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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“花”愛でる宴3

 梶山青嶺の印象は、熊というよりは誇り高い狼だろうか。


 身のこなしは颯爽として隙がなく、悠然と周囲を見渡す闇色の瞳は鋭いが粗野な雰囲気はかけらも感じられない。

 だが従順な雰囲気も、かけらも感じられない。親子ほど年の差のある萌葱の領主には表向き丁寧に接しているものの、にじみ出る威圧感はむしろ上だ。領主ではなく梶山青嶺にうっかり頭を垂れてしまいそうになる。


「では、はじめるがよい」


 上機嫌と分かる忠朝の悠長な言葉に、桜はいったん深々と下げた頭を持ち上げた。


 とたん、刺すような厳しい双眸にさらされる。

 視線が刃になるのなら、突き殺されていたに違いない。

 命の危険すら感じて、彼女はばくばくと鳴る心臓をなだめるように衣の上から押さえつけた。

 まだ何もしてないのに……なぜこんな厳しい目を向けられなければならないのだろう。


「あれが……ほんとうに?」


 探るような言葉は、かすれていたにもかかわらず不思議によく響いた。

 おそらく戦場の混乱の最中でも、よく通るに違いない。そしてあの眼光と一緒に、敵を震え上がらせるのだ。


 緊迫した空気に気が付かないのか、豊国家の当主は満面の笑みでのほほんと客に答える。

「この桜はたしかに『花咲』いちばんの若輩ではあるが、花を美しく見せることに関しては兄妹随一なのです。まあ、ご覧下さい」


 鷹揚な物言いは、堂々たる梶山家の嫡男を前にするとどこか卑屈にも聞こえる。


 客人の疑いはもっともだ、と桜は少しだけ遠い目をした。


 容赦のない眼差しを向けられる理由は、おそらくは訝り。


 彼女の装いは白い小袖に赤い袴。上から若草色の単と薄紅色の衣を重ね着している。その辺に控える側仕えよりもよほどいい身なりである。庭師の格好ではない。断じてない。

 いまも引きずる袴と衣で動きにくいことこの上なく、花びらを傷つけないかと気が気ではないのだ。


 上等な衣装は、豊国家が宴のためにと用意したものだ。

『花咲』は見世物。

 桜もこうして客人の前に出るのは初めてではないが、何度繰り返しても気分のいいものではない。

 まして客人は矢のような視線を遠慮なくどすどす放ってくる鬼である。



 ……もう、さっさと済ませてしまおう。


 気を取り直して、桜は部屋の中央に置かれた大きな焼き物の花器に向かった。

 そこにはすでに大きく無骨な枝が数本、生けられている。


 長い袖に気を付けながら、そっと枝のひとつに手を這わせる。

 白い蕾を無数につけたそれの、声ならぬ声を聞こうとするように瞼を閉じ。

 語りかけるように、口元を寄せて温かな呼気を吹きかける。


 すると―――ゆるりと白く小さな梅の花が咲いた。


 客人が息を飲む気配がする。


 鬼と呼ばれる人でも花を愛でる心はあるのだろうか。どことなく不思議な、少し誇らしいような気分で桜は別の枝に触れる。白梅の次に花開いたのは、紅梅だった。


 次の枝は淡い色の桃の花。


 このときには隣室から薄布を乗せた盆が運ばれ、ずらりと並べられていた。そのひとつひとつに花が隠されているのだ。

 装束のせいで身動きが取れない彼女の代わりに、繊細な花を彼女に手渡すのは樹と槐である。

 過保護気味の兄ふたりの心配そうな眼差しに、桜はかすかに笑って返した。


 ふたりが側にいれば、なにも怖くない。


 また無事最初に花を咲かせることができたことで、余裕も生まれていた。

 静かに息を吸い込めば、やわらかな花の香りにも励まされているような心地になる。

 相変わらずチクチクと刺さる視線を感じるが、目の前の花々に集中し出すとそれも気にならなくなっていった。


 樹から白い藤の枝を、槐から薄紫のそれを受け取り、花器に挿す。


