2. 行き違い
しばらく後、アガタが教会を訪ねてきた。
「おや、お久しぶり。ハンサム君が君に会いたいって言ってきたよ」
「あら。どこかですれ違ったのかしら」
「行き違いになったね」
※
同じ頃、ドゥームセイヤーはアガタの邸宅の前にいた。門の前にじっと立ち続けている彼女の姿を見かねたのか、メリーベスが出てきた。
「どうなさいました?」
「アギに会いたい」
「アギ? アギなどという人はうちにはいませんが」
メリーベスはそっけない。
「あ? ああ。確か、アガタだったかな」
「お約束は?」
「別にしてないが」
「お嬢様は約束してない方とはお会いになりませんよ」
「ドゥームセイヤーといえば通じるはずだ」
「そんなお名前はうかがってませんが」
「ああ、そう……」
メリーベスの前では不思議と調子が狂う様だ。メリーベスもなぜか強気に出た。
ドゥームセイヤーは懐をさぐると、アガタから受け取ったパスを見せた。
「ほら、アギから受け取ったものだ」
メリーベスはパスを裏返した。
「確かにレーテの裏書がしてありますね。あなた何者?」
「とにかく彼女に会いたい」
「お嬢様ならザマ神父の教会に行ってらっしゃいます」
「何てこった。入れ違いか」
ドゥームセイヤーは上目遣いで天を仰いだ。
「はいはい。とにかくおひきとりくださいませ」
メリーベスはドゥームセイヤーを押し出した。
「私はドゥームセイヤーだぞ!」
「知りません」
とうとうメリーベスに追い出されてしまい、彼女はそそくさとその場を立ち去った。
※
アガタは礼拝堂で祈りを済ませた後、ザマと話し込んでいた。
「研究は進んでます?」
「君のおかげで凄く進んでるよ。何百年分一気に進んだくらいの成果はあるね。近々学会に発表しようと思ってる」
「どんな内容ですの?」
「まず、旧神話の主神の名が分かったんだよ。アマテラスというんだ」
「アマテラス……」
アガタは息を呑んだ。
「どうかした?」
「いえ、南極の遺跡でもアマテラスの名がありましたから」
「そうか。ではアマテラスという神を信仰する一団が存在したんだな」
ふいに声がした。
「探したぞ」
その言葉にザマとアガタは振り返った。みると、入口にドゥームセイヤーが立っている。
「まったく、てれこてれこだな」
彼女はため息をついた。
「あらハンサムさん」
「結局戻ってきたのかい」
ザマはあきれた表情だ。
アガタは壁の時計をみた。夕方が近い。
「そろそろおいとましなくては。そうだ、ハンサムさん、今日は私の家で夕食をご一緒しない?」
「ま、構わないが」
「良かった。ザマ神父はどうなさいます?」
「私は論文の追い込みに入りたいから、今回は遠慮しておくよ」
「そうですか」
アガタは立ち上がった。
「じゃあ、ハンサムさん、いきましょうか」
※
ドゥームセイヤーはアガタの運転するクーペの助手席に座った。夕焼けが頬を茜色に染めた。
彼女は頬づえをついて窓の外を眺めていたが、おもむろに切りだした。
「なあ、アギ。あれから何もなかったのか?」
「何もって?」
アガタは微笑んだ。
「何かが起こったはずだ」
アガタは遠いまなざしとなった。
「そうね。何かがあったのは事実だけど、私にもその意味は分からないの」
「そうか」
「心配してくれたの?」
「私にもよく分からないが、アギのことは遠く離れていても感じることができる。最初はさざ波だった。それが次第に大きなうねりになった」
「もう終わったことよ。旧神話のことならザマ神父に任せてるから、それを待ちましょう」
やがてアガタの屋敷が見えてきた。車を降りると、玄関でメリーベスが出迎えた。
「お帰りなさいませ……あら、あなたは」
メリーベスは見慣れぬ客人――ドゥームセイヤーに気づいた。
「はじめてだったかしら。彼女は私の客人よ。今日は夕食を一緒にと思って」
「そうでしたか」
メリーベスはくすり、と笑った。
「中でメナスさんがお待ちですよ」
「メナスが!」
ドゥームセイヤーは驚きを隠せない。
主人の帰宅に、メナスも外へ出てきた。目と目が合った。
「……」
二人は無言のまま火花を散らした。
「あら、お知り合いだったかしら?」
「少しだけ……ね」
メナスの口調には刺々しい敵意が込められている。
「ふん、あのときの借りを返してやる」
ドゥームセイヤーも負けじと言い返した。
「それはこっちのセリフだ」
「橙武者」
見栄えは良いが役立たず、という意味である。
「それは手前だろうが」
険悪な空気をまぎらわせようと、アガタが二人をなだめた。
「まあまあ、今日は二人とも私の客人なのだから大人しくなさい」
それで二人はようやく落ち着きを取り戻した。
「アギがそういうならな」
「今日は我慢してやる」
※
テーブルに料理が並べられた。贅を尽くした、とまではいかないが、新鮮な季節の食材が腕のよい料理人によって手際よく調理されている。食前酒と前菜がテーブルに並べられた。
