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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
49/54

もうひとりの鬼3

時間や場所などバラバラですが、いちおう繋がっているので通し番号をふっています。

今回は槐兄ちゃんVS梶山祖父ちゃん。



 この者、風巻の大殿が探し求めた『癒し手』が実子、『花咲』である。




 そんな、実に簡潔な、けれどもきわめて重要な内容の書状を携えて梶山保経のもとを単身訪ねてきたのは、一見頼りない風情のほっそりとした若い男だった。


 都の貴族たちのようにすらりと伸びた細い体躯、小さな顔。

 比較的大きな目を柔らかく細めた笑みは穏やかで、歳不相応に若く見える顔立ちをひどく老成したものに見せている。目の前の青年のそれはいくらか軽薄に見えるものの、たしかに―――『癒し手』の、面影があった。


 書状の署名は朝東風数馬。無骨で奔放な筆跡は、たしかに彼の筆跡である。

 すでに主従の関係ではないとはいえ、朝東風数馬は小賢しい嘘をつくような男でも、それで誰かを陥れようとするような男でもない。

 もう何十年も昔に保経のもとを去り、その後は同じ国にありながら手紙のやりとりすら皆無であったかつての盟友が、いったい何を思って彼を寄越したというのか。


 しかし、そんなことは保経にはどうでも良かった。


 『癒し手』――いや、『花咲』が彼のもとに現れた。それこそが重要だった。


「ああ……」


 保経は感嘆とも安堵ともつかないため息をもらす。

 長かった。ほんとうに、長かった。

 神がかった彼らの“力”を再び手にする、そのときまでが。


 西峰に留め置かれている『花咲』が取るに足らない侍女ひとりと青嶺の矢傷に“力”を行使したと報告を受けたときは、嫉妬と焦燥を抑えきれずに周囲を怒鳴りつけたものだったが。


