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花咲姫  作者: いちい千冬
余話
47/54

もうひとりの鬼1

ここから番外編となります。

今回は侍医・東風先生の回想。

よろしければお付き合い下さい。



 その男は、畏怖と賞賛を込めて“鬼”と呼ばれていた。




 逆らう者には決して容赦しない。必ず叩き潰し、全てを奪い尽くす貪欲な男。

 山間の小国に過ぎなかった領土を、驚くべき速度で数倍にも拡大させた猛将。

 全身を敵方の朱に染め、立派な体躯の馬を縦横無尽に走らせるその姿は、まさに鬼神だった。


 宇佐の国の英雄とうたわれる男は、朝東風数馬の誇りだった。

 自分は彼と共に駆け、彼の傍らにあり、彼の為に死ぬのだと思っていた。


 ――――彼が『癒し手』に囚われる、そのときまでは。




 当初、山間には宇佐をはじめとして小さな国がひしめき合っていた。

 国をまとめていた中央の権力が揺らぎ、各国の領主たちが自国の領土を広げようと小競り合いが頻発するようになっても、それは変わらなかった。

 山間の国々はいずれも農業には適さない土地を抱える貧しい国々であり、とてもそんな余裕はなかったのだ。また何の利益も生まない土地など欲しがる酔狂な国とてなかった。


 奪わなければ生きていけない。

 宇佐の国領主・梶山保経が隣国に攻め入ったのも、最初はそんな理由からだった。

 だが国と国とがまとまれば、兵力もまたまとまる。厳しい環境に耐え得る各国の屈強な兵士たちをまとめ上げれば列強と呼ばれる国々にも劣らない戦力が期待できると気が付いた彼は、本格的に攻略に乗り出したのだ。


 中央の帝にも大きな影響力を持つ大国・萌葱と宇佐とに挟まれた小国・峰仙(ほうせん)もそのひとつだった。

 わずかな平地にかろうじて肥沃な土壌を有していた峰仙は、特性といえばそれだけの、しかし宇佐では決して手に入らない恵みを与えられた国だった。

 食料庫というには物足りないが、戦を左右する要因のひとつが兵糧であることを考えれば、取り込んでも決して損はない。

 また、交易の盛んな萌葱と国境を接することで、直接取引きを行うことができるのも魅力だった。


 それは、どうということのない戦だった。


 すでに周辺国に悪名をとどろかせていた保経である。

 自国を守る兵力はあっても宇佐の屈強なそれとは比べ物にならず、腕っ節も癖も強い山賊あがりのような他の山間国に比べれば、峰仙は大人しい赤子も同然だった。


 油断を、していたのだろう。


 戦場となった山中で峰仙領主の首を取った後、気が緩んだその隙をついて潜伏していた峰仙の兵士たちがいっせいに奇襲をかけてきたのだ。

 それは宇佐の大将である保経ただひとりを標的とした、領主が自分の命をおとりにしてまで立てた起死回生の計略だった。


 そしてそれは、見事に宇佐の意表を突いた。

 甚大な被害を出しながらもどうにか奇襲をやりすごしたとき、梶山保経の姿は消えていたのだから。


 保経に付き従っていた朝東風数馬も、足場の悪さと目の前の敵に集中するあまりいつの間にか彼と引き離されてしまっていた。


 混乱のさなかでの目撃証言は、いずれも予断を許さないものだった。


 敵の刃によって肩がざっくり裂け、得物を取り落としていた。

 わき腹で槍の穂先を受け止めていた。

 背中に数本の矢がそそり立っていた。

 落馬し、急な斜面を転げ落ちていった。


 あの鬼神に限ってと鼻で笑うには、あまりに証言が多すぎた。

 なにより、どれだけ探しても保経はいない。亡骸すら見当たらなかった。


 不用意に傍を離れたことをどれだけ悔やんだか知れない。

 心のどこかであの人は万が一にも大丈夫なのだと思い込んでいたのも事実だった。

 皆と同じく切られれば赤い血を流し、心の臓が止まれば死ぬ。そんな当たり前のことすら、彼には無縁なのだと思っていた。

 それが油断につながったことは間違いない。

 命をかけて守ると、豪語していたのに。


 狂ったように探し、探し彷徨って数馬こそが幽鬼のようだと言われ始めた頃。


 行方不明となった彼が、戻ってきた。


 どれだけ周辺を探索しても見つけることができず、もはや望み薄だと誰もが考えていた中、保経は自力で、それも目を疑うほど元気な姿で帰還した。

 致命傷はとっくにただの痕となり、