二話 黒狐の暴走
アーヴァに通された部屋は、何かの機械がごった返しになっていた。床はコードで埋め尽くされ、ドラマで見たようなものやら見たことないものやらまである。
部屋の壁全体は白で統一されている。少しでも清潔感を出すためだろうか。
中央には椅子があった。奇妙なコードが這いまわってること以外は普通の革の椅子だ。
「私は隣の部屋に行く。お前はここで待っとけ」
「はい……」
待っとけといわれても、何をすれば良いかわからない。とりあえず当たりを見回してみた。
全体が壁だと思ったら、一面だけ鏡張りだ。恐らくだが、マジックミラーになっているのだろう。予想では、この鏡の奥の部屋にアーヴァが回ったと見受けられる。
鏡に映ったことで初めて自分の姿を確認できた。
背丈は小学生ほどしかない。髪は白色でボブカット、瞳は赤色だ。輪郭は幼さを隠せていない。印象で言うと、可愛い部類に入るだろうか。目は丸っこく人懐っこそうだった。
特徴的なのは耳。よくある狐っ娘よりも若干長いほうだろうか。白色のそれは、意識を集中させると自分の意思で動かせることができる。
背後にある白色の一本の尻尾も、意識を集中させると動かせることができる。
種族は獣人族。呼び名は白狐とでもなるのだろうか。
『何をこちらを見つめてボーっとしている。早く椅子に腰を掛けろ』
どこからともなく聞こえてくるアーヴァの声。従わなかったらどうなるかわからないので、39番は言われるがままに椅子に座った。
椅子に巻きついていたコードが身体に纏わりついてくる。顔は何かに埋められて、前を見ることはできない。身体の動きは、拘束されて身動きが取れなくなった。
不安感が心を埋める。何をされるのか、恐怖しかない。
『安心しろ、別に痛いことは何もしない』
と言われたところで、ここは自分にとっては敵地。安心などできるはずもない。
初めて営業に向かったときもこんな気持ちだったっけ。いや、あの時よりもはるかに恐怖感は強い。鼓動の大きさが耳につく。手に自然と力が入った。
『終わりだ』
39番の心配をよそに、呆気なく告げられる。
視界が戻る。拘束はすぐに解かれた。白い部屋はやけに無機質に感じた。
『そこで待て、すぐに行く』
脱走しようにも出ることは不可能だ。なら、言うことを聞いておくしかない。しばらく座っていると、アーヴァは入ってきた。手にはカルテを持っている。
「ふむ、身体能力的には一般的な獣人族よりも少し高いって言ったところだろうか」
「……あの、何か問題でも?」
「問題はないよ。まぁ、そのことが問題なんだがね」
「……?」
首を傾げる。彼女が何を言っているのか分からない。
39番の様子を見てか、彼女はふむと言った。
「ここの奴隷たちを見て、お前はどう思う?」
「どう思う……ですか?」
考えて、答えを頭の中で出す。
39番以外の奴隷たちはどれも自分の意思を感じられない。命令されたから動いている、という感じだけがする。たまに暴れるものもいる。しかし、それは自分の本能に従っているだけのようにしか見えない。
とても意思や理性のある者には見えない。まだ動物のほうが自分の好き嫌いで動く。
「ここにいる奴隷たちの魂は壊れてるんだよ」
簡潔に、冷たい声でアーヴァは言った。
「異世界から無理やり転生させる。神の領域のことだといったな? つまり、私たちが手を出しても、完璧なものは作れない」
言うことを聞くだけの人形と化している。自分の本能を従うだけのけだものと化している。そんなものしか作れないからこそ、奴隷として使っていくことになった。
彼女は嘘偽りなく説明してくれた。
「なんで……私に?」
その奴隷に対してして良い話ではない。普通ならば機密にするべきものだ。いくら奴隷とはいえ、研究成果が漏れ出ることは、社外秘が漏れ出ることと同義なのだから。
「お前は特別なんだ。私たちの研究で初めての成功品なんだよ。それを分かっていないバカもいるがな」
何を考えてため息を吐いたかわかった。大方さっきの男を思い出したんだろう。
「そして私は、お前に生きてほしいと思っている。お前に可能性を見出している。だからこそ、ここでうまく立ち回ってほしいとも思っている」
腕を組んで、アーヴァは眉根を寄せる。
「それは、研究者としてのエゴだ」
彼女の言っている意味は分からない。ただただ言葉に耳を傾けるだけである。
目を白黒させている39番を見て、アーヴァは苦笑を浮かべていた。瞳は柔らかなものへと変わる。まるで自分の娘を見るかのようだった。
今まで侮蔑の視線しか受けてこなかった39番は素直に驚いた。
