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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
52/54

桜花を待ちわびる1

また侍女話になります。

短めですが、キリがいいところで二話に分けています。




「さびしくなるわ、せり」


 彼女の前でほう、と憂いを含んだため息をこぼすのは、(なぎ)(かた)

 宇佐領主の正室であり、次期領主となる嫡男・梶山青嶺を生んだ女人でもある。


 せりは、侍女として彼女に仕えてちょうど二年だ。

 一定以上の家柄の娘が短期間に城勤めをするのは、そう珍しいことではない。

 理由は行儀見習いのため、将来に備えた人脈作りのため、そして将来有望な結婚相手を見つけるためである。彼女たちは城勤めの経験があるというだけで一目置かれる。


 せりも自身の経歴に“箔”を付けたい行儀見習いの内のひとりだった。

婚約者はすでにいるので、結婚するまでと決められた期間限定の侍女仕事である。

 戦続きのせいで、従軍している彼女の婚約者はほとんど故郷に帰ってこない。よって予定されていた祝言は延びに延び、彼女もこれを幸いと仕事を続けていたのだが、しびれを切らした両親から帰還命令が下り、仕方なく暇請いをしたのだった。


 結婚することに異存はないが、故郷に戻りたいとはあまり思わない。


 本当は、もう少し凪の方の側で仕えたかった。

 ここは宇佐の本拠地である羽藤(はとう)。伝え聞く隣国・萌葱には及ばないかもしれないが、土臭い故郷に比べればずっと洗練されたきらきらしい場所なのだ。女性用の小物や反物もずっと安価で種類が豊富な上簡単に手に入れることができる。若い娘なら、誰でも留まりたいと思うに違いない。


 それに、婚約者とは気心が知れていて縁談そのものに不満はないが、お互いにとくべつな情熱もない。

 いつだったか、あまりに淡白なせりと婚約者の関係に同僚があきれていたことがあった。

 しかし家のためには婿を取らなければならないのも事実で。

 自分勝手にそれを放棄できるほど、せりは物知らずでも無責任でもなかった。


「もう少し、ここにいることはできないの?」


 寂しそうに言われれば、良心が痛む。


 凪の方は、末端とはいえ中央の帝に仕える貴族の姫君である。

 箱入りの姫らしくおっとりとして、とても大きくていかつい息子がいるようには見えない可愛らしい人だ。


「申し訳ありません。そういうわけには……」


 女主人は「そう。そうよね」と悲しげに顔を曇らせる。


「手紙をちょうだいね。あなたの故郷の様子も知りたいわ」


「もちろんです、お方様」


「婚約者どのにも、どうぞよろしくお伝えして」


「光栄です」


「………ねえ、せり」


 甘えるような声音。

 これは、彼女が少々無茶なおねだりをするときのものだ。


 この上もなく無邪気な、そして性質の悪い凪の方の表情に、せりも、そして奥方の周囲に侍る侍女たちもひくりと頬を引きつらせた。


 ……はじまってしまった。


 凪の方は高貴な出自を鼻にかけず、また誰にでも気さくに話しかけてくれるとても良い主だ。


 しかし、彼女には困った癖がある。


「あなたのような気立てのよい娘を妻に迎えられる殿方は、幸せ者です」


 ごくりと唾を飲み込んで、せりは慎重に返事をした。

「……いえ」


「あなたがわたくしの義娘になってくれたらいいのに」


 せりの顔が思わずひきつる。そして、ほかの侍女たちのそれも。

「…………も、もったいのうございます」


「ねえ。もう少し、わたくしの傍にいてくれないかしら?」


「…………」


「それで、ちょっとだけでいいから息子に会ってみる気は――」

「申し訳ありません。それだけはご勘弁下さい!」


 控え目を装いながらもはっきりきっぱりと即答し、素早く平伏する。

 優秀な侍女の何やら鬼気迫るような様子に、凪の方はしゅんと眉尻を下げた。


「…………そう」


 困ったようにその辺を見回すが、周囲の侍女たちの誰もがぎくりと顔を強張らせ、目が合ったら負けとばかりに必死で顔を伏せている。


 ―――うちの息子のお嫁さんにならない?


