2. 野戦
その一声で兵士たちは雄たけびを上げ、突進していった。ついに両軍が平原の真ん中で相まみえた。奔流と奔流がぶつかり渦となる。槍に貫かれ倒れる兵士。屍を踏み越え進む兵士。剣で斬りあう兵士たち。剣の一撃を盾で防ぐ。あちこちで組み討ちになった兵士が。押さえ込んだ敵兵を味方の兵士が取り囲んで槍でとどめを刺す。肉が裂け骨が砕ける。血しぶきが霧となって飛び散り、阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられた。
ぶつかり合う両軍の後方でニグリヌスの部隊が静かに戦局を見守っていた。
「む……」
ヒルコたちの猛撃に圧倒されたニグリヌスの幕臣が声をかけた。
「我が軍が少々押されている様ですな」
「ふむ。ならば」
ニグリヌスはすっと息を吸うと、ふうっと吐いた。
息は霧となり平原に満ちた。霧に視界を奪われたのか、両軍とも勢いをそがれた。
ドゥームセイヤーも戦線を駆け巡り、味方を叱咤激励していたが、ふいに霧にまかれた。
「むっ」
視界から敵が消えた。彼女は辺りをうかがった。
「この霧は……」
突如、槍を抱えた敵兵が突進してきた。
「はっ!」
とっさに剣をなぎ払ったが、敵兵は幻となって消えた。
「!」
一瞬の隙をついて敵兵が斬りかかったが、老いた幕臣が彼女の危機を救った。
「すまぬ!」
「お気をつけて! この霧はまやかしです!」
ならば、と剣の切っ先で自らの指先を傷つけると赤い血がにじんだ。彼女はその血の玉をふっと息で飛ばした。すると霧の粒が集まり、雨粒となって激しく降り注いできた。光はさえぎられ薄暗くなったが、幻は消えた。ぬかるみとなった地面を両軍の兵士が駆け抜け、泥水があたりかまわず跳ね上がった。
※
タカマガハラを巡る形而上界の合戦は、両翼で――騎兵同士の決戦だったが――ドゥームセイヤーの軍が押していた。
ニグリヌスの傍らに伝令が飛び込んできた。
「伝令!」
「何事?」
「両翼で我が軍が押されています。急ぎ支援を!」
「ウル隊とウルク隊を回せ! 白象を用意しろ! 敵の本陣にぶつける」
ニグリヌスの一言で後方に控えていた白象の軍団が動き出した。六本の牙を持つ白象軍団は雪崩をうってヒルコの本陣へ飛び込んできた。中央を強引に突破しようという構えである。白象の勢いを止めようとした兵士たちはあっという間に踏み潰され、陣形が乱れた。
混乱に気付いたドゥームセイヤーはすかさず指示をとばした。
「象を避けろ! 受け流せ!」
その声で兵士たちは二手に割れた。白象の突進力は凄まじいが、所詮は一直線の突撃。誰もいなくなった空間にむなしく突撃するだけとなった。勢いをそがれた象軍団を弩弓を手にした兵士たちが取り囲んだ。
「殺れ!」
矢と槍が降り注いだ。あっという間にハリネズミになった白象と象使いたちは地響きをたてて倒れた。
そこに伝令が駆け込んできた。
「何か!」
ドゥームセイヤーは声を荒げた。
「ジンリンの長弓隊が遅れています!」
前線から長弓隊の一つが取り残されていた。
「後詰にまわさせろ!」
特別に作らせた弩を運ぶのに手間取ったか? ならば長距離支援に回せばいい。まあ、恩賞は期待できぬが。
「御意」
伝令は急ぎその場を離れた。
「モルグBの長槍隊、左翼を支援しろ!」
長槍を持った部隊が戦端の左翼に投入された。膠着していた左翼でヒルコの騎兵隊が勢いづいた。ついに防壁の片方が決壊した。左翼を崩された神の軍団は背後を突かれ混乱に陥った。
ドゥームセイヤーは剣を振りかざして合図した。
「よし、包囲殲滅だ! 一兵たりとも逃がすな!」
騎兵を先頭に歩兵たちが突撃をはじめた。目指すはニグリヌスの主力隊。勢いを増したヒルコの軍の前に混乱した神の軍は逃げ惑い、餌食になるだけである。
「私についてこい!」
ドゥームセイヤーは親衛隊を率い、敵の主力に向かって突撃していった。
その勢いにさしものニグリヌス将軍も手綱を引いて退却しようとした。
「い、いかん」
「ニグリヌス! そこか!」
ドゥームセイヤーの白刃がニグリヌスの首に狙いをつけたとき、突如、背後で爆発が起こった。
「な?」
彼女にも一瞬何が起こったのか、とっさに判断できなかった。
「誤射か?」
誤射ではなかった。後方に陣取っていた長弓隊の射撃は背後から確実にヒルコの軍を狙ってきた。爆炎があがる。
「長弓隊! 何をしている!」
応えはなかった。光の矢が雨あられと降り注ぎ、確実にヒルコの勢いを削いだ。無防備な背面から光の矢に貫かれ、ばたばたと兵士たちが倒れていく。いつしかドゥームセイヤーたちは両翼を崩され、挟撃された。
「ひるむな! 前へ進んで血路を開け!」
ドゥームセイヤーの檄も効なく戦線が乱れ、混乱が深まった。反対に勢いを取り戻した神の軍が攻勢に転じた。
「裏切りか!」
動揺した彼女の隙を捉え、ニグリヌスが単身一騎打ちを図ってきた。
「ドゥームセイヤー、そっ首斬り落としてくれる!」
「くそっ!」
剣と剣が交錯した。
慌てて老臣が駆けつけた。
「ドゥームセイヤー様! ここは一旦退却を! このままでは敵に包囲されてしまいます」
「はっ! この私が退却だと?」
「このままでは軍の壊乱は免れません。一旦引く事も肝要です!」
「記憶の限り私は一度も敵に破れたことはない! それがおめおめ逃げられるものか!」
撤退など、自尊心が許さない。そのとき、ニグリヌス隊の弓兵が放った矢がドゥームセイヤーの愛馬を貫いた。鋭い音がして馬甲が砕けた。首を射られ、驚き竿立ちした馬の勢いに彼女は落馬してしまった。
「うわっ!」
駿馬は一瞬で燃え尽きた。
「もらった!」
ニグリヌスが躍りかかったが、ドゥームセイヤーは態勢を立て直すと相手の剣を手首ごと刎ねた。援護に回った弩弓隊の兵士が放った反撃の矢がニグリヌスの体を貫き、ニグリヌスはどう、と倒れた。
一瞬の空白をついて老臣が主を失った馬を引いてきた。それを見たドゥームセイヤーは馬に飛び乗った。もはや戦局は圧倒的に不利だ。
ドゥームセイヤーは苦渋の表情で叫んだ。
「やむをえん! 退却!」
ヒルコは壊乱し敗走をはじめた。防ぐもののない無限の平原が仇となり、ヒルコの軍は包囲されてしまった。殲滅戦がはじまった。逃げ場を失ったヒルコの兵が次々と倒されていった。
※
「ドゥームセイヤー様! 敵が!」
老幕臣が悲鳴をあげた。
「ひるむな! 私に続け!」
ドゥームセイヤーは包囲の薄い一角を見定めると、一気に突進していった。矢の乱れ討ちを剣でなぎ払う。ドゥームセイヤーを守り取り囲んだヒルコの兵たちが、一兵、また一兵と斃れていった。が、兵が斃れればすかさず次の兵がドゥームセイヤーを守った。包囲陣がついに破れた。
「行けーっ!」