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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“春”遠き国2

 からからと、枝がこすれ合うかすかな音がする。



 桜はぐるりと周囲を見回した。

 とっくに日は落ちて、わずかに残る残雪の白さにぼんやりと林の木々の陰が見える程度だ。

 踏み出せば、たちまち枯れ草や枯れ枝に足をとられてしまう。

 そのときにがさりという耳障りな音まで出してしまい、彼女は嘆息した。


 どうやら道を外れてしまったらしい。

 黒一色の山の中をもう一度ぐるりと見渡す。

 たよりにしていた音すら、木々にこだまして方向がつかめない。


 もう一度ため息をついて、傍にあった桜の若木に寄りかかったときである。

 


「どこまで行くつもりだ?」


 背後から雪のように冷やかな声が降りかかり、桜はびくりと肩を揺らした。


 首筋に硬質の刃物をぴたりと当てるような、容赦のない声。

 そろそろと後ろを振り返れば、長身の姿が黒々と浮かび上がっている。顔の判別は出来なかったが、通りの良い声と暗がりでもびしばし感じる鋭い視線は間違えようがない。



「起きて、いたんですか」

「寝てたぞ」


 さく、と枯れ草を踏みながら青嶺が近づく。

 軽い音にはっとして、慌てて後ずさる。が、危なげのない足取りであっという間に距離を詰められた。鬼とは夜目が利くものなのだろうか。


「眠りがいつも浅くてな。本気で逃げようと思ったなら、もうちょっと上手に気配を消していけ。あと、戸を開ける音もうるさい」

「………」

「ぐっすり寝てるなら、起こさないでやろうと思っていたのに」

 余計な気遣いだったらしいな。


 桜はぐっと唇をかみしめた。


 確かに桜は寝てしまっていた。それはもう、ぐっすりと。

 目が覚めたとき、自分の能天気さに頭を抱えたほどだ。とっくに日は落ちて、あたりは真っ暗だったのだから。

 いくら疲れているからといって、いくら身体がぽかぽか温まってきたからといって、どうして熟睡してしまったのだろうか。敵の真っ只中で。


 闇の中で、鬼が嘲笑う気配がした。

「『花咲』がなにをやるのかと思って見ていた。が、見かねた。……そっちは萌葱の方角じゃないぞ」

「それくらい知ってます」


 からかうような口調に、憮然として桜は言い返す。

 だがさくさくと軽い音を立てて確実に近づいてくる鬼の黒い影には、身体が強張った。


「逃げられると思うか? こんな山奥にそんな格好で、凍え死ぬか獣に襲われて終わりだ」


 実際、獰猛な獣に追い詰められているような気分だった。鋭い視線から逃れるように、桜は肩を縮める。

 しかし頼りない若木では、彼女の身体を隠すことはできない。


「なにより『花咲』はわが梶山家の預かりになったんだ。お前が逃げれば一族はもちろん、萌葱の豊国家にも迷惑がかかるぞ」


「……あ、あなたとご領主さまの間には認識のずれがあったようですが」

 言うと闇の中にたたずむ鬼は少しむっとしたらしかった。


「うちはちゃんと申し入れた。書面にも残してある」

 正当性を訴えるのなら、もう少し穏便に連れてくることはできなかったのだろうか。

 本業の人攫いも真っ青の迅速かつ乱暴な移動手段を思い出し、どうしても桜の視線は冷ややかになる。


「なにが不満なんですか? 豊国家の三の姫は、三国一と噂されるほどの美姫なのに」


 姫の父親である忠朝の様子を思い出せば、隣国との縁談を喜んでいる風だった。


 勘違いだろうとなんだろうと、中央の帝をもしのぐと噂されるほどの権力と財力を誇る豊国家と縁続きになれるのだ。くれると言っているのだから、もらっておけばいいのに。


 評判の美姫と庭師の娘。どちらか選べと言われたら、普通誰もが前者を取るだろう。


 たしかに姫は少し――いやかなり我が侭ではあるが、短い滞在期間ではそれを彼が知る機会は少なかったはずだ。顔だけなら三国一なのだ。あのときの姫の様子といい、もしかしてちゃんと顔を合わせたこともなかったのかもしれない。彼らほどの身分と立場なら婚姻に当人たちの意思が反映されることは少なく、結婚当日が初対面という場合だって珍しくないのだから。


