10話
10話
どれくらいの時間が経過したのだろうか。数十分、いや数時間だろうか。
上手くまとまらない頭の中で、オレはそんなことを考えていた。
あれからオレは何度も何度も脱出を試みて、その全てがチトセによって妨げられ失敗した。
隙をつこうとしたらより強い力で抱きしめられて、頭をより執拗に撫でられて、喘がされて。
首を噛みちぎろうとすれば、耳を甘噛みされて頭が真っ白になってなんにも考えられなくなって。
この屈辱に耐えられずに、歯に仕込んでおいた毒で死のうとすればなぜか気づかれて、口どうしのキスをされて、毒がどういうわけかただの水に変質していた。
そして気がつけば自分の口の中にしたが入ってきていて、それを追い出そうとしたを伸ばせば、逆に絡みとられて、唾液を流し込まれた。
した同士が絡み合い、触れ合うたびに甘い痺れが全身を支配して、まるで脳みそが溶けてしまったのではないかと錯覚してしまうほどに、頭の中がオーバーヒートしていた。
その時点でオレはもう身体に力を入れることが出来なくなっていて、口の端からだらしなく舌が垂れていて、目の焦点が合っていなかった。
されるがままに頭を撫でられて、耳を舐められて、キスをされて。
もう、諦めるしかなかった。
「……ぁ……ぅ…………」
口から溢れるのはそんな呻き声だけ。
そうしてオレはついに気絶に対する耐性があるにもかかわらず、白目を向いて気絶してしまった。
「……あれ、やりすぎた?」
口の端から舌をだらしなく垂らし、白目を剥いてびくんびくんと痙攣しているシンを見て、ようやくチトセは理性を取り戻した。
「……あ、ふ、う……」
そんな荒い息を吐きながら、オレは目を覚ました。
全身が汗でぐしょぐしょで気持ち悪い。妙に身体が熱っていて、頭が少しだけクラクラする。
まるで高熱が出た時の寝起きみたいだ。
オレは片手で頭を押さえながら、身体を起こした。
まず目に入ったのは木で出来た扉。軽くければ簡単に壊れてしまいそうだ。
その扉の向こう側には気配が二つ。
片方はそこそこ強そうな気配で、もう片方はチトセ並みの強さを持っていると"視"えた。
前者は女性で後者は男性。……なにやら話し合っているようだ。
ほかにオレが感知できる範囲の気配は、あとは取るに足らない存在のみ。
どうやらチトセは近くにいないようだ。……もしくは気配を隠蔽している、か。
「……ここは、どこ?」
オレが寝ていたのは清潔そうなシーツと毛布が敷かれているベッド。
部屋の中はとても綺麗で、ちりひとつ落ちていないように見える。
これらのことからはここがスラム街ではないことがわかる。赤蜥蜴の治療室でもないだろう。
……ちょっと記憶を遡ってみるか。
まず、ヒューバを暗殺しようとして。そしたらチトセに遭遇して。
影空間に逃げて、それなのに捕まって。そして–––
「……ッ!」
顔に熱が集まっていくのが自分でもわかった。
全身がガクガクと震えて、抑えようとしても止まってくれない。
……って待てよ。ということはつまり、ここは……冒険者ギルド?
「っ逃げ、なきゃ」
幸いにも窓はあった。不用心にも鍵は空いているようで、風が吹くたびにキィキィと音を立てている。
……というか影魔法を使えば逃げられるじゃないか。
さっき起こったことのせいで、無意識に選択肢から除外してしまっていたようだ。
というわけでオレは影魔法を発動させようとして–––
「……発動、しな、い?」
どういうわけか、先ほどと同様に魔法が使えなかった。
今チトセはオレに触れていない。ということは魔法の発動……というより魔装の発動がなにかしらのアイテムで阻害されているんだろう。
うん、それなら窓から逃げよう。
オレは扉の向こう側にいる2人にバレないように、音を殺してベッドから降りようとして–––左手が何かに引っかかった。
「……?」
手錠だ。オレの左手首とベッドの骨組みが、手錠によって繋がれていた。
よく見てみるとそれの輪っか部分には微弱な魔力が流れていて、どうやらこれのせいで魔法が使えなくなっているみたいだ。
んー、鎖の部分は無理やり引きちぎれるけど、魔封じの施されている輪っかの部分は無理だな。
これは刃物で切らないと取れない。……ゴリラって言ったやつ殺すからな?
はじめから持ってた短剣は当然のごとく没収されてるし……、輪っかの部分はここから脱出してからテキトーな奴から刃物を奪って外せばいいか。
とりあえず……と。
「……んっ!」
腕に少しだけ力を入れて手錠を思いっきり引っ張ると、それの鎖部分はブチったいう音を立てて引きちぎれた。
すぐさまオレはベッドから降りて、窓に駆け寄る。
そこから見えたものは––人の群れだった。
どこを見ても人、人、人。まるで地べたに落ちた食べ物に群がる蟻のようだ。
……つまり、オレのいる部屋は裏通りではなく大通り……しかも広場に面しているということだ。
もし窓から飛び降りようとすれば、その群衆の注目を浴びないはずがない。
––とまあ、普通ならここで諦めるんだろうけど、あいにくとオレには〈気配隠蔽〉のスキルがある。
しかもオレが目の前にいたとしても誰も気づけないレベルの。
「……もんだい、なし」
チトセレベルの奴になら気づかれるかもしれないが、扉の向こう側にある気配は動いていない。
オレが窓から出ようとした時に部屋に入ってくるみたいな、そんなテンプレじみた事なんて起こらないだろうし、きっと大丈夫だろう。
オレは窓の縁に足をかけて、そこからまずギルドの屋根に飛び乗ろうとして––
「本当にチトセが"王弟殺し"の暗殺者を捕らえたのか?ただの野良の暗殺者ではなく?」
「ええ。〈鑑定〉でステータスに記載されている称号も確認しました。……弱点を突いて倒したようです。見た目からは信じられないとは思いますが、そこで寝ているのが––」
そう話しながら入ってきた茶髪の子供と、目つきの悪い犬っぽい耳が生えた男性と目があった。
「……」
「……」
「……」
茶髪の子供は引きちぎられた手錠とオレとの間で目線をせわしなく動かしていて、目つきの悪い犬っぽい耳の生えた男性は舌打ちをして、腰に差してある得物に手を伸ばしている。
……こいつはたしか、Sランク冒険者のエネドラだったか?
おいおい、なんで一つの都市にSランク冒険者が二人もいるんだよ!災害指定級モンスターでも現れたのか?!
……とにかくこいつらに構っている暇はない。チトセがやって来る前にここから逃げなければ。
オレは屋根に飛び移ることを断念し、すぐさま人の溢れる大通りへと飛び降りた。