四話 リエル・フランシスの理想
彼女の名前はリエル・フランシスという。16歳にして、この国の王妃をしているのだとか。
二年前、父親は急病で倒れてしまったらしい。いまだに原因は不明。ごく一部の家臣たちはこう告げていた。
王は、“悪魔”に憑りつかれたようであったと。
「で、わたくしが継いだわけですわ」
「……へぇ~」
「大変でしたわよ。毎日毎日執務ばかり。たまには羽を伸ばしたいってわけですわ」
「…………へぇ~」
「どうしたんですの39番さん。もしかして、楽しくありません?」
「……」
現在、39番はリエル王妃と研究所の庭園を貸し切ってお茶会のようなものをしていた。
庭園は研究者たちの休憩所として作られた場所だ。様々な地域の植物を、温度管理や土壌管理などで保護している。鳥も放たれており、きれいなさえずりも聞こえてくる。
まさしく心をいやすための場所である。
そんな場所はもちろん、奴隷である39番が立ち入って良い場所ではない。王族の権限で、連れてこられたという感じである。
入り口付近には、フランシス王国の兵士たちが立っている。厳しい目でこちらを見ているのは勘違いではない。奴隷が王妃と一緒にいることなど、彼らにとっては耐えられないことに違いない。
自分なら近づけたくないなと、ため息を吐く。
奴隷にも分け隔てなく接してくる王族というのは、非常に珍しいものではないのではないか。
これはもしかしなくても、39番にとっては絶好の機会であった。自分が膝の上に乗せられていなければの話なのだが。
庭園の中央。少し開けた場所。手入れされた芝生の上に、机や椅子が設置されていた。テーブルクロスは、高級なシルク素材だろう。触れば、すべすべしていて心地が良い。
軽いお茶会のようなものだろうか。さすが王族、優雅だなとリエルの膝の上でどこか他人事のように考えていた。
肝心のリエルは、39番の尻尾を心地よさそうに触っていた。
尻尾を触られるのは正直、好きではない。人間のころになかった感覚が気持ち悪さとむずがゆさとなって背筋を這う。
しかし、相手は王妃だ。断ることもできずに、大人しくされるがままになるしかない。
「はぁぁあ。本当にかわいいですわねぇ。よしよし、いい子いい子ですのよぉ」
彼女は39番のことを愛玩動物のように扱う。頭をなでる手が優しく、何故か心地いい。自然と体が緩んでいってしまう。
人間に心を許してしまうペットってこういう感じなのだろうか。弛緩した頭で、考えていた。
「なんでこんな娘を、施設に閉じ込めてるんですの。本当にここの人たちはなってないですわね」
「それは……」
自分が異世界で死んだ魂だから。口を開こうとしたが、首輪のランプが明滅した。
どうやら自分の境遇を話すことを禁止されているらしい。
壊れた魂ばかりの奴隷ばかりだから、自分たちのことを話される危険性は少ない。しかし、もしかしたらを考えて、こういう時にばれないように仕組んだシステムだろう。
中々どうして、徹底しているという感じだ。
企業の機密保持としては、会社に勤めていた39番からしては好感を持てる。ただ、それが人徳がないことを除けばの話なのだが。
「今すぐにでも、引き取ってあげたいですわ」
そう言って、リエルはギューッと抱きついてきた。柔らかな感触が伝わってくる。
「……といっても、わたくし一人の判断でどうこうできる問題ではないのですけど」
そして残念そうにため息を吐いた。
リエル・フランシスが冷静さを取り戻すのには、それから二十分ほどかかった。
散々もてあそばれた39番の身体は、どこか火照っている。
現在、やっと落ち着いて対面に座ってお茶会を楽しんでいる。久しぶりに飲んだお茶は、のどの渇きを簡単に潤してくれた。
高級品の茶葉を使っているのだろう、とてもおいしい。ただ、飲んだことのない味と、嗅いだことのない香りは、自分が異世界から来た人間だからだろうか。