「苦しんでいらっしゃったのですね」


 恭しい口調ながら、『花咲』の青年は臆することなく真っ直ぐに彼を眺めやる。

 そして、全てを見透かしたかのようにうっすらと微笑んだ。


「父はとうに亡くなりましたが、父に代わってわたくしがあなたを救って差し上げる」


 殊勝な言葉に、保経はいたく満足した。


 だから「お人払いを」という彼の要望を、快く受け入れた。


 言われるまでもなく、そのつもりだった。

 保経は、長年仕えてくれた腹心の部下たちにさえ『癒し手』の技を見せたくなかったのだ。


 『癒し手』の“力”が決して無尽蔵ではないと彼は知っていた。



 そう、知っていたのだ。




     ☆   ☆   ☆





 梶山保経は、自身に何が起こったのか分からなかった。


 目の前にはあの『癒し手』に良く似た、若い男の冷ややかな顔。


「ご気分はいかがですか」


 保経は見下ろされていた。

 男は変わらず泰然とそこに座り、保経がうずくまっているのだ。


 疑問の言葉を口にするよりも先に、のどからひゅっと枯れた音が漏れ出る。


「苦しんでいらっしゃるようですね」


「き、さ……、何を―――」


 軽薄な笑みを浮かべ、彼は保経の肩をぐいっと押しやった。

 細い枯れ木のような老人相手とはいえ、彼を『花咲』は片手で苦もなく仰向けにする。


 慣れ親しんだ寝床に倒されながら、保経は呆然と目を見開いた。


 宇佐の猛者たちに比べれば明らかに脆弱な風情の男に、まるで抵抗することができなかった。

 まるで骨という骨すべてが粉々になったかのように四肢が重い。

 なぜ身体が思うように動かない。力が入らない。


 ―――たった一瞬、目の前の若い男が手のひらを彼にかざしただけで。


「返していただきました」


 なにを、と問う前に『花咲』の青年は言った。


「あなたがかすめ取った、わが父の“力”を」


 保経に向かってかざしていた手を、彼は目の前で握りしめる。

 まるでそこに掴んだのだと言うように。


「ま、さか―――」


 ようやく絞り出した声はひどくかすれていて、言葉になったどうかも怪しい代物だった。

 これではまるで・・・・・・・非力で・・・弱い老人のようだ・・・・・・・・


 だが、言葉を向けた青年には伝わったようだ。

 彼は、うっすらと微笑んだ。


余分な(・・・)“力”を回収するぐらいはできるんですよ」


 そう。本来の治癒目的以上の“力”。

 父である先代『花咲』が保経に渡してしまったそれ。

 これのおかげで父はもちろん自分たちの家族が多大な迷惑を被り、しなくてもいい苦労を負う羽目になったのだった。


「もっと、早くにこうしていればよかった」


 たとえ父に関わるなときつく言い渡されていたとしても。

 父に父の生命を返すことができなくても。



 瀕死の行き倒れを、動かすのも危険だからとその場で救った父の施術は完璧だった。


 だが、その後に彼も予想がつかなかった出来事が起きた。


 致命傷は塞ぎ、あとはただ寝ていても自然に回復していくだろう。そう判断した段階で、父は手を引こうとした。

 しかし、意識がなかったはずの行き倒れ――梶山保経は、とっさにその手をつかんだ。


 溺れる者は藁をもつかむというが、まるで亡者が生者に群がるごとく引きちぎるような、あるいは一緒に沈め潰してしまうかのような勢いでもって藁を握りしめた。

 父が驚きのあまり制御を誤ったのか、保経の異様なまでの回復力が作用したのか。結果として、必要以上の膨大な“力”が保経の体内へと流れてしまったのだ。


 大きすぎる“力”は、大きすぎる負担を強いる。

 父はこのとき、一瞬にして“力”ばかりか“生命”までを削ぎ取られた。

 回復し補うことが不可能なまでに、寿命を縮めたのだ。


 槐の知る限りでは、これ以降父が“力”を行使することはなかった。

 なにより周囲がそれを許さなかった。母親が病で死の床にあったときでさえ、妻である彼女は父の“力”を拒んだのだ。


 保経もただでは済まなかった。強大すぎる回復力に身体が追いつかず、猛毒を体内に入れたかのように数日間苦しみ続けた。

 だがもともとの強靭な精神と肉体、そして生への執着によって、彼は生き延びた。

 それどころか、“力”を得たことでより丈夫な身体を手に入れていた。


 保経は死んでも死にきれない。そんな肉体になったのだ。


 それでも尚『癒し手』を探し求める彼は、平穏に暮らしたい家族にとっては死神のようなものだ。


「ずいぶんと苦しかったでしょう」


 先程とまるで変わらない口調と顔つきで『花咲』の青年は言った。


「本来の寿命を越えて生かされていたのですから、苦しいはずだ」


「………、な」


「大丈夫です。その苦しみも、あとわずかで終わる。楽になれますよ」

 救って差し上げると、言ったでしょう。


 待ち望んでいた『癒し手』からの言葉だった。

 しかし、望んだ結果では断じてなかった。


 認めたくはなかった。

 だが、唐突に彼は気付いてしまった。


 かつての腹心、朝東風数馬は謀をもっとも不得意とする真っ直ぐな気性の持ち主だった。

 だから保経は書状の内容を無条件で信じた。

 嘘がつけない数馬の書状に、嘘偽りはなかった。

 だが簡素な文章には、真実も記されてはいなかった。おそらくは、意図的に。


 干からびた枯れ木のような身体が、かたかたと震えだす。

 それも肉体が急速に衰えたためか、あるいは目の前の男に対する恐怖のためなのかはわからない。


「わ、わしは―――」


「寿命をどうにかする術など、ないんですよ」

 それがあれば、父も母もあんなに早くこの世を去ることはなかった。させなかった。


 そうでしょう? と青年は老人を睥睨する。


「普通に考えて、できるわけがない」


「は………」


 反論が思い浮かばない。

 もとより腹の底から怒鳴るような力は、すでに保経の体内には残されていなかった。


 梶山保経という人物は、決して信心深いほうではなかった。神仏にすがり、ひたすら手を合わせ祈るなど馬鹿馬鹿しいと一蹴するような。

 奇跡のような“力”を彼に見せつけて考えを改めさせたのは、いまは『花咲』と呼ばれる彼ら一族だ。


 しかし、そんな幻想を打ち壊したのもまた『花咲』だった。


 ようやく―――ようやく目が覚めたというように、保経は瞬きをする。


「父だけでなく、妹まで奪おうとしたあなたは正直殺しても殺し足りない。しかし父に狂わされたあなたに同情しないわけではない」


 狂ったのは彼だけではない。

 一族の“力”に、過去には一族を含めた何人もの人物が振り回されてきたのだ。


「天寿を全うしてください。まあ、少々延びてはいますが」


 死罪を言い渡す役人のような声で、青年は告げた。


「どういう、」


「いまここで、あなたの命を奪うことはしませんよ。そこまでわたしは鬼ではないし、返してもらう分は返してもらいましたから後はどうでもいい」


 ほんとうにどうでもいいような、きわめて平坦な口調だった。


「そうですね。あと一日か、一月か。一年ということはないでしょうが」


 用は済んだと言わんばかりに青年が腰を上げる。


「ま、まて―――」


「残りの人生を、どうぞ有意義に」


 その声は、のど元に突きつけられた冷たい刃のようだった。

 ぞわりと悪寒が背中を這い登り、保経の肩を震わせる。


 戦場で馬を駆り何度も死線を潜り抜けてきたはずの彼は、はじめて心の底から恐怖した。

 いつかではない、近いうちに必ず訪れる明確な“死”に対して。


「まて―――」


 死にたく、ない。


 死にたくない。


 しにたくない。


 このままで死ねるものか。


 何も成していない。


 何も、成し遂げていないのに―――。


 いや。


 時間はあったはずなのだ。ここまで、自分は生き長らえていたのだから。

 妄執にとり憑かれいたずらに費やしたのは、保経自身。


 いまはもう、なにを目標としていたのかすら思い出せない。


「だれか―――」


 遠ざかる細い背中に、枯れ枝のような手はまるで届かなかった。


 木枯らしのようにかすれた声も、青年を留めることはおろか誰を呼ぶこともできはしない。

 忠実なる家臣たちは保経が遠ざけたのだ。

 『癒し手』に対する、独占欲から。


「願わくば―――」


 わずかに眉根を寄せて、『花咲』の青年は低く呟く。


 願わくば。その先に続く言葉を、保経は聞くことができなかった。



 青年は、訪れたときと同じように颯爽と、そして唐突に姿を消した。




 残されたそこに横たわるのは、無力な老人がたったひとりだけ。




 梶山保経の訃報が宇佐の全域に伝わるのは、その三日後のことである。










もういくつか番外編書こうと思っていますが、あとはほのぼのだと思います。たぶん。

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