 豊国忠朝公認の婿候補だった男は、きっぱりと言った。

「おれが欲しいと言ったのは、最初からお前だ『花咲』の姫」


 これで言葉にもう少し甘さがあって相手が鬼でなければ、桜も顔を赤らめていたかもしれない。

 しかし声音は淡々として熱くも冷たくもなく、声の主はまぎれもなく宇佐の『青鬼』である。


「豊国家の姫でもないのに姫なんて呼ばれてるお前も悪い」


 だがおそらくはわざと丁寧に放たれた“姫”という単語に、桜の眉が条件反射でぴくんと上がった。


「それは呼び名じゃなくて、ただの陰口です」


 桜の若木を握る手のひらに力を込めて、彼女は言う。

 冷え切った指には、桜の節くれだった幹すらどこか温かく感じられる。


「誰から聞いたのかは知りませんが。家にこもって滅多に出てこないわたしをそう言ってからかう人がいるんです」


 屋敷の奥で、ほとんど人前に出ることもない『花咲』の姫。

 『花咲』に大事に大事に守られている『花咲』。

 『花咲』の中の『花咲』。


 特別な存在であるかのようにも取れる呼ばれ方だが、だがそれらは桜がいまの『花咲』の中でいちばん実力があるからではない。


 桜が家から出ないのは、むしろ『花咲』として半人前だから。


 大事に守られているように見えるのは、兄二人が末の妹にはべたべたに甘く、両親が亡くなってからは親代わりを自負しているから。

 つまり過保護、もしくは兄馬鹿というやつである。


 今回のように呼び出しがあれば出向かなければならないが、基本的には家で勉強をしたり、内向きの仕事をしている。

 兄二人の足を引っ張ったり必要以上に心配をかけたりするのは嫌だし、また彼らは妹限定で必要以上に心配をする性分なのだ。

 合わせていまの豊国家には出向きたくない理由もある。


 ただし、どれだけそう説明しても、納得しなかったり変に勘繰ったりする輩はいる。


「わたしたち『花咲』にどれだけ大げさな噂が流れているかは知っています」

 大げさすぎるその噂を、彼らが仕える豊国家は肯定せず、しかし否定することもなく、逆に自分の家に箔を付けるために利用していることも、知っている。


 ―――枯木に花を咲かせ、荒野を緑に変え、人も植物も、あらゆる病をたちどころに治してしまう。


 挙句の果てに、死人をも生き返らせることができるとかなんとか。


 そんな馬鹿な、と桜は思う。

 そんな神仏のような力を持った人間がいたら、どうして豊国家のお抱え庭師などにおさまっているのだろう。


「噂は、ほとんど嘘です。っていうか、少し考えればわかるでしょう。あなた方が『花咲』に何を望んでいるのかは知りませんが、お役には立てないと思います。今日の花だって、冬の間中準備してようやく咲かせたものなんだから」


 つまらなそうに鬼は鼻を鳴らした。

「あんな見世物はいらない。花など、放っておいても時期になれば勝手に咲いてくるだろう」


 ごもっともである。

 が、その“見世物”にいつも粉骨砕身している『花咲』としては、彼の言い様は面白いものではなかった。

 たしかに桜自身も目新しいもの真新しいもの派手なもの大好きな豊国忠朝主催の宴には、眉をひそめることも多かったのだが。


「……それじゃあ病を治すほうですか? 何度も言いますけど特別な力なんてありませんから、人よりも薬草の知識があったというだけですよ。それもわたしはまだ勉強中で……」

