表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花咲姫  作者: いちい千冬
余話
48/54

もうひとりの鬼2

通し番号ふってはいますが、前話と直接の続きではないです。


以下は28話『“緑”しめす先に』の後に続く場面です。

 騒がしくも微笑ましい若者たちを追い出した後。


 医務室の戸を開けた人物に、朝東風数馬は片眉を上げた。


 すらりと整った姿かたちの若い男に見覚えはない。

 だが老医師が知らない顔だからこそ、その若い男が誰なのか、想像はつく。


 萌葱から単身乗り込んで来たという、豊国宣朝の使者。


 染みひとつない木賊色の素襖を一分の隙もなく着こなす姿には、すぐに泥だらけ傷だらけになる西峰城の荒くれ者たちでは絶対にありえない清潔感があった。

 そのくせ、彼らに比べればひょろりと細く頼りない風情の青年が見た目どおりに非力なのかと問われれば、おそらくは否だ。

 隙がないのだ。

 かつて鬼の右腕として戦場を駆け抜けた朝東風の勘が、これは気を引き締めろと警告してくる。


「西峰城の筆頭侍医、朝東風数馬どのとお見受けします」


 にっこりと型どおりの笑顔を貼り付けた萌葱の使者に、老医師は顔をしかめた。

 筆頭もなにも、ここには朝東風ただひとりしかいない。最近可愛らしい助手は出来たが。


「……胃薬でもご所望ですかな」


 とぼけた口調で言ってみたが、とても相手の体調が悪いようには見えない。

 最近は西峰城の食事事情も大幅に改善されている。胃薬を必要とする者もかなり減ったので、いま調子が悪いのならそれは本人の胃腸の問題だろう。

 まったく、使者が滞在すると最初に聞いたときは、舌の肥えた萌葱の者にあの粗食(・・)を本気で出すつもりなのかと本気で頭を抱えた。毒を出されたと騒がれたらどうするつもりだったのだ。


「いいえ。ご心配なく」


 萌葱の使者も察したらしく、苦笑をもらす。


「あらためて、お初にお目にかかります。二の『花咲』槐、と申します」


「は………」


 あっさりと名乗ったその名は、萌葱の使者のものではなかった。

 しかし萌葱の使者以外、西峰城に滞在する萌葱の者はいないはずだ。

 そして入れ替わりも激しい大勢の人足たちを除いて、萌葱の使者以外は朝東風が知らない顔などないはずなのだ。


「『花咲』?」


「はい。内緒ですが」


 どこまで本気なのか、男は人差し指を口元にあててにっこりと笑う。


 朝東風は、とくと訪問者の姿かたちを確認した。

 そして先に会っていた『花咲』と呼ばれる少女を思い出す。


「ふむ。そういえば、嬢ちゃんに似とらんこともない顔だな」


「……はい。妹がお世話になっています」


 見れば、青年の仮面のような笑顔がいくらか和らいだような気がする。


 ―――しかし。『花咲』というのは、豊国家に仕える庭師じゃなかったか?

