17. ドウシツ
アガタを乗せた車は街中をゆっくりと走っていた。アガタは何を考えるでもなしに窓の外を眺めていたが、一人の男が目にとまった。
「止めて」
アガタの言葉で車は停まった。アガタはウィンドウを開けると男に声をかけた。
「メナス!」
その声でメナスは振り返った。メナスは突然自分の名を呼ばれて驚いていた。
「アガタ?」
車がメナスの脇まで寄ってきた。
「こんなところでお仕事?」
「何かネタがないかと思って。でも本音は中々語ってくれないものだね」
「取材なら協力するわ。ついてきて」
アガタがいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「ズマの情報を知りたいのなら、うってつけの場所があるの」
ウィンドウが閉じると車は走りだした。メナスはバイクのモーターをスタートさせて後についていった。
やがて車は閑静な住宅街に入り、一軒の豪邸の前で止まった。駐車場には既に一台の高級車が停まっていて、メナスはヘルメットを外すと豪邸とその高級車をしげしげと眺めた。
アガタが車から降りてくるとメナスを入口にいざなった。
「ここは?」
メナスには場違いに思えた。
「茶室があるの」
「先客がいるみたいだけど」
そのとき、入口から茶室の主人と客人と思しき男が出てきた。気づいたアガタの顔が一瞬曇った。メナスにもアガタのかすかな変化は伝わった。向こうもこちらに気づき、目と目が合った。
「おや、アガタじゃないか」
「叔父様、お久しぶりです」
アガタは型どおりの礼をした。
「今日は十人衆の議会と聞いていたが?」
四十代半ばくらいの年齢、容貌だ。
「それは終わりました」
「そうかね。では、私はこれで」
アガタの叔父は停めてあった車に乗り込むと去っていった。
客人を見送った茶室の主人が語りかけてきた。
「レーテのお嬢様。ようこそいらっしゃいました」
主人は何の習慣か、剃髪している。身にまとう衣は僧衣に似てなくもない。
「もう中に入れるかしら?」
「どうぞどうぞ。はて、そちらの若い衆は?」
「彼は私の客人です」
「そうですか。ではこちらへ」
門の中に案内されたメナスは驚いた。中庭はあたかも一個の小宇宙かと思わせるほど完璧に手入れされている。ズマの街中は緑が多いとは決していえないが、ここには緑なす自然が完璧に再現されていた。その先に木造の茶室があった。
「靴を脱いで」
その言葉でメナスは慌てて靴を脱いだ。茶室は簡素な造りではあるが古木を切りだした梁には重厚感があり、気分を落ち着かせるものがあった。
「今茶をたてますから、どうぞくつろいでください」
「メナス、紹介するわ。ここのご主人、ドウシツさんよ」
「メナス・マキシマスです。よろしく」
「何もお構いできませんが、ゆっくりしていってくだされ」
ドウシツは茶をたてるとアガタに茶碗を渡した。アガタは茶碗の感触を確かめる様に掌で包み込み、わずかに回すと、ゆっくりと茶を口に含んだ。それからアガタはメナスに茶碗を渡そうとした。メナスは茶碗を受け取ったが、不思議なものでも手にしたかの様に眺めるだけであった。
「あなたも飲むのよ」
そう促されてメナスは茶を口に含んだ。苦味と甘みの混じった味が口の中に広がる。茶を飲み干すとメナスは茶碗を置いた。
「味の方はいかがかな?」
ドウシツが尋ねた。
「不思議な味です」
「そうか、そうか」
ドウシツは不思議とにこやかだ。
メナスは再び茶碗を手にとるとまじまじと見つめた。
「まるで土の塊がそのまま器になった様だ」
「ほう、あなたは土の塊に価値を見出せるかね?」
「何と言えばいいか、人の手の温もりが伝わってきます」
「なかなかの審美眼ですな」
ドウシツは満足げだ。
「いえ、そんな」
「でも、確かにそれは名品なのよ。ソモリの陶芸家の作だから」
海の向こうにあるというソモリの窯はガイストの襲撃を受け、今はない。
「それでは確かに貴重な品なんですね。そんな大切なものを」
「いえいえ、器もよろこんでいるでしょう」
「はは……」
メナスは愛想笑いしたが、先ほど会った男がふと気になった。
「そういえばさっき会った人たちは?」
「あの人ね、私の叔父よ」
ジブ・アケロンという名らしい。
「じゃあ、そんな人間と鉢合わせするなんて――」
二人の話に耳を傾けていたドウシツは静かに口を開いた。
「今日は議会の日だとうかがいましたが」
「ええ。いつもの会議ですよ」
「そうですか」
ドウシツはにこやかに笑うだけだ。
「ここはね、街の有力者がよく訪れるの」
アガタはメナスに茶室の説明をはじめた。
「でも、ここはあくまで茶をたしなむ場だから。政治的な話は抜き、が表向きのルールなのよ」
「色々な方がお見えになりますが、お客様の秘密はお守りするのが私どもの信用になっておりましてな」
「そうは言ってもここには街の情報が集まってくるから。誰と誰が会ったか調べるだけでもジャーナリストにとっては有意義な情報になるはずよ」