 薄紅の牡丹に、小さく可憐な萩の花、濃い紫の菖蒲、白と黄色の小さな菊の花、新緑と深紅の紅葉の枝――。

 ふつうは同時に見ることは叶わないそれぞれの季節の代表のような草木が、ひとつの花器に寄せ集められていく。


 そうして、最後に兄たちが運んできたのは桜の枝。


 そこに花はなく、蕾もなく、やわらかな萌葱色の若葉がついているばかりである。


 どんなに形よく生けたとしても、四季の華やかさを凝縮した花器はそれぞれの主張が強すぎてどうにもまとまりがない。それを桜の若葉はたちまちまとめ上げてしまう。

 また、その涼やかな色でほかの花々をいっそう引き立てる役割も果たしていた。


 桜の花ではこうはいかなかっただろう。


 花ではなく若葉が出てきたことに首をかしげていた周囲も、『花咲』が花器にそれを挿すとその効果に納得したらしかった。

 なにより今の季節、早咲きの桜はあっても、桜の若葉はどこの木にも見当たらない。物珍しさでいえば花よりも上である。



 珍しいもの好きの萌葱の国領主は、季節がら珍しいものばかりを集めた花器にいたく満足したようだった。


「さすがは我が『花咲』。見事である」


 忠朝が言うと、それまで静かに鑑賞していた家臣たちがざわざわと話し始める。

 そのほとんどが、季節はずれの花々へのほめ言葉である。とくに桜の萌黄色の枝が思いのほか好評だった。

 そしてこんな趣向を用意できる豊国家は素晴らしい、とお決まりの言葉が続く。


 なんとか及第点をいただけたらしい。

 

 桜は内心でほっと息を吐き出した。

 ほんとうに、桜の花を間違えて早く咲かせてしまったときはどうなるかと思った。

 過保護な兄たちの言った通りになったのは少し複雑な気分ではあるが、まあよしとしよう。


 ともかくもこれで『花咲』の披露は終わり。

 冬の間中、兄妹そろって悩まされたお役目は終わりだ。

 重苦しい衣などさっさと脱いで、とっとと家に帰ろう。


 口元が緩むのを必死で抑え、せいぜい優雅に一礼して退出しようとしたときだった。



「―――では、『花』をいただきましょう」



 おそろしく通りの良い声が響いた。


「―――は?」


 間の抜けた声を出したのは萌葱の国領主。

 同時に衣擦れの音がして、桜は腕をつかみ上げられる。


「……っい」

 自分の重みできしむ腕に顔をしかめつつ見上げれば、ずっと近くに刃のような黒い双眸があった。


 硬直しているとさらに腕を強く引かれ、抵抗する間もなく荷物のように肩に担がれる。

 いきなりぐんと高くなった目線と腹部の圧迫感に、桜は息を飲んだ。


「お、お待ちを―――青嶺どのっ!?」


 制止の声をあげたものの、宇佐の国の次期領主に見据えられれば、萌葱の国の現領主はうっとひるんでしまう。

 梶山青嶺がため息をつくのが肩に乗った桜には感じられた。


「なにか?」

「い、いやその。その、手にあるそれは『花咲』なのですが?」


「いかにも、そうだろう。偽者であれば容赦はしない」

 不機嫌なのをもはや隠そうともせず、宇佐の『青鬼』は低く言い放つ。


「わたしはあなたの掌中の『花』が欲しいと言った。そのためにそちらに都合の良い約定をいくつも交わしたのだ。あなたも快く承諾してくださったのではなかったか?」


 ―――では、『花』をいただきましょう。

 なぜ「では」が付くのか不思議だったが、前の会談から続いていたのか。梶山青嶺の肩の上で、そんなことをぼんやりと思う。

 自分の置かれた状況があまりに非常識すぎて、頭の回転が鈍くなっていたのかもしれない。


“快く承諾”したにしては、豊国忠朝は情けないほど慌てていた。

「い、いや、わわわたしは『花姫』のことだとばかり」


「花姫?」


 花姫、というのは萌葱の花と称えられる豊国家三の姫の別名である。


 だが宇佐の客人は、顔をしかめた。

 おそらく、しかめたのだろう。肩に背負われた状態ではどう頑張っても広い背中しか見ることが出来ないが、不快げな口調と不機嫌そうに硬くなる背中、それからびくっと引きつった忠朝の顔でそう予想をつける。