 自分が気に入った若い娘にそう誘いをかけるのが、最近の奥方の悪癖だった。


 凪の方は、とても良い方だ。


 良い方なのだ。コレさえなければ。


 退職前の侍女にこんな話を振るのも、半分は冗談だが半分は本気である。

 心境としては、数打ちゃ当たるに近い。


 普通なら、領主の奥方にこんなことを言われれば、願ってもない玉の輿と顔を輝かせて喜ぶのかもしれない。

 じっさい、城に奉公に上がることで上の目に留まることを夢見る者だっている。


 しかし、ここ宇佐では少々事情が異なる。


 たおやかな凪の方の「うちの息子」は、名を梶山青嶺。

 かの悪名高き、宇佐の『青鬼』なのだった。



 そもそも『青鬼』にヒトの伴侶を迎える気があるのかどうか。

 どんなに肝の据わった女性でも野心のある女人でも、彼の前に立たされれば比喩ではなく泣いて逃げ出す。

 とくに妙齢の女性に対しては、むしろ威嚇しているとしか思えない態度なのだ。玉の輿など夢見る暇も与えられない。


 常に戦場に立っているかのような苛烈な眼差し。何を見ても、誰に会っても表情が和らぐことはない。


 生みの母親を前にしてさえそうなのだ。

 まあ凪の方に関しては、顔を見れば「いい加減わたくしに義娘(むすめ)をちょうだい」と繰り返し繰り返しねだり、顔を見せる度に重鎮たちの娘やら自分の侍女たちやらを勧めるものだから、息子としてはかなりうんざりしているようではあった。


 それでも武器を百は仕込んでいそうな鋭い視線をやんわりと受け止め、「やんちゃに育ったわねえ」とのんびり優雅に笑う凪の方は、とっくに慣れてしまったのか、さすがは鬼を生んだ母親というべきか……大物なのかもしれない。


 侍女たちの緊迫した空気を知ってか知らずか、彼女は長い長いため息をつく。


「どうして青嶺にはお嫁さんが来ないのかしらね………?」


 奥方の悩みは深い。


 彼女の息子は宇佐領主のひとり息子ある。跡取りを残さなければならない立場であれば、その悩みは宇佐の国の悩みと言っても良かった。


 しかし女主人の問いに答えられる者はいない。

 女主人の期待に応えられる者もまた、いなかった。


 若君とて、最初からこうだったわけではない。

 じっさい縁談らしきものがいくつも来ていたらしい。十四歳の頃には、ほとんど婚約が決まりかけた相手も存在した。

 しかしその縁組は、突然白紙に戻される。

 ある日を境に、急に相手の姫君は彼を怖がり始めた。それこそ鬼でも見たかのような狂乱ぶりだったという。


 それからは破談に次ぐ破談だった。


 元服直後の若様が、いったい何をやらかしたというのか。

 当時を知る者は頑なに口をつぐんでいるのだが、戦での獅子奮迅の活躍と冷酷無比な仕打ちが嫌でも耳に入ってくる身としては、知らないだけに逆に空恐ろしいのだ。


 そんな恐怖の権化を前にして、凪の方のように泰然と構えることは、せりにはできない。


 せりは神でも仏でもないただの人で、相手は鬼なのだ。命だって惜しい。

 ほかの誰もがそう思っていたことだろう。


「青嶺を怖がらない娘が、この世にひとりくらいいてもいいと思うのよねえ」


 「好きな」ではなく「怖がらない」と言うあたり、息子を取り巻く環境を彼女はよく知っていた。


 なんだか途方も無い話だ。

 果たしてこの世にいるんだろうか、そんな奇特な…いや、稀有な方が。


 無礼を承知でそんなことを思いつつ、せりは御前を辞した。




 その後、婚約者が祝言の前に戦で亡くなり。


 また奉公に来てはどうかという凪の方の勧めにうっかり応じてしまったところ、勤め先は何の因果か『青鬼』の住まう西峰で。


 しかも侍女なのになぜか下女のような仕事まで任され。


 行儀見習いでついてきた妹のなずなと一緒に戦々恐々と日々を過ごしていたある日。


 せりは、“彼女”に出会ったのだ。







2は明日投稿予定です。

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