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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
53/54

桜花を待ちわびる2

過去話から、現在へ。


「ねえ、せりさん」


 いつまで経っても変わらない呼び方に、内心で苦笑しながらせりは返事をした。


「はい。なんでしょう桜さま」


 桜は、それに一瞬不服そうな顔つきをした。

 せりの現在の主が“様”付きで呼ばれることに慣れていないことは、よく分かっている。

 それ以前に自分がせりと同じ使用人であるという誤解をしていることも、知っていた。いや、往生際悪く思いたがっているだけか。


「桜さま?」


 それとは気付かれないよう、万感の思いを込めてせりは緩やかに主を呼ぶ。

 慕って下さるのはとても嬉しい。姉妹のように仲良くできるのはとても楽しい。

 しかし、彼女にだって譲れないものがある。


 なにしろ桜は『青鬼』の想い人、という実に稀有な地位にいるのだから。

 “様”付きと話し方くらい慣れてもらわなければ困るのだ。



 鬼が見初めたのは、鬼女でも天女でも人外のモノでもなかった。


 一部で崇め奉られているのは知っているが、それにしたって彼女の分け隔てなく気さくで優しい気性ゆえのことである。

 あの『青鬼』の側にいるのだ。彼女にとってはちょっとした心遣いでも、周囲には乾いた大地を潤す恵みの雨のようにじんわりと身に染みる。

 どうやらただ人では有り得ない不可思議な“力”を持っているらしいが、それすらせりたち側近くで仕える者にとっては付け足しに過ぎない。


 あくまで自分を庶民だ普通だと言い張る困った主は、きっと分かってはいないのだ。


 『青鬼』梶山青嶺を相手にしたときでさえ同じ態度を貫くのが、どれほどの偉業か。

 それだけでどんなにせりたちが驚愕し、崇敬の念を抱いているか。


 どれだけ言っても周囲が“様”付けと丁寧な言葉遣いを変えようとしないので、それに関してはそろそろ、ようやく諦めかけているようだった。

 これで“お方様”とか“奥様”とか呼ぶようになったらまたひと悶着あるのだろう。


 そんなことを考えていたから、不本意ながら次の言葉に反応が遅れた。


「あの、せりさんは好きな人いないの?」


「………っ、はい?」


 いま、何を?

 愛するべき主の言葉である。聞き逃してはいなかったが、その内容は彼女の口から出るにはあまりに突飛なものだった。


 がちゃん、と不穏な音がせりの隣から上がる。


 ちなみにいまはちょっとした休憩時間で、見習いであるせりの妹・なずなが練習も兼ねてお茶を入れていた。

 無作法にもころころと転がってきた器を手にとって返せば、なぜかやたらと動揺している風のなずなが「ご、ごめんなさい」と恐縮する。

 そそっかしいところのある妹だけに、とりあえず火傷がなかっただけ良しとしよう。


「……それで桜さま。いきなりどうしたんですか?」


「その、ちょっと頼まれ……じゃなくて、えーと」


 自分から話をふったくせに、なにやら気まずそうに視線をそらす主。

 非常に、怪しい。

 なんだか嫌な予感がするのは、凪の方に仕えていた頃の名残だろうか。


「あの、戦で婚約者の方を亡くしたっていうのは聞いたんですけど……」


「はい」


 彼女たちくらいの年頃ならば恋愛事に興味津々なものだが、どうも少し違う気がする。


 そもそも桜は、嬉々として人の色恋に首を突っ込みたがるような性格ではない。

 というより、他人の色恋どころか自分のそれにもあきれるほど無頓着で無自覚なのだ。


「まだ、その人が好きなんですか?」


「………いえ」


 この問答に、いったい何の意図があるのだろう。

 とりあえず、せりは正直に淡々と答える。


 「……婚約者といっても親が決めたものですし。幼馴染でしたから悲しくはありましたけど……正直なところ、婚約者を失ったという実感はあまりないのですよ。薄情かもしれませんが」


