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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
51/54

西峰の台所事情

おひさしぶりです。


そして……申し訳ありません。しょうもないです(汗)

西峰の砦に、美人姉妹侍女がやってきた。



その噂は、驚愕の速さでもって砦を駆け抜けた。

敵襲を知らせる鐘に決して引けを取らないものであったという。


 つまり、それほど西峰が寂れ、潤いが著しく欠如した環境だったということでもある。


 そもそもこの西峰という土地は、もとは峰仙ほうせんという国の一部だった。


 もともとはわずかな平地に田畑と集落が点在する長閑な場所だったが、戦で荒らされてからは人が寄り付かなくなり、そのまま手付かずで放置されていた。 

 宇佐が波座なぐらを攻める拠点としてここに城を築くことにしたはいいが、近くに大きな集落もなく、労働力を確保するだけでひと苦労であった。まして若い女性など、きわめて珍しく貴重である。


 血気盛んな若者を多数抱えているにもかかわらず、築城を宇佐領主から命じられた嫡男・梶山青嶺はそういったことに悲しいほど無頓着だった。無頓着どころか、自分の怖い噂と怖い顔を利用して威嚇しわざと近寄らないように仕向けているふしさえあった。

 とばっちりを食らって数少ない出会いの機会まで潰されている彼の若き部下たちは、いい迷惑である。


 だが青嶺を生んだ正室・なぎの方の推薦状を携えてやってきた彼女たちには、さすがの『青鬼』も問答無用で追い返すことはできなかったらしい。


 今さら、という気がしないでもない。

 世話係がいなくても、少なくとも梶山青嶺は何の不自由も感じていなかったのだから。


 凪の方が彼女たちを送り込んできた理由は、明白である。


 侍女はいらない。側室もいらない。しかし、表立って追い出すわけにもいかない。

 追い出したところで、次の“侍女”が送られてくるだけだろう。


 それを面倒くさいと感じた青嶺がとりあえず彼女たちを配属したのは、炊事場だった。


 これには城内の若者たちがこっそり喝采を上げた。


 まず、鬼を目の当たりにして若い娘たちが泣いて逃げ帰るという事態が回避できた。


 失礼な思考だが、じっさい過去にそんな事例があったのだから仕方ない。

 じっさい、下働きの真似事を命じられた姉妹は戸惑っていたようだが、同時に鬼の側仕えでなかったことに胸をなでおろしたようだった。


 そして炊事場ならば、気安く出入りができる。つまり、誰でもお近づきになれる可能性があるということだ。

 侍女という職は、それなり以上の教養が求められる。行儀作法を身に付けたいそれなりの家の子女が奉公に上がることも珍しくはなく、つまりは花嫁としても優良物件なのだ。婿探しこそを目的として奉公に上がる者だっているくらいだ。


 それに家族のもとを遠く離れた働き盛り食べ盛りの若者たちは、いわゆる“おふくろの味”というやつに非常に飢えていた。

 なにぶん男所帯である。豪快といえば聞こえはいいが戦場と変わらない実に野趣溢れる食事は、慣れもあってそう不味くはないのだが、正直なところ飽き飽きだったのだ。


 若く美しい侍女姉妹に、彼らは食事事情の改善を期待したのだ。



 男たちの淡い期待は、最後のそれに関してのみ、木っ端微塵に粉砕されることになる。


 姉妹は、料理に関してはまったくの素人であり、いわゆる料理音痴だったのだ。





     ☆  ☆  ☆




 姉のせりは控えめで物静か。宇佐領主の正室・凪の方に仕えていたというだけあって、年不相応にも見える落ち着きと気品を兼ね備えた女性だった。


 見習いである妹のなずなは天真爛漫。誰とでもよく笑いよく話す。その無邪気な笑顔は、年不相応にあどけなく周囲を魅了してやまない。


 まさしく荒れ地にぽっと咲いた可憐な花のようであった。


 侍女としては、おそらく有能で有望な姉妹なのだろう。

 凪の方からの推薦状を持っていたことからも、それは明らかだ。


 だが、有能な侍女だからといって料理まで上手に作れるかというと、そうとは限らない。

 むしろ比較的裕福な家の出であることが多い彼女たちは、料理は使用人が作るものであって、自分たちが用意するという意識が薄い。ここのように大所帯の食事ともなれば、なおさらである。


