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「彼女」  作者: フクロウ
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喧騒、二人の男

まだ熱気の残るベッド。部屋の中にはまだ少し荒い二人の息づかいだけが聞こえる。静かだった。やがて衣擦れの音がする。ベッドから人一人分の重みが消え、その分だけ僕の体を押し戻す。風呂場に向かう足音が聞こえた。僕は目を閉じてそれを聞く。しばらく風呂場の水音を聞き、僕はベッドから身を起こす。キッチンに赴き、湯を沸かす。コーヒーを淹れ、それを二人で飲む。やがて僕は帰って行く人をただ見送る。

いつもと変わらない。この関係にも進展がない。エリさんは帰り、僕は見送る。その度に僕は苦しくなる。この人を連れ去りたい___何処か遠くへ___誰にも邪魔されずに二人で生きていけたらどんなに幸せなのだろう。そんなことは不可能だと思っても、想いは募るばかりだった。苦しい。あの日、あの風の強い日にエリさんの誘いを断っておけばよかったのか。しかし僕にはそれができなかった。後悔はしていない。本当に?本当に後悔していないのだろうか____。

突然、キッチンに甲高い音が響いた。

「お湯、沸いてるわよ。」

シャワーを浴びてリビングに出てきていたエリさんが言う。

「___うん。」

火を止め、湯を少し冷ます。その間に二人分のマグカップを用意する。

エリさんはソファーに腰掛け、ぼんやりとこっちを見ている。何かを考えているような、何かに疲れているような顔。しかし、何よりも_____。

「コーヒー、できましたよ。」

彼女の前にコトリ、とマグカップを置く。いつもと同じく二人で一緒にコーヒーを飲む。僕もエリさんも何も話さない。僕が考え込んでいても、エリさんがあんな顔をしていても、僕たちはお互いに何も聞かない。聞かなくてもいい。聞かなくても分かるから。

「____そろそろ行くね。」

エリさんが立ち上がり、ドアに向かう。僕も彼女に続いた。彼女を見送るために。

靴を履くエリさん。その細い背中をじっと見つめる僕。

いつも通りだ。何も変わらない。これからも_____これからも_____?

「____じゃあね。」

その夜、僕はエリさんが出ていったドアをいつまでも見つめていた。



ある平日の昼下がり。授業がない僕は、職員室で研修授業のための準備をしていた。

(コーヒーでも淹れるか。)

立ち上がり、給湯室に向かう。

「____武仲さんたちの話、本当かなあ。」

不意に給湯室から聞こえてきた名前に、足を止めた。

「まあ、そりゃあねえ。数学の武仲先生と_____見たし。」

「そんな____エリさん、あんなに____のに____。かわいそう____。」

(まずいな。出直すか。)

給湯室の女教師たちに気づかれないように、静かにその場を後にしようとした。

「____このままだと離婚も時間の問題ね。」

思わず足を止めた。

『離婚』_____?エリさんが______?

____いや、ただの噂だ。そうと決まったわけではない。そう_____まだ_____。

しかし、僕の心の中のざわめきはなかなか止まらなかった。



「白井先生、ちょっといいかい?」

名前を呼ばれ、取り組んでいた仕事から顔を上げる。僕の目の前には、数学教師の武仲先生がいた。

「____はい、何でしょう。」

「今夜空いてる?」

「ええ。大丈夫ですよ。」

「じゃあ、呑み行こうよ。奢るから。」

「____本当ですか?ぜひ。」

_______騒がしい店内。繁華街にある居酒屋に僕と武仲先生はいた。店内は騒がしかった。

「この二人で呑むのは初めてだね。びっくりしただろ。」

「ええ。正直とても意外でした。」

実際、少し驚いた。しかし、思ったより落ち着いている自分がいた。まるでどこかでこうなることを予測していたかのように。

「君の話は、エリからよく聞いているよ。とても優秀な方だってね。」

「恐縮です。」

「大学ではなにを?」

「英文学を主に____。後、イギリスに一年ほど留学してました。」

「ほう。やはり優秀だ。大学では主席だったそうじゃないか。」

「いやあ、運がよかっただけですよ。」

僕は苦笑した。一人の女性の夫と不倫相手が、一つのテーブルを囲んで料理を一緒につついている状況に。

生徒の話や今年の入試情報、大学時代の話など、武仲先生との話は思っていたよりも弾んだ。そのまま何事もないかのように思われた。

「白井先生、お付き合いされてる方とかいるの?」

「いやあ、いないんです。」

「またまた。その容姿じゃあ女性がほっとくわけないじゃないか。」

「それが、さっぱり。今度いい人紹介してくださいよ。」

冗談半分に僕はそう言った。それだけ酔いが回っていた。

「いいよ。俺が紹介できる範囲でね。_____最も、君には必要ないんじゃないかな?」

「____はい?」

思わず聞き返してしまった。

「君を見てるとねえ、どこか満たされていないように、手に入らない何かを望んでいるように見える。手に入らないことはわかっているのに諦めきれていない。」

「そうですか?そんなことはないですけどね。」

「____そうか。」

そう言うと武仲さんはグラスを手に取り日本酒を少し舐めた。

「____そろそろお開きにするか。」

「そうですね。」

会計のために店員を呼ぶ。

「___白井くん。君が欲しがっているものは手に入らないよ。絶対に。」

一瞬、周りの音が遠のいた。サッと顔を上げると目が合った。眼鏡の奥の冷たく嗤っている目と。一瞬、怒りが体の中を駆け巡っていった。

「ご忠告ありがとうございます。心しておきます。」

僕の言葉を、武仲さんは不敵の笑みを浮かべながら聞いていた。

相変わらず、店内は騒がしかった。

拙文を読んでくださり、ありがとうございます。

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