「お気に召すかしら」
メナスは前菜を口に運んだ。瑞々しい野菜の味が口の中ではじける。
「さすがだな。新鮮だ」
ドゥームセイヤーは前菜のカニの身をつまんだ。
「このカニはいずこのカニぞ?」
「ツルガのカニよ」
アガタは苦笑した。
次にスープが運ばれてきた。鶏をベースにした濃厚なスープである。が、ドゥームセイヤーは一口二口、口をつけただけだ。料理の皿は次々と運ばれてきたが、彼女はフォークで料理をこねくりまわすだけで、あまり口にしようとはしない。
見かねたアガタが言った。
「お箸の方がいい?」
「いや、別にこれで構わない」
メナスがドゥームセイヤーに耳打ちした。
「せっかく招待されてるんだ、少しは口にしないか」
「ふむ……」
が、ドゥームセイヤーの動きは鈍い。
「ハンサムさんは何がお好みなの?」
「戦場では干飯くらいしか口にしないからな。見たことのない料理ばかりだ」
「別に食べ方なんて気にしなくていいのよ。あなたたちがお客様なのだから」
メリーベスが次の皿を持ってきた。白磁に色づけされた皿は美しく、料理を一層ひきたてた。肉の焼けた良い匂いがする。
「これはいい。肉汁がうまいしソースがよくできてる。見事な腕だ」
メナスは舌鼓をうってレーテ家自慢のメインディッシュを賞賛した。
ドゥームセイヤーはというと、ナイフで肉を少しだけ切り取ると、おそるおそる肉きれを口に運んだ。
「獣臭いな。口に合わん」
ドゥームセイヤーはナプキンで口元をぬぐった。
「そう。肉はお好きじゃないのね……精進料理でも用意した方が良かったかしら?」
アガタは後ろで控えていたメリーベスに耳打ちした。うなずいたメリーベスは部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた彼女が運んできた小鍋には白粥が盛られていた。
ドゥームセイヤーは今度は料理を口にした。
「うむ……私は米が一番合うようだ」
彼女がようやく食事を口にしはじめたのを見て、アガタは微笑んだ。
「間に合わせだけど、お気に召してもらってよかったわ」
それから食後のデザート、新鮮な果物や甘い菓子がふんだんに盛られた皿が運ばれてきた。ドゥームセイヤーは果物にだけ口をつけた。そんな彼女をメナスはあきれた様にみつめていた。
※
使用人たちが集まり、奇妙な客人を口々に噂し合っていた。
「名は何ていうのかしら。美形よね」
クリスが言った。
「あの人、男じゃないと思う」
メリーベスはくすり、と笑った。
「背中にさわったの。あれは女の人よ」
「嘘!」
クリスはきょとん、とした。
「嘘じゃないわよ」
「はあ……」
呆気にとられた表情である。
※
食事の後、メナスとドゥームセイヤーは屋敷の二階に案内された。そこは続きの間となっており、大勢の客人をもてなすことができた。部屋の隅に置かれたオーディオからは静かな音楽が流れている。ドゥームセイヤーはというと、テラスにひじを突いて夜空を眺めていた。
満月が美しい。月の光は優しくズマの街を照らしていた。夜は魔物の世界ということを、つかの間忘れさせてくれる輝きだ。
「まったく、招かれておいて失礼にも程がある」
「いいじゃない。あれが彼女のポリシーなんでしょう」
メナスはふとした疑問をアガタにぶつけた。
「彼女と知り合いだったの?」
「話さなかったかしら。あなたと会う前に彼女が行き倒れになってたの」
「ああ」
メナスも思い当たった。そういえば、そんな話があったか。
「彼女、強いのよ。ガイストにも全然ひるまないで」
「確かに強いな」
メナスは皮肉まじりで言った。
「知ってるの?」
メナスはかすかに目を細めるとドゥームセイヤーの方を見やった。
「アガタ、あれを見て」
「え?」
アガタはテラスでたたずむドゥームセイヤーを見つめた。
彼女は飽くことなく満月を眺めていた。
メナスはアガタにそっと耳打ちした。その口調は普段とは違ってよそよそしい。
「影がないでしょう?」
「は……」
確かに影がない。月の光に照らされて、そこだけが。
「満月の力が真実を映し出すのです」
「いったいどういう……」
ソフィアは息を呑んだ。
「あれはこの世のものではないから」
「メナスはなぜそれを?」
メナスは一段と声を落とした。
「私は信仰を守るために遣わされたのです。今はそれ以上言えません」
「真実を訊いてはいけないの?」
「次に真実という言葉を口にしたとき……そのときは別れのときです。だから決して口にしないで」
二人の会話を聞いてか聞かずか、ドゥームセイヤーが振り返った。
「アギ」
「はい……」
ドゥームセイヤーは微笑した。彼女は不意にテラスを乗り越えると、階下に飛び降りた。
「今日は楽しかった!」
そういうとドゥームセイヤーはいずこともなく消えていった。アガタは言葉もなく、ただ見送るだけだった。