 彼女たちによって、それを西峰城の面々は痛感することになった。


 彼女たちの目下の仕事場である炊事場には、誰も近寄ろうとはしない。


 近寄れなくなったのだ。心情的に。




「あっ!」


 がたん。ずさり。


「えっ」


 ばしゃん。がらん。ぱりん。


「あら」


 かしゃん。ごとん。


「まあ」


 どすり。


 今日も今日とて、炊事場からは物騒な音が聞こえてくる。


「大丈夫? なずな」


「はい……姉さまこそ」


「わたしは大丈夫だけど………」


 しばらく流れる沈黙。


 その間もじゅわじゅわと何かが蒸発するような音と怪しい湯気と予断のならない匂いが、炊事場から溢れてくる。


「ひっくり返ってしまったわ」


 おっとりとせりが呟けば。


「こぼれちゃいましたね」


 なずながしゅんとした声で応じる。


 大惨事のはずなのだが、姉妹の間には妙にのんびりとした空気が漂っていた。

 それは、大して珍しくもないいつもの光景だったからだ。


 ぼこぼこと吹きこぼれた鍋を最初に発見したのはなずなである。

 そして慌てて駆け寄ろうとした結果、盛大に転んで持っていたしゃもじを鍋のふちに引っ掛け、傾けてしまったのも彼女だ。


 ちなみに妹よりもかまどの近くにいたはずのせりは、作業に集中するあまり鍋の様子には気付いていなかった。

 妹が転んで鍋も転んで、そこでようやく振り返り、驚いて包丁を取り落としたのだった。彼女の足元には、小さな芋の皮を剥くにはかなり大きく無骨な刃物がざっくりと地面に突き刺さっている。


 せりはのんびりと包丁を引き抜いた。

 それから傾いた鍋をのぞきこみ、ふむ、と考える。


「……でも、たくさん作りすぎたと思っていたから、半分くらいで調度いいのかもしれないわ」


 せりが苦笑する。

 半ば以上、彼女は本気でそう思っているのだった。


 味見をしてみてはどうでしょう。

 ある意味決死の覚悟でとある若者――どうやらくじ引きで決めたらしい――から助言をもらったせりは「まあ、ありがとうございます」と素直にお礼を言って、それを実行することにした。

 なるほど味見。器に盛る前に口に入れてしまうなどはしたないと思っていたが、見た目で味が分からない以上、舌で確かめるしかないのは当たり前だ。


 ところがこの味見という行為、なかなか難しかった。

 塩味がきついと感じて水を足し、薄いと感じて塩や味噌を足す。するまた味が濃くなり、水を足す……。

 これを繰り返していると、鍋の中身は水気だけが増える一方だった。

 しかもずっと煮込みかき混ぜているので、中の具が煮崩れてどろどろになっている。すでに何が入っていたのか分からないほどに原型はなく、怪しい色の液体がぼこぼこと不気味な泡を吹いていた。

 それでもしつこく味見をしていると、味覚までぼやけて調度良い味加減が分からなくなってくる。これでは味をみている意味がない。


 それでも器の破片やら砂やら枝葉やら、食べられないものが混入しなくなっただけ、まだ彼女たちは進歩している。

 ぼや騒ぎを起こしたり、かまどを破壊しなくなっただけ、まだましだ。


 ……たぶん、ましなのだ。



 傾いた鍋をどうにかかまどへ戻すと、なずなも不安げにそこをのぞき込んだ。

 こぼれる前から妙な匂いがすると思ったら、鍋の底はすでに焦げ付いていたらしい。


「やっぱり、少ないかなあ」


「人数がすくないのだから、大丈夫ではない?」


 現在、西峰城主・梶山青嶺は西峰に居なかった。


 萌葱の国領主、豊国忠朝に招かれて隣国へと出向いているのだ。


 主だった側近たちも彼に同行しているので、通常よりは用意しなければならない食事の量は少なくて済むし、少しは気が楽でもある。

 それはつまり、炊事場の担当を変えられる権限を持つ人間が不在だということでもあったのだが。


「そうねえ……それなら、この里芋を入れましょうか」


 翌日の下ごしらえに剥いていた芋を、せりは指差す。


 最近、ようやく次の献立を考える余裕が出てきたのだった。

 ただし、うっかりしていると現在の作業がおろそかになることも、まあ、たまに、あるのだが。

 そしてせっかく下ごしらえした食材をこうして前倒しし使うことも、まあ、よくあることだった。


 また溶けてしまったら大変、と細かく切らずに生の芋を煮詰まった鍋の中にごろんごろんと投入する。


「ご飯も少し多めに炊いたほうがいいかしら」

「あ、じゃあお粥にしてみるとか」


 食べ盛りの若者が多いので、食べ応えのあるものがいいのかと思って芯が残るほど・・・・・・固めに炊いていたご飯だが、「消化の良いもののほうが助かります」と、これまたどこか思いつめた表情で彼らから訴えられたので、ときどき粥を作っている。