「お嬢様、私どもにも守秘義務がありますでな」
ドウシツはやんわりと諌めた。
「茶室の外で張り込むなら問題ないでしょう?」
「それはそうですが、あまり知れ渡るのも」
「ここは秘密にしますよ。俺だけの取材ソースにしてね」
メナスはアガタに耳打ちした。
「どうしてこんなによくしてくれるのさ?」
「ズマの人間は私の前ではどうしても遠慮してしまうけど、あなたはそうじゃないから」
アガタはにこりと微笑んだ。
※
その夜、メナスはサコンと防壁近くの酒場で飲んでいた。
ビールジョッキ片手に気分良くなったサコンはメナスに尋ねた。
「メナス、そろそろ記者の仕事に慣れてきたか?」
「まあ、少しだけ分かってきたかな」
「おお、凄い。俺は三年はかかったね。ま、メナスも三年したら分かるだよ」
シュメという名の酒場のマスターが料理の盛りつけられた皿を出した。
「はい、お待ち」
貫禄のある体つきと声音である。
「お、どうもどうも」
サコンはメナスにうながした。
「ささ」
「じゃあ」
メナスも料理に箸をつけた。
「親方、あの写真、撮ってきたの?」
サコンが壁の写真を指差した。それは、ズマを流れる河の写真だった。光が反射して川面はきらめいている。砂は血を含んだ様に紅い。
シュメは魚をさばく手を止めた。
「こないだ、早起きして行ってきましてな。ばっちりでっしゃろ?」
「うん。さすが」
サコンはメナスの肩を叩いた。
「こいつも写真撮るだよ。ガイストの写真」
「そんなん聞いたことあらしまへんがな」
「ところが、ここに危険を省みず写真に命を賭ける男がいるだよ」
「いやあ」
ドゥームセイヤーとの戦いの後、折に触れてメナスはズマを襲うガイストを退治していた。そのときついでに写真を撮っておいたのがサコンとの出会いのきっかけでもあった。
※
酒場から出てきた二人はすっかり出来上がっていた。
「次いこうか、次」
サコンはすっかりご機嫌だ。
「明日に響くぞ」
「構わん、構わん」
ふとメナスの足が止まった。
「どうしただよ?」
サコンは尋ねた。
メナスは眼をすがめて、じっと防壁を見ていた。そこは落書きだらけである。定期的にクリーニングされるのだが、いつの間にか元通りになってしまう。サコンはメナスの視線の先を見た。そこにはひときわ大きな落書きがあった。それはアガタを皮肉った落書きだ。
「なんだ、そんなのが気になるのか?」
「いや、意外とこういうのに本音が隠されてるな、と思って」
「それはそうだな」
するとメナスは携帯端末を取り出し、ジョグダイアルを回しはじめた。
「どこにかけてるだよ?」
「もしもし、メナスです。昼間はどうも」
『――あら、メナス。こんな時間にどうしたの?』
女性の声である。
「彼女でもできたかね?」
「君のことが壁に落書きされてるよ」
「も、もしかしてレーテのお嬢さん? 馬鹿! お前どこにかけてるだよ!」
『――メナス、あなた、酔ってない?』
アガタは別に気にしてはいない様子だ。
「いや、至って正常だよ」
『――酔ってるわね。それで、落書きは何って書いてあるの?』
「レーテのお嬢さんは俺たち庶民の気持ちなんてちっとも分かっちゃいねえってさ」
「やめろ! やめろ!」
スピーカーの向こうからくすくす笑う声が聞こえてきた。
『――そうね。それなら……』
「了解」
メナスは通信を切った。
「お、おい。お前、していい事と悪い事があるぞ」
「緊急指令!」
「は?」
「レーテ家から重要なミッションを授かった!」
そういうとメナスはふらふらとどこかに行ってしまった。
「お、おい。ちょっとどこ行くだよ」
サコンは追いかけたが、すぐにメナスの姿は見えなくなってしまった。
翌朝、サコンは壁の前を通りかかった。見ると落書きが増えていた。
――レーテのお嬢さんは俺たち庶民の気持ちなんてちっとも分かっちゃいやしねえ。
――私もたまたまレーテに生まれただけなのよ。
サコンは苦笑した。彼はメモを取り出すと落書きを書きとめた。
※
数日後、通信社にメナスが入ってきた。
「おはようございます」
返事は返ってこない。記者たちは編集デスクの周りに集まって思案していた。
「どうしたんです?」
サコンがあきれたように新聞をメナスに手渡した。
「抜かれただよ」
メナスは渡された新聞に目を通した。トップ記事は医療センター主任医師がレーテ家の亡くなった嫡男、つまりアガタの弟のカルテに不正があったと告発したというものだ。
「メナスはレーテのお嬢さんとお近づきになってたな。しかし、あのお嬢さんならやりかねないだよ」
「彼女は金や権力にそこまで執着しないよ」
メナスは思わずアガタをかばった。
脇ではノビルが無言でコンピュータ端末に向かっていた。
「どうだか」
サコンは懐疑的だ。
「これはゼニカネの問題じゃない」
それまでおし黙っていた編集デスクが口を開いた。
「とにかく裏をとって欲しい。これは飛ばしだろう」