 最初に桜を目にしたときから何度も考えてきたことを、朝東風は槐を前にしてやはり同じように思い首をひねった。

 とくに桜は「自分はただの庭師だ」と事あるごとに訴えているのだが……。


 そこの庭先で松の枝先を切っている“庭師”と彼らを並べてみればいい。

 どこが庭師なのだ、どこが。


 相手を物怖じすることなく真っ直ぐに射抜く眼差しは、唯々諾々と上に従う使用人ではありえない。


 きれいな衣を身に着けていても実によく似合っていて、着られている観がない。

 それは慣れているだけでなく、中央から来たお貴族様ですと言われても納得しそうなほどのきれいな所作があればこそだ。


 やりにくいわこりゃ。

 そもそも、腹が黒くなければ生きていけないとまで言われる萌葱の人間と渡り合うつもりはない。

 朝東風は早々に腹の探り合いを放棄した。


「はいはい『花咲』ね。それで。お兄ちゃんがわしに何の用だね」


 槐は「お兄ちゃん」と呼ばれたことに一瞬複雑な表情をした。

 澄ました顔をしてはいるが、素は意外と感情豊かなのかもしれない。


「……あなたに頼みごとがあって参りました。大事な我々の妹について」



 そこで朝東風は、『癒し手』の真相を否応無く聞かされることになる。


 謎は謎のまま、聞かないほうがよかった。

 なぜ、今になって。

 それが率直な感想だ。



「なぜ、わしに話す」


「あなたがいちばん我々の存在を信じていないように思えたからです」


 もっともだった。

 朝東風数馬は『癒し手』など信じていない。どうしても、信じたくなかった。

 医学では説明がつかない不可思議な“力”は、彼がこれまで学んだ経験と知識の全てを凌駕する。

 長年打ち込んできたものの全てを、無駄だとあざ笑うものだったから。


「そして我々の“力”を憎んでいる」


 その通りだった。

 『癒し手』のおかげで保経は命を救われたかもしれないが、『癒し手』のおかげで朝東風らは宇佐の“鬼”を失ったのだ。


 『癒し手』の息子は、いっそ慈悲深くも見える笑みを浮かべた。

 彼らとて保経のせいでこれまでの隠遁生活を捨てる羽目になったというのに。


「でも、桜を気にかけて下さったでしょう」


 それは若い娘を腕に抱いてあんなに血相変えて医務室に飛び込んできた青嶺がものすごく珍しく、ものすごく微笑ましく、そしてむしろものすごく面白かったからだ。


 それに、あんなに顔色が悪い病人を放っておけるなら、自分は医師ではない。

 どこか痛むのか苦しいのか、眉間にしわが寄っていなければ『青鬼』は死体を持ってきたのかと勘違いしたところだ。

 けっきょく本人が主張するとおり「疲労が溜まっているだけ」という診断を下したのだが、腑に落ちない部分があったのも事実で。

 彼女の微妙な立場もあり、誰にも話さずにおいたのだが。


「ここの侍医であるあなたなら薄々気付いていたのでは? 梶山青嶺の肩を治したのは、梶山保経を治したものとおなじ“力”だと」


 彼の言う通りだった。

 朝東風は唸る。


「……なぜあれの矢傷に気が付いた」


 いくら『青鬼』が化け物じみた回復力の持ち主とはいえ、傷を受けた直後ならともかく時間が経過し毒が回った状態から一晩でけろりとしているなど、どう考えてもおかしい。

 彼の手当てをしたのが噂の『花咲』であり、現在保経が執着している者だと聞かされたとき、桜は『癒し手』の関係者ではないかと疑った。

 彼女が体調を崩したのが青嶺の肩の手当てをした後だというのも、引っかかっていた。


 萌葱の国からの使者である槐に青嶺が簡単に弱味をさらすはずがない。

 真面目半分からかい半分に苦い薬湯を飲ませてはいたが、傷自体はほとんど完治していたのだ。悟られるとも思えない。

 にもかかわらず、知っているということは――。


「ああ、あれは矢傷だったんですか?」


 『花咲』の青年はしれっと驚いたような表情を作った。


「さすが『青鬼』、なかなか身の回りが物騒ですね。……考え直す必要もありかな」


 驚いたのは朝東風である。

「知らない、のか?」


「別に傷を見たわけではないので。もちろん、襲撃を指示した黒幕でも実行犯でもありませんよ」


 たった今かけられた疑いを知ってか知らずか、彼は笑う。


「対面したとき、彼の肩に桜の“力”の名残を感じたんです。“力”を使ったのなら、何らかの疾患がそこにあったということですから」


 低く平坦な声で彼は言った。

 どうやら不本意らしい。

 それはそうだろう。彼らのもとから妹をかっ攫って行った男を、攫われた本人が癒していたのだ。


 そんなだから、朝東風はあの孫娘のような年頃の少女を憎めないのだ。

 危ういほどのお人好し。あれは、放っておいたらいつか人の為にうっかり死にかねない。

 簡単にくそ餓鬼なんぞにくれてやるものかとほくそ笑むくらいには、すでに情が移ってしまっている。


 保経を癒したのは彼らではないし、妄執の念にとりつかれたのは保経の弱さだ。

 そう諦めに似た思いを抱くだけの年月が、すでに流れていた。


 わかっていた。

 誰も悪くはない。そしてどんなに望んでも、何も変わらない。


 ただ認めたくなかっただけ、なのだろう。


 降参とばかりに、朝東風は手をひらひらと振った。


「それで。わしに何をやらせようってんだ」


 彼の大人しい言葉に、槐は満足げにうなずく。


 協力して欲しい、と彼は言った。


 『花咲』としてまだ未熟な桜を見守ること。

 万が一の(・・・・)事態になれば彼女を止めて欲しいこと。

 そして、梶山保経のいる風巻しまきに彼を遣わすこと。


 保経が『癒し手』と呼ぶ彼ら『花咲』の父親が奪われたものを、彼は取り返しに行くのだという。

 何を、とは問わなかった。問う必要もないと思った。


「一緒に行ったほうが手っ取り早くていいんだろうが、わしはここを離れられんからな。鬼の小僧の容態もいちおう気になるし、嬢ちゃんが無理せんように見張らんといかんらしいし。―――すまんな」


 槐が目を見開く。


 もっと早く、こうしていれば良かった。

 宇佐を犠牲にし、現領主にも、その跡継ぎにも、彼ら若者たちにも迷惑をかけ、それでも思い切ることができなかったのは、彼もまた“鬼”の過去にすがっていたからかもしれない。

 いまだに“鬼”を信じる保経の“忠臣”たちのように。


「年寄りは、若いもんの邪魔しちゃいかんからな」


 もう、終わらせるべきなのだ。


 それは、せめてもの罪滅ぼし。


 彼の探し求めていた『癒し手』は、すでにこの世にいなかったのだから。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