1話
1話
オレの名前は信柳 真。
趣味はバイトと勉強。年は17で高校生。彼女がいたことがあるが、バイトに明け暮れていたらいつのまにか空中分解していた。
そんなどこにでもいそうなオレだが––、現在おかしな現象に見舞われている。
視界が白一色に染まったと思ったら、よく創作物などであるような、貧困街––スラム街みたいな場所に突っ立っていたのだ。
「……どういうこと」
不安そうに揺れている少女の声。そんな声が、なぜかオレの口から溢れ落ちていた。
「……は?」
咄嗟に自分の首を手で押さえた。……喉仏がなかった。
その確認の際に、当然目線は手にも向けられるわけで……。
ゴツゴツとした男性特有の腕はそこに無く、女性のようなか細い腕があった。
「……もしかして、オレ」
オレは自分の胸に手を置いた。……むにゅり。
ハハハ、なんか柔らかいなー。
「女になってる––?!」
少女の悲鳴が、薄暗く静かなスラム街に響き渡った。
……さてと。大声をだして気分も少しだけ落ち着いたし、今のオレの状況を整理するか。
まず、視界が白一色––多分車のライトか?––になったと思ったら、このスラム街らしき場所にいた。
そしてなぜか、オレは女になっていた。……下に何も付いていないのも確認した。ちくせう。
次に持ち物。手に持っていたはずの傘はどこにも無く、衣服は身に覚えのない黒色のシャツとズボンを纏っていた。
腰に巻かれているベルトには不器用に作られたのであろうボロボロの鞘に、一本の短剣が差してあった。
……いやマジで何この状況。
「……ほんと、意味わかんない」
とりあえずオレは一旦考えることをやめて、気分転換がわりにこの場を散策することにした。
まあどうにかなるだろうと、そんな暢気な思いで。
––この時オレは、もう少し慎重になるべきだった。
なぜオレはここを見て「スラム街みたいだ」と思ったのか。なぜオレは短剣を携帯していたのか。
これから起こる出来事を、予測することなんて出来るはずがなかった。
あれから1時間ほど、オレはスラム街らしき場所を散策した。そこでオレが目にしたのは、現代日本では考えられないような地獄絵図だった。
生気を失った目をして、明らかにヤバそうな薬をキメている人。
ガリガリに痩せ細り、骨に皮がくっついているようにしか見えない人。
異臭を放つ腐肉死体、果てには白骨死体まで。
何よりもオレが恐怖したのは、女性の死体。身体の至る所にアザが出来ていたりしていて、顔は苦痛に歪んでいた。
死んでからそれほど時間は経っていないのか、肉は残っていた。
……おそらく、強姦されてそのまま死んでしまったのだろう。
今のオレの体は女性のモノ。つまり、彼女と同じ末路を辿ってしまう可能性もあるのだ。
……本気で気をつけなければならない。
「……少なくとも、ここは日本じゃない」
こんなにも物騒で汚い場所が、綺麗好きな日本にあるはずがない。
おそらくここは発展途上国の郊外か、それですらない場所だろう。
中国や韓国のスラム街によく似ている。
……なんでオレがそんな場所にいるのかは疑問だが。
「……気温は今の日本と同じ、かな?」
今の日本の季節は春。少しだけ厚手の服を着れば快適に過ごせる季節だ。
そしてオレが今着ているのは少し厚手な黒いシャツとズボン。
つまりここは日本と同じか、それに近い気候のはずだ。多分。
「……まあ、だからどうしたって話なんだけど」
はあ、と大きなため息を吐いてしまった。
…….それにしても、昼なのにここは薄暗いな……。
オレは建物らしきものの壁に背をつけて座り込んだ。
因みに昼だとわかった理由は太陽が凡そ南中しているのが見えたからだ。
うん、大まかな時間を確認するのは太陽を見るのが一番だな。ハハハ。
「……ほんと、なんでこんなとこにいるんだろ」
座り込んでいる膝と膝の間に顔をうずめる。
一人でいるという孤独感。……一人でいるって、辛いんだな……。
思わず泣きそうになってしまったが、男の意地がそれを許さなかった。
––ふと、トトトっという小さな足音が聞こえた。
オレはバッと顔を上げて、音のした方へと顔を向ける。そこには––
「……こど、も?」
ボロ布をまとった小さな子供が、顔をうつむかせてこちらの方を向いていた。
こんなところでどうしたんだろう、オレは純粋にそう思い、立ち上がって子供に声をかけようとした。
孤児院の子供たちに声をかけるときと同じように。
オレが接してきたのは、生意気だったり寂しがりやだったりとしたが、どの子もいい子だった。
だから、小さな子供がそんなことをするはずがない。心の何処かでそう思っていたんだと思う。
オレは無用意にも近づいてしまった。
「……こんなところで、どうしたの?」
「……」
子供は何も答えない。一歩一歩とこちらに近づいてくるだけだ。
そしてついに、子供がオレの目の前にまでやってきた。
「……オイ、何か喋ったら––」
ドスッ。そんな鈍い音とともに、オレの目の前で鮮血が舞った。
「……え、あ––ぎあぁあ"あ"あ"?!」
まるで熱せられた焼き鏝を押し付けられたかのような激しい痛み。
事実、オレのお腹には小さな短剣が突き刺さっていた。
オレはその場に肩から崩れ落ちた。痛みに耐性のないただの高校生が、耐えられるはずがなかった。
オレは痛みの原因である短剣を引き抜こうと、その持ち手を必死になって掴んだ。
その短剣を抜けばもっと出血が酷いことになるのだが––パニック状態であるオレの頭ではそんなこと考えられなかった。
––深く刺さっているのか、なかなか抜くことが出来なかった。
痛みはだんだんと大きくなっていくが、すぐに死ぬようなところを刺されたわけではないようだ。
オレは歯を食いしばり、自分を刺したであろう子供を見るために顔を上げた。
そこには、顔を青くして小刻みに震える小さな男の子の姿があった。
思わず失笑してしまった。こんな子供に、自分は刺されたのかと。