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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“花”を攫う者

 小さな頃から、人攫いの危険は耳にタコができるほど教えられてきた。


 もとは百姓のくせに豊国家に重用されていることへ嫉妬を抱く者。『花咲』の持つ知識、あるいはその地位を利用しようと企む者。さらには巷の噂を妄信し不可思議な力を我が物にしようとする者など、この家族は何かと標的にされることが多かったのだ。


 小さな頃からやはりそんな災難に見舞われてきて、そしてそれなりの対処方法を身に着けた二人の兄は、妹に言って聞かせた。


―――いいかい桜。物騒な連中に出くわしたら、第一にまず逃げること。


 無理やりどうにかしようと考える輩に、ろくな理由はない。

 相手は、最初がいちばん浮き足立っている。こちらも動揺しているが、わけのわからない薬を盛られたり知らない場所に連れて行かれたりする前に逃げられれば、それに越したことはないのだ。




 ……しかしこの人攫い、まったく隙がなかった。


 花を生けた広間から出てずっと、梶山青嶺の腕は腰にがっちりと巻きついたまま。

 下ろしてくださいと訴えても背中を叩いてみても、びくともしない。


 もともとの緊張状態に加えて腹部の圧迫とひどい揺れが続いたため、桜はかなり気分が悪くなっていた。食事の後だったら戻していたかもしれない。


 ようやく肩に担いだ米俵状態から開放されたときにはすでに屋外で、盗賊のように突然現れた男たちに、見張りの兵士たちもぽかんと口を開けている。

 相手がとくに対応注意と言い含められた豊国家の賓客と知っているだけに、安易に声をかけていいものかどうか迷っているようだった。


 同じように呆然とした厩番を尻目にさっさと馬を引っ張り出す。

 桜は、いつの間にか大きな栗毛の馬に乗せられていた。

 当然のように後ろに人攫いの頭目が跨る。


 すると頭目はいきなり桜の襟元をつかんだかと思うと薄紅色の衣を剥ぎ取ったのだ。

 上等な衣をぽいっとその辺に投げ捨てる。


 わけがわからず悲鳴を上げた桜を見て、やはり馬を引いて出てきた直亮が半眼になった。


「年頃の娘さん相手に何してやがるんだお前は。時と場所と常識を考えろ」


「馬に乗せるには、ひらひらしてて邪魔だ」

 無表情で青嶺は呟く。

 実際ふわふわと軽く丈が長い衣は、担いで移動している間もかなり邪魔だったのだ。

 こんな面倒なものを着て、よくもあの細かい花々を自在に操れたものだ。


「……彼女が寒いだろう、それじゃ」


 あきれた従者に言われて、彼はようやく腕の中の『花咲』に目を向けた。


 上の衣を取り払われて肩を竦める小袖姿の少女は、萌葱の重鎮たちが居並ぶ前で堂々と花を生けてみせた『花咲』と同一人物とは思えないほど頼りなく、小さく映った。

 その顔は今にも気を失いそうなほど青白く、わずかに震える唇からは白く曇った息が浅くもれ出ている。伏せた黒い瞳はちらとも青嶺のほうを向こうとしない。


 宇佐の『青鬼』を前にすると、女子供だけでなく成年男子ですら怯えて目を逸らす者がいる。


 とっくに慣れたはずのその反応に、しかし青嶺は妙に苛立ちを覚えた。

 広間で腰を攫うその直前まで、彼女は大きな瞳を見開いて視線を返してきたのに。



 いっぽう桜のほうは、寒いとか怖いという以前に、とにかく気分が悪くて吐き気をこらえるのに一生懸命だった。

 上着を脱がされたときは驚いたが、身体にしつこくまとわり付くそれらがなくなった事にはむしろほっとしたくらいだ。


 ばさりと、なにかが降ってきた。


 彼女を上から包み込んだ物の思いがけない暖かさに、がちがちに強張っていた身体がほっと緩む。


 ふと感じた視線にそろりと見上げると、そこには宇佐の『青鬼』の顔があった。


 相変わらず突き殺されそうな鋭い視線でにらむ鬼は、しかし桜と目が合うとかすかに笑った。


 たぶん、笑ったのだろう。細められた双眸からは、殺気が消えていたので。


「しばらくこれで我慢しろ」


 これ、といって桜の身体にさらに巻きつけられたのは藍色の衣。

 ついさっきまで彼が身にまとっていた素襖(すおう)と呼ばれる上着である。

 厚手のそれは、薄紅色の室内着よりは格段に暖かな代物である。


 ただし、ぐるぐる巻きにされては格段に身動きが取りづらくもなる。


 どう反応したものか迷っていると、再び左腕が桜の腰に回った。

 馬上から転落しないための措置だと分かるものの、どうしても身体が硬直してしまう。気のせいか、今は圧迫されていないはずの腹部までしくしくと痛み出す。


「あ、あの。誤解があるようなのですが!」


 このままではまたどこかへ勝手に運ばれる。

 桜は目の前にあった手綱を持つ右腕につかまり、慌てて訴えた。


 青嶺はかまわずにパコパコと馬を進め始めてしまう。


「誤解? お前は『花咲』だろう。桜、という名前だったか?」

「確かにわたしは『花咲』で、桜という名前ですが―――」

「それなら問題ない」


 あっさりと彼は頷いた。


「おれは『花咲』を連れ帰れと言われただけだ。あとは知らない」


 眉間にしわが寄っている。

 いかにも投げやりで面倒くさそうなその顔に向かって、桜はこれ以上何も言えなくなってしまった。


 言っても無駄だと、悟ってしまった。


 横では同じように駒を進める直亮がやはり重いため息をついている。

 『花咲』を所望しているらしい誰かを思い浮かべているのか、それとも青嶺の説明の足らなさにあきれているのか。



「なにか言いたいことがあるんなら、その人に言うんだな」

「は、はあ?」




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