひどく壊されていた。
「あいつら……」
王妃をかばいながら、39番は小さく唸る。
「あいつら、どれだけ私たちを愚弄すれば気が済むんだ!」