 むしろそれは長兄・樹の得意分野だ。

 だがそれを目の前の黒い鬼に教えるつもりはない。


 いつの間にか、梶山青嶺はすぐそばにやってきていた。

 彼女が握る桜の若木のずっと上に、彼も手をかける。

 桜は息を飲んだ。


 明かりも持たないのに、こんなにもすぐに追いつかれてしまう。

 道をそれてよたよたと山の中を彷徨う桜は、さぞかし滑稽に見えただろう。

 そう思うと自己嫌悪にどっぷりとはまり、相手に対して少しだけ腹が立つ。


「………なんですか?」


 観察するようにじっと見下ろされて、桜は若木を握る手にさらに力を込めた。

 冷え切った手には、冷たい木の幹でさえどこか温かく優しく感じられる。少なくとも、目の前の鬼の視線よりは。


 暗闇に慣れた目に、鬼の裂けていない口の端が持ち上がるのが映った。


「もう逃げないのか?」

「―――」


 逃げたほうが楽しめると言いたげな口調だった。

 やっぱり獣だ。獲物を追い詰めて嬲り殺しにするような。


 そもそも、最初から逃げる気も逃げられるという確信もなかった。


 見知らぬ土地の、真っ暗な山の中。彼が言った通り、凍えるか獣に襲われて死ぬかもしれない。運よく里や村に行き着いたとしても、ここは宇佐の領内。梶山家の土地である。助けてもらえるとは思えない。


 どこかでからからと枝が鳴る。


 桜は、ただあの鳴子のような音を出す木を探していただけなのだ。

 兄たちと連絡を取る手段になったかもしれないのに。

 

 嫌悪感を持ってにらみ上げていると、鬼が首をかしげた。


「お前、おれが怖くないのか?」

「怖いですがなにか?」


 けんかを売るように即答すれば、相手は驚いたようだった。


 ええ怖いですとも。相手は戦場で屍の山を築く宇佐の『青鬼』だ。怖くないはずがない。今だって身がすくんでしまって動けない。

 桜よりはるかに大きく威圧的な身体が恐ろしい。突き刺すような鋭い視線が恐ろしい。


 けれども、突然意味もなくばっさり切られたりはしないだろうという奇妙な確信もあった。

 実物を目にする前に感じていた得体の知れない恐怖はすでにない。


 鬼はあごに指をあてて、呟いた。


「普通の娘に、見えるんだがな」

「だから、さっきからそう言ってますけど」

「言い張るあたりが怪しい」

「―――」


「と、じい様あたりは言うんだろう」

「じい、様……?」

「お前を連れてくるように言ってきた本人だ。祖父・梶山保経(やすつね)

 知ってるか? と問われても、桜は首を横に振るしかない。


「お前が役に立とうと立つまいと、お前を手放すかどうかは祖父次第だ」

 上から降ってくる声には、苛立ちを含んでいるようにも思えた。


「だから諦めて大人しくしていろ。明日には城に着く」


 もう、そんなところまで来ていたのか。


 桜がぐっと奥歯をかみ締めていると、黒い影が彼女の前ですっとかがんだ。

 観察するような値踏みするような上からの視線が消えて「あれっ」と思った直後。

 ひょいっと音でもしそうな程に軽々と、彼女は『青鬼』の右肩に抱え上げられていた。

 例の、荷物担ぎ状態である。


「ちょ……っ」

「動くな騒ぐな疲れる」


 疲れるなら下ろせばいいのに。


「わたし、自分で歩きますが」

「お前は遅い」


 やっぱり自分の動きはこの人にとっては鈍く感じるんだなと思うと非常に悔しかったが、それを桜は歯を食いしばってやりすごした。


 言ったところでどうしようもない。

 体力も、そもそもの歩幅も違う鬼と比べないでほしい。




 冬の木々が奏でる鳴子のような音は、すでに聞こえなかった。






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