「回りくどく感じるか? すまないな、うまく説明することは苦手なんだ」
根っからの研究者気質なんでな。どこか自虐するように付け加えた。彼女の手に力がこもっているのを、39番は見逃さなかった。
何かを考えているとき。何かを思惑しているとき。何か事がうまくいかずに悔しさを感じているとき。
そんな会社でよく見た人間の仕草だった。
「それで、ここからは私の私情だ」
彼女は声を小さくする。
「これからお前は過酷な運命が待ってるだろう。それでも、人間を嫌いにならないでくれ。どうか、強く生きてくれ」
「なぜ、そんなことを……?」
「私は“モノ”だ。だけど、感情まで捨てたつもりはない。お前を“者”として扱いたいんだ」
やはり彼女の言葉は回りくどかった。理解することはできなかった。
今はそれでいいと、アーヴァは嘆息気味に言った。
さてと、アーヴァは立ち上がる。
「いつまでも話し込んでいたら疑問に思われる。そろそろ作業に加われ」
そう言って、部屋のドアにアーヴァは向かっていく。肩越しに振り返り、39番に聞こえるかどうかも怪しい声で彼女はつぶやいた。
「どうか……この世界を変えてくれ」
◇
アーヴァに連れられて、研究所保有のメブリカ園へとやってきた。すでに先に到着していた奴隷たちが、収穫の作業に入っている。
先ほど39番を襲おうとした研究者の男が、数人の部下とともに奴隷たちを叱咤している。目が合うと、いやそうに顔をしかめるので、39番は見て見ぬフリをして作業に加わる。
リンゴの見た目をしているので、メブリカの味は容易に想像できる。ここ五日間味のしないペットフードのようなものしか食べてこなかったので自然とお腹が鳴る。
食べてみたい。そんな欲が自分を支配するが、我慢をする。ここで食べてしまったら、眠らされて懲罰されるだけなのだから。
奴隷には自分の意思を出すことは許されない。そういう意味では、意思無き転生者のほうがよかったのかもしれないとぼんやりと考えた。
「今年のメブリカは、実に良い出来だなぁ」
聞いた声。あの男だ。
わざとらしく39番に近づき、わざとらしく声をかけてくる。手にはメブリカを持っていた。
目前でシャクリと一口。絶対いやがらせ目的の何物でもない。
「食べたいか、39番? 食べたいだろ?」
「……」
「我慢しなくても良いんだぞ? 食べたいなら素直に言え? 俺は優しいから分けてやるぞ?」
「……」
「おい、無視するんじゃねぇよ!」
押し倒される。地面に手をついた。
それでも、39番は何も言わなかった。立ち上がり、作業の続きを始める。
奴隷にそんな態度を取られて、当然男は面白くない。顔を怒りに歪ませて、39番の腹に向かって蹴りを入れる。
「カハッ!」
息が詰まる。お腹が痛い。
腹部を抑えて、地面に蹲った。せき込んで、よだれを垂らす。
男の部下たちは、笑っていた。面白い見世物でも見るかのように。
奴隷たちはただ作業に没頭していた。人形のように。
ここには助ける人は誰もいない。たとえアーヴァでも助けてくれないだろう。彼女には立場があるのだ。
あぁ、この光景どこかで見たことあるな。思い返してなんてことはなかった。生前の会社での出来事まんまではないではないか。違いといえばそこに義があるかないか。どっちが悪いか悪くないか。
いや、それも一緒だ。男たちは自分たちに義があると思って、嫌がらせをしているのだから。
「おら、立てよ。獣人族は、人間より体が頑丈なんだろ? そんなんだけでくたばるわけないよなぁ」
立てばまた痛い目に遭う。
そんなことは分かり切っているが、言うこと聞かなければどうせ痛い目に遭う。
どっちみち、39番に逃げ場はない。
立ち上がる。手は後ろ組だ。
あなたに従います。態度で示した服従だった。
「いいねぇいいねぇ」
男は嗜虐的な笑みを浮かべていた。
弱い動物をいじめるのを楽しんでいる子どもみたいに。絶対的の強者からの笑みである。
こいつには逆らえない。自分の身体に刻み込まれるようだ。
「蹴っ飛ばしても痣一つない滑らかな腹部。女の子特有のきめ細かい腹部。知ってるか? 作り物のお前らでも、子どもを宿すことはできるんだぜ?」
「……」
「ははは! 安心しろ、穢すことはもうしねぇよ! ただ……」
また腹部に拳が刺さる。骨がきしむ様な音が聞こえた。体全身に痺れるような感覚が響き渡る。
いつまでも慣れない痛みだ。痛みを追い出すように、喘いだ。
涙目になって顔をあげる。
「その目! その顔! そそるそそる!」
弱い者いじめ。
頭の中に掘り起こされるのは小学生の記憶。そういえば自分は、立場を守るためにいじめられていた男の子を無視したことがあったっけ?