「え、そうなんですか?」


「それに、結婚はそのうちすると思います。家のためにはわたしかなずなが婿をとらなければならないので」


 当たり前の話だった。そして珍しくもない話だった。

 じっさいいくつか……いや、いくつも縁談は来ているらしい。

 青嶺を慕う若武者たちも多く滞在するこの西峰城で、思わせぶりな態度をとられたり、熱心に言い寄られることもあった。

 適齢期を過ぎそうな自分に、それは有り難いことなのだろう。


「じゃああの、気になる人とかは?」


「そうですねえ……」


 結婚に興味がないわけでもない。せりにとってそれは義務であり、まだどこかで夢を抱いている事柄でもある。

 しかし言い寄られても、今はそれらにまったく心が動かないのも事実だ。


 そう。今は―――。


「桜さまが嫁ぐまで、わたしは桜さまにお仕えしたいのですが」


「え、わたしですか?」


 わたしのほうが年下ですよ? とちっとも主らしくない主は困惑したように眉根を寄せる。

 そこでどうして困った顔をするのか、それこそせりにはわからない。


 むしろ早く、とっとと名実共に西峰城の女主人になっていただきたい。

 結婚してしまえば、一時的にでも西峰を離れなければならないだろう。桜の晴れ姿を見逃すような真似を、どうして出来るというのか。


 『青鬼』は桜に対してだけは強気に出られないらしかった。

 だからこそ彼の想いはあからさまで、西峰で知らない者はいない。

 戦では周囲の度肝を抜くような行動力を発揮するくせに、その持ち前の強引さをどこに置いてきたと頭を抱えたくなる。

 桜のほうも、いまだに自分は使用人だと言い張りそれを盾に変な遠慮をしている節がある。状況によっては平気で鬼を怒鳴りつけたりしているので、こちらも今更だと思うのだが。


 そんなわけで、いまだに彼らの関係は微妙にして絶妙な距離を保っていた。それを微笑ましいと思える期間はとっくに過ぎてしまっている。


 以前は目が合っただけで殺されると震え上がっていた宇佐の跡取り息子を、心の中で「朴念仁!」と罵倒している時点で影響をしっかり受けていることには、気付かないせりだった。


 桜を逃せば、きっと青嶺の代で梶山家の直系は途絶えてしまう。

 西峰の誰もがそう考えている。

 のんびりしているのは当事者のふたりだけだ。


 それにしても、である。


 男だらけの殺伐とした西峰城で「あなたたちがいてくれて心強いわ」と言ってくださっていた桜が、せりの結婚を匂わせるような…自分を遠ざけるような発言をするとは。


 誰だ、余計なことを桜さまに吹き込んだのは。


 主にはいい笑顔を保ちつつ、ひややかな気分でせりは思う。

 いくら自分が適齢期ぎりぎりのお局だからといって、あんまりではないか。


 ぎりぎりとはいえしっかり結婚適齢期の範疇に収まり、西峰城の若者たちからある意味桜よりも熱く注目されていることを、せりは知らない。

 そして「鈍いところまで影響を受けなくてもいいだろう」と嘆かれていることも。






「うーん、はぐらかされた、のかな?」


 首をひねる桜に、「いいえ」とため息混じりに答えたのはなずなだった。


「本気で言っていると思います。うちの姉さまも、けっこうにぶい人なので」


 そもそも探りを入れるとか駆け引きとか、この素直な女主人には無理なのだ。

 頼む相手を間違えている。


 それ以前に、と姉よりも面の皮の鍛え方が未熟な侍女見習いであるなずなは、悔しげに唇を噛む。


 そもそも妹の自分に断られたからといって、いくら桜さまが天井知らずのお人好しだからといって、侍女の気持ちを確認して来いとか桜さまに頼む馬鹿がいるものか。

 交代で一、二度身辺警護をしただけなのに、ずうずうしいにも程があるあの優男!


 “あんなヤツ”を主に近づけてしまったのは、自分の落ち度だ。


 空気が読めない上にどうしようもないあの優男を義兄と呼ぶことだけはなんとしても阻止したい、と彼女は拳を握りしめる。

 父が再三送ってくる見合い話の中に、あれの釣り書が紛れ込んでいるのだとしても。


 桜さまの優しさに付け込むような輩は、もちろん桜さまの周辺から排除だ。



 苦労性を勝手に自負するなずなの願いは、案外すぐに聞き届けられることになる。






 桜の周囲を、もの問いたげな若い男がうろついている。


 そんな噂が広がれば、『青鬼』が黙っているわけがなかった。


 なにしろ彼女、というか彼女の一族に関しては、探りを入れようとする者や手に入れようと画策する者が後を絶たない。萌葱の国だっていまだに取り戻そうと小細工を仕掛けてくるほどだ。

 阿賀野保行という前例だってある。

 気にするなというのが無理なのだ。


 そんな状況の中、不用意に近づいた青年は迂闊としか言いようがなかった。


 “不審者”は文字通り鬼のひとにらみで追い払われ、二度と桜たちの目の前に現れることはなかったという。






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