 半生米か、糊状の粥か。究極の選択である。


 胃の不調を訴える者が、なぜか西峰には多い。

 宇佐の『青鬼』のもとで働くのは、やはり神経を使うのだろうか。


 ためらいもなく、そして気持ちが良いほど勢いよく、なずなは米を炊いている最中だった釜の蓋を開けた。

 とたん、熱く白い湯気が彼女の顔に襲い掛かる。


「ああっ」


 ぐわんがらん。ごとり。


「なずな、大丈夫?」


「うう…ちょっと失敗しました」


「もう。あなたはそそっかしいんだから、気をつけてね」


「はい。姉さまも。のんびりしすぎて焦がしちゃ駄目ですよ」


「そうね。ふふふ……」


「えへへ……」


 のほほんと、実にさわやかに姉妹は微笑んだ。


 実に心温まる光景ではあった。

 ……周囲の惨状を視界に入れなければ。


「まあ、そろそろ食事の時間だわ。仕上げてしまいましょうか」


「はーい。あ。でもさっきの芋がまだ――」


「大丈夫。あんなに熱いんですもの。きっと皆さんに出す頃には軟らかくなっているはずよ」


「そっか。そうですね。余熱で調理というやつですね。さすが姉さま!」


「ええ。また焦げ付いたら大変でしょう?」


「じゃあ、火は消しちゃいましょうね」


 鍋の中身がこぼれたおかげで燻るばかりだったかまどの火に、なずなは水をばしゃんとかける。


 こうして生の里芋に火が通る機会は失われた。


 そしてまた医務室の胃薬の在庫だけがなくなり、侍医が眉をひそめるのだった。



 ちなみに、西峰城の侍医である朝東風数馬は、自分と病人の分のみ、自炊していた。


「医者が倒れるわけにはいかんだろうが」とため息混じりに正論を吐きながら。






☆  ☆  ☆





 どさどさ。

 がらがらがっしゃん。

 ぱりぱりん。


 今日も今日とて、炊事場から奇怪な音が響いてくる。


 普通、炊事場というのは騒がしいものだ。

 たしかにここは騒々しい。騒々しいが、なんだかその種類が違うような気がする。

 食材の搬入やら何やらで人の出入りもあるはずなのに、周囲に人がほとんど見当たらない。


「ほんとうに、ここへ入るんですかー……?」


 病み上がりの細く小さな侍女が不安げに桜を見上げてくる。

 そして彼女の視界には入っていないものの、『青鬼』に付けられた護衛という名の見張りたちも同じような顔つきをしていた。


「………ええ」


 不覚にも返事に少し間が開いてしまったのは、仕方がないことだと思う。

 それくらいに盛大な破壊音だった。いったい今のでいくつの食器が割れたのだろう。


 ここにいるという、新しく桜の“侍女”になったせりとなずなは無事だったのだろうか。

 悲鳴らしきものは聞こえなかったので、まあ大丈夫だと思いたい。

 数少ない同年代の女性に親近感を覚えたのも、彼女たちがいる炊事場に行ってみようと思った理由だ。


「さほは寝ててもいいのに。まだ身体がつらいでしょう」


「それはひ…桜さまだってそうじゃないですか」


「わたしは何ともないってば」


 桜はむっと顔をしかめる。

 このやりとりも、もう何度目だろうか。


 変に勘繰られないようにする為にも、ずるずると寝ているわけにはいかない。

 それに少しでも具合が悪そうに振る舞えば、自分よりもずっと長く苦しんでいたはずの小柄な侍女が、「自分の看病なんかしたせいで」とどっぷり落ち込むに決まっているのだ。


 いま桜に与えられている部屋は、新築であることもあって最初に押し込められた離れより広くて清潔で居心地が良く、なにより暖かい。

 しかし残念ながら――というか当然ながら、食事を作るための設備はなかった。


 自分で用意しようと思えば、炊事場に乗り込むしかないのだ。


 もっとも、この時点で彼女は城内の食事全般をどうこうしようとは思っていなかった。


 炊事場の片隅を貸してもらえれば、自分とさほの分くらいは作れるかな、といった程度の気分だったのだ。


 そしてこれを実行できるのは、城の外に出なければ好きにしていいと鬼の言質を取ってある今しかない。だからこそ護衛という名の見張りたちも彼女を止められずにいるのだ。


 まさか昨日の今日で『花咲』が真っ先に炊事場に行こうとするなど思いもよらなかったのだろう。


 

 そのとき、またぱりんかしゃんと音がした。


「……本当に、入るんですか?」


「………ええ。もちろん」


 美味しく安全な食事を手に入れるために。



 まさか、この無謀な行動が後に思いやりと勇気あふれる行動と熱烈に賞賛されることになろうとは、このときの桜はまるで想像していなかった。




 




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