100円玉を拾った。
ある青年は道に100円玉が落ちているのを発見し、ラッキー!
とばかりに、拾ってそのまま何処かへ立ち去った。
ある少年は涙を必死に堪えながら探し物をしていた。涙を流しながらだと前がよく見えないので、頑張って我慢していた。
「酒買ってこい!」
その少年にとってはよくある日常の1シーンであった。司法解剖でも、度重なる虐待の後からその事がよくわかる。
早く買わないと父さんに怒られる……
何時間探したのだろう。探し物はついに、見つかることはなかった。
少年は泣きじゃくりながら家へ帰った。父さんは少年が酒を買ってこなかったのに腹をたてたのか、殴る力が強かった。
結果、少年はぐったりとして、そのまま永遠に目を覚ますことはなかった。
日頃の虐待が原因で死んだのかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。
もし、あの時青年が100円玉を拾わなかったら、拾ったとしてもどこか交番などへ届けてでもしたら、少年は100円玉を無事手に入れ、酒を買い、今日を生き延びられたかもしれない。
そう考えると、あの青年は間接的に人を殺したのではないだろうか。あの時の暴力が酷かった原因は100円玉が無かった事が原因で少年が酒を買えなかった事である。
だが、別の見方で観れば、あの日一日を生き延びたとして、また少年が虐待される日々は続く。ただの日常の1シーンなのだから。
我々が少年が死ななかったらなどという妄想をしても意味はない。もう彼は帰ってこない。
そして、青年は少年の死に自分が関わっていることを知ることは絶対にない。
地球とは、そんな青年が多数生活している世界である。