「“『花咲』の姫”だ。“『花咲』の中の『花咲』”。花姫とは別人なのか?」


 その呼び名に、今度は桜が顔をしかめた。

 身体が強張る。


 ――それは、自分の蔑称だ。


「あの………っ」


 失礼と知りつつ声を上げるが、「黙っていろ」とばかりに客人が腕に力を込めたので、腹部がさらに圧迫されて後にうめき声を続けることしかできなかった。


 この状況でいちばん失礼なのは、間違いなくこの傍若無人な鬼だろう。


 これから酒宴を予定していたはずだ。桜が花を生けている間に用意された酒肴には見向きもせず、彼は薄紅色の荷物を抱えたままさっさと広間を出てしまう。


 何の騒ぎかと駆けつけてきた者たちが、客人と『花咲』を見てぎょっと目をむいた。

 その中に兄たちの姿を見つける。

 今頃は彼らの片付けを手伝って、帰り支度をしていたはずだったのに。


 少々のことでは動じないふたりが、見たこともないほど驚いた顔をしている。

 それはそうだろう。自分だって何がなんだかわからない。


「に、さ……」

 兄たちに向けてどうにか声を絞り出したとき。



 彼女の視界をさえぎった若者がいた。


「おーいもしもし。これはどういうことだろう青嶺?」


 気安いがとことん冷ややかな声に、鬼はさらに顔をしかめたらしかった。

(なお)。『花咲』はもらった。とっとと帰るぞ」


「攫った、の間違いだろう」

 ため息をつきながらも、直と呼ばれた青年には梶山青嶺を止める気がないらしい。


 肩の荷物など感じさせない足取りでずんずん進む鬼に青年も続く。せめて攫われる娘の姿を野次馬から隠そうとでも思っているのか、彼のせいで兄たちの姿が見えないままだ。


「茶だの歌だの舟遊びだの、おれには向かないんだよ。こんなところで何日も我慢できるか。『花咲』が欲しいと言っただけなのに」


「ああ、うん。『花』ね」

 にっこりと従者の青年が微笑む。


 含みのある言葉に、青嶺は足を止めずに後ろを振り返った。


 急に向きを変えられて、桜は悲鳴をあげた。がっちりと腰に腕が回っているので振り落とされることはなかったが、思わず彼の藍色の衣を握りしめてしまう。


直亮(なおあき)。お前……知ってたな」

「何を?」

「勘違いされてることを」

「そりゃ、萌葱領主があれだけ馴れ馴れしければ気付くだろう、普通」

「……義理の息子扱いだったわけか」


 うんざりと青嶺がため息をつく。

「ほんと勘弁してくれ」


 心なしか歩き方がさらに荒くなった梶山青嶺は、自分たちに与えられた棟を素通りした。


「まさか、そのまま行く気か?」

 あきれたような従者の声に、今度は振り返らずに返事をする。


「のんびりしてたら、止められるだろう」


「…………いちおう人攫いの自覚はあるんだな」


 残っていた従者に荷物をまとめる指示を出し、直亮は桜にも声をかけた。胡散臭いとしか映らない笑顔を貼り付けて。


「すまないけど、もう少し辛抱してもらえるかな、『花咲』どの。悪いようにはしないから。青嶺は鬼とか人でなしとか呼ばれてるけど、鬼よりは幾分ましだから。たぶん」


 


 こうして桜は豊国家の別邸から連れ去られたのだ。


 



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