「こちらもどうですか? わたくし自慢の一品ですのよ」
そうい言って彼女は指を鳴らした。
何もなかった机の上に、クッキーをたくさん乗せた皿が出現した。
魔法というものだろうか。異世界だから魔法があるというのは分かっていたが、目の前で披露されると、日本人の39番からしたら驚くことしかできない。
呆気に取られている39番がおかしかったのか、リエルはクスリと笑った。
「簡単な収納魔法ですわよ? そんなに珍しいかしら?」
「あ……えと、私ここから外に出たことないから」
「……そうですか」
瞬間、彼女の表情はどこか悲しそうなものになった。
39番はやばいと思い、慌てて取り繕う。
「だ、大丈夫ですよ。ここの生活は正直きついものですが、それでも私は生きると決めたので」
「……39番さん。わたくしが王族だからといって、遠慮してます?」
「いや、そんな……」
「隠さなくても大丈夫ですわよ。それなりにここのことは知っていますし、貴女がどんな扱いを受けているかも知っているつもりです」
一口、彼女はお茶を飲んだ。
「わたくしは貴女たちを救うために、ここに来ました。今すぐには無理でも、いずれ解放できるように」
「……」
「貴女だから言います。正直、この国の闇は深く濃いのです。フランシス王国は、法律で奴隷制を撤廃するように定めています。しかし、その奴隷はあとは絶たない」
どころか、首都である街でさえ奴隷が増え続けるありさまである。
そんな現状を変えたくて、彼女は研究所を視察に来た。
「ここは比較的新しくできた場所ですの。わたくしの元では、異世界研究所という名目で建てられたってことになっていましたわね」
異世界の技術を見て、応用し、新たな技術を生み出す研究所。
そんなものは、どこからどう見ても嘘である。
「来てみれば案の定、獣人族たちが、疲れ果てるまでこき使われ。人間たちの死体は転がっていた。これが、健全な研究所でなければ、何と申しますの?」
リエルの拳は震えていた。
彼女は知っている、自分の王妃としての矮小さを。
彼女は知っている、自分の王妃としての力不足を。
だから、だからこそ……。
39番は、そっとほほ笑んだ。俯いていたため王妃には見えなかっただろう。
彼女なら信頼できるかもしれない。彼女なら変えてくれるかもしれない。
リエルの瞳を見ればわかる。真剣にこの国と向き合っている。
会社を想う人間はみんなこんな瞳をしていた。自分が変えるのだと。少し青臭いかもしれないが、39番はそんな人間は嫌いではない。
「分かりました」
39番はクッキーを一つとった。小さく一口かじる。
おいしかった。どの高級菓子よりも、おいしい。口の中に広がる甘みは、スッと溶けていく。
「私は王妃さまの考えに賛成します」
彼女の顔が明るくなった。非常にわかりやすい少女だ。そこも大変好感が持てるポイントである。
「本当ですの? ありがとうございます!」
「といっても、見てわかる通り私はこれです」
首に付けられた枷を軽く引っ張って見せる。
「私にできることなんて、限られていますし力になれるかどうかわかりません」
「それで、良いんですの。別に力にならなくても良い、ただ知っておいてほしいんですの。そして、いざとなった時に立ち上がってほしい。それだけですの」
「……とういうと?」
「もしですよ? もし、この国を立て直すってときに一人でも一匹でも多くの国民が奴隷が立ち上がればどうなります? この国の現状を覆すほどの大きな力を手にすることはできないでしょうか?」
それは理想論だ。
そう一蹴する人は、多いだろう。だけどそれがどうした。
夢など、力など、理想がなくしては動けない。何もしないより、理想を掲げて動いたほうが百倍ましである。
自分も昔は理想に生きようと必死であった。その結果が最終的には刺されるという悪い方向に転がったわけであるが、それでも理想に向かって動かなければ一瞬でも成功を手にすることはできなかっただろう。