あの子もこんな気持ちだったのだろうか。それなら、助ければよかったなと、今更ながらの後悔の念が渦巻いていく。
手に力が入る。地面に自分の指の跡が残る。
「ほら立て!」
立てと言いながら顔を蹴られる。女の子の顔を蹴るなんて、男としてあるまじき行為だ。
そんなものは関係ないんだろうなと、転がりながら思った。
青い空が目に入る。鳥がのんきそうに飛んでいた。
あぁ、自由ってあんなことを言うのかな?
生前ですら、忙しくて自由を獲得したことがあったっけ?
体裁を整えるための人生だった。
良く思われたくてイケメンに見えるようにした。
良い暮らしをしたくてお金を稼いだ。
見栄を張るために可愛い彼女を作った。
「おら、立てよ。おら!」
首に付けられた枷を引っ張られて、無理やり体を起こされた。39番の手や足は力が入っていない。
「ふふ」
自然と笑みが漏れた。男が訝しげに眉を顰める。
「ふふふ……くだらない」
「何?」
「私もお前もくだらない……。ただ使われるだけの者、物、“モノ”」
「あ? バカにしてるのか?」
「いや? 憐れんでいるの」
「バカにしてるだろうが! 奴隷のくせに!」
振り上げられる手。
殴るのか?
殴っても意味ないぞ?
私はもう、殴られたところで――
「おい、やべぇ! 逃げろ!」
男の部下の声が響き渡った。何事かと、39番を殴ろうとしていた男は後ろを振り返る。
そこには立っていた。巨大な黒い狐が。毛深い体毛に覆われててもわかる、筋肉組織が異常なほどに盛り上がっている。
瞳は赤く染まっていた。血走っていた。口は牙を丸出しにして、よだれを垂らしている。
威嚇するように低く唸っている。
腹部にはごく一部分毛がないところがあった。そこには“36番”と書かれていた。
奴隷の一人だ。しかし、こんなに凶暴に変化した奴隷など見たことはなかった。
「おい、なんで鎮圧剤を与えてないんだ!」
男は39番を投げ飛ばし、部下に命令を下した。
「与えてます! しかし、効いてないんです!」
「そんな馬鹿な! 龍人族にも効く強力な奴だぞ!」
「分かってます! ですが……っ! 逃げてください!!」
36番の黒狐は、大きく吠えた。まるで狼のように。毛を逆立てて、完全に臨戦態勢を取っている。
男は委縮してしまって後ずさった。しかし、すぐに思い直して一歩前へ出る。
「俺に手を出してみろ! 研究所のやつらが、黙ってないぞ!」
強気な姿勢を崩さないのは、評価に値する。
しかし、その選択は間違いだった。
「ほら、どうし――」
男の声が止まった。黒狐の腕が振り下ろされたのだ。
周囲に埃がまき散らされる。すごい威力だ。
砂埃が晴れたあと、四肢がなくなった男の死体が出てきた。もう悪態も苛めも嫌味も暴力もすることはない。ただの死体だ。
黒狐がゆっくりと振り返る。次の標的はお前らだというように、部下たちに向かって吠える。
「ひ、ひぃ! う、撃て! 撃て!」
部下たちは拳銃のようなものを取り出す。しかし、それは奴隷を殺さずに鎮圧するためだけの薬。今の黒狐に打ったところで無意味なことだった。
惨劇は、十秒も立たずに終わった。人間たちは、死体になって転がっていた。
黒狐は、まだ興奮が冷めないようだ。小さく唸り声をあげていた。
「嘘だろ……」
39番は後ずさる。黒狐に睨まれたからだ。
次の標的は自分だ。本能が警告している。これは、やばいと。
彼は手を大きく振り上げた。
「嘘だろ!?」
地響きが鳴る。砂煙が高く舞い上がる。
こんな一撃を食らったら、ひとたまりもない。普通の人間なら、避ける隙もない。
39番は後ろに跳躍していた。ギリギリのところで避けていた。攻撃の余波が身体を打ち付けたが、そこは獣人族だ。煽られて飛ばされることはなかった。
助かった。胸をなでおろしながら地面に足をつけた。
「グォオオオオオオオオオオ!」
黒狐は叫んだ。空に向かって。手を地面に付けて、毛を逆立てる。
くる……っ!