自由を手にするにしても、何かを目標にして生きなければならないのだ。
「分かりました。……リエル・フランシス王妃、その名を覚えておきます」
「えぇ、よろしくお願いいたします」
◇
クソが、研究を邪魔しやがって。
局長は自分の執務机の上に置いてあった資料をばらまいた。もちろん、それだけでイラつきが抑えられるわけがない。
せっかく立ち上げた研究所。せっかく打ち出した研究成果。すべてを無駄にしてたまるものか。
39番は今までで最高傑作だ。異世界の人間の魂を壊さずに引っ張り出してこれた初めての検体だ。それをそうやすやすと手放すわけにはいかない。
しかし、あの王妃はどういうわけか、彼女に目を付けた。まるで分かっているかのように。
39番の扱い次第で国が……いや、世界が取れるはずだった。このままではその野望は邪魔をされる。
「俺の成果を他の誰にも奪われてたまるか! 国にも! “あいつら”にも!」
「その話、少し伺いましょうか?」
背後から声をかけられて、肩を跳ね上がらせた。局長は慌てて振り返った。
そこには金髪の青年が立っていた。白銀の鎧には、フランシス王国の紋章が付けられている。
「これはこれは、ラングニル殿何をしに来られましのかな?」
繕った笑みを浮かべる。しかし、呼吸は荒いし、髪は乱れている。部屋が荒れているのを見れば、それが偽の笑顔など考えなくてもわかる。
「いやいや、突然の王族の訪問。そして、外での奴隷管理の失態。人員の死亡。すべて積み重なって、追い詰められてるのではと思いましてね?」
「何が言いたい?」
「僕が手伝ってあげようと思いましてね……貴方を」
局長は少しあっけにとられる。瞳の色が、みるみるうちに警戒を抱いたものへと変わっていった。
王妃の近衛兵、それも団長のラングニル。そいつが自分を協力するだと? それが、どういうことを意味するのか分かっているのか?
「えぇ、分かっていますとも」
心の内を読んだラングニルは応える。
「僕もほとほと呆れていましてね。あの、世間知らずのお姫様には。だから、ここで事故として死んでいただければ、僕としても幸いなんですよ」
「……は、とても王族に仕えている騎士とは思えないセリフだな」
「僕が忠誠を尽くすのは、“前王”だけです」
ラングニルの言葉は重く、鋭かった。瞳の色はどこかどす黒い。
あぁ、この男は一緒だ。自分と同じ、こっち側の人間である。
局長は笑みを称えた。
「望みは何だ?」
「ここでの研究成果の一部。“禁忌魔法”」
「……っ! どこでそれを!」
「僕の情報網は世界各国にわたっています。その中でも貴方は、“禁忌魔法”を“あのかた”に託された。違いますか?」
沈黙は答えだった。
ラングニルは人付きの良い笑みを浮かべて、床に散らばった資料を集め始める。
「その代わりと言ってはですが、もっと奴隷の有効活用方法をお教えしましょう」
「有効活用だと?」
「えぇ、彼らの魂。異世界の魂は、この世界のマナを吸収して強くなる」
マナとはこの世界で使う魔力の源。ちなみに、魔族が存在しているのも、このマナが関係していると言われている。
強力なマナがあるものは、強力な魔法を使うことができる。
強力なマナがあるところは、強力な魔物が出現する。
それが世界の常識だ。
しかし世界の常識が通用しないものたちがいる。39番をはじめとする異世界人の魂をもつものたちである。
個体差はあるが、この世界の住人たちよりもマナの吸収力がよく、強くなる。
ある科学者はこの現象をこう呼んだ。“悪魔の加護”だと。
「なるほど面白い」
せっかく作った奴隷たちを捨ててしまうのは勿体ない気がするが、自分の窮地を脱出するのにつべこべ言っていられない。自分の身を守れるならその誘いは乗ってやろうではないか。
「ラングニルといったな」
「はい」
「お前を信じてやる」
「光栄です」
ラングニルは深々と頭を下げて、拾った書類を局長へと渡した。