39番が構える暇もなく、突っ込んでくる。本能に従った一撃だ。
攻撃は一直線である、避けるのは容易い。しかし避けるだけじゃいずれ殺される。なら、やるしかない。
避け際に、黒狐の肩に爪を立てた。肉を切り裂くように腕を振る。
39番の爪は、彼に深く刺さった。赤い血が数滴ほど飛び散る。
「ぐ、グオオオオオオオ!」
痛みを耐えるように黒狐は吠える。そのまま、背後を取るように立っていた39番に、ゆっくりと振り返る。
全然効いていない。むしろ余計に怒らせてしまったかもしれない。
――あー分かるよ怒る気持ちは。尊厳を失わされたんだろ。しかし、それは私も同じなんだ。
憐れむが、決して同情はしない。
自分の命を取るというのなら、どこまでも抵抗してやる。たとえ、力量差が歴然だとしても。
39番も牙をむき出しにする。強く黒狐を睨みつける。明らかな敵意を向けて。
相手も敵意を向けてきた。
敵意と敵意がぶつかり合う。周りの奴隷たちはいつの間にか遠くから見守っていた。
周囲のメブリカの木々が、激しく揺れている。実もいくつか飛んでいく。
――やれるとこまでやってやる。
今度は死なないために。今度は生きるために。
黒狐は地面を蹴った。
一直線に向かってくる。数メートルの距離を、一秒もせずに詰め寄った。
39番は高く跳躍して避けようとした。しかし、腕を掴まれて、地面に叩きつけられる。
口から血が出る。背中が痛い。人間だったとしたら、骨の一本や二本は折れていたに違いない。
地面に抑えつけられて、動けない。右腕と胸に体重がかかる。身体が壊れそうなほどの痛みが響く。
黒狐は、顔を近づけてくる。何か品定めしているかのように39番のにおいを嗅いでいる。
あぁ、なぜ暴走したのかやっとわかった。こいつ39番に発情しているのだ。人間たちから守ろうとして凶暴化したのだ。
本当に動物だ。転生者の魂が中に入っているとは思えない。
アーヴァの言葉を思い出していた。
『ここにいる奴隷たちの魂は壊れている』
本当にどうしようもない奴らだ、研究所の人間は。人の魂を人と思っていない。
39番は深く嘆息をついた。
「やりなよ」
それで満足するなら。
「一思いに」
お前の魂が満足するなら。
「本能のままに」
お前の魂が救われるなら。
39番と黒狐は、見つめあう。彼の瞳の色から、凶暴性が失われていく。
牙がむき出しになった口がゆっくりと開かれる。
「お……れは? な……に」
覚束ない言葉が紡がれた。しかし、そこには確かに意思を感じた。中にいる人間の意思を。
「戻ったのか? 私の言葉が分かる?」
「わか……る」
左腕をあげて、彼の頬を触る。
毛深い感触が伝わってくる。犬をなでているみたいで気持ちが良い。
黒狐は、涙を流していた。その涙は自分の境遇に対してなのか、39番にした仕打ちに対してなのかはわからなかった。
ただ、涙を流していた。
「あ、あぁ……」
言葉を小さく漏らした。彼は39番から身体を放す。
天を仰いだ。大きく吠えた。
彼の悲しみが伝播していく。
そんなときだった――
「光閃……」
小さな言葉を、39番の耳が拾った。
瞬間、黒狐の身体が粉々になった。血が周囲にまき散らされる。
呆気にとられる39番の前に一人の男が現れる。
白銀の鎧を身に着けた男だった。金色の髪と青色の瞳が特徴的だ。顔は優男と思われるほど整っていてイケメンだ。
彼の手には剣が握られている。レイピアほど細い剣だ。
彼が黒狐を粉々にしたのは容易に想像がつく。
「大丈夫かい? お嬢さん」
彼は人付きの良い笑みを浮かべて、39番に向かって手を伸ばす。その手を、取らなかった。しばらく空中に手を浮かせていたが、39番の意思を汲んで手を引っ込める。
剣を収めて、深々と頭を下げる。
「僕はフランシス王国近衛兵団長、ラングニル。以後お見知りおきを」
顔をあげたラングニルは、また人付きの良い笑みを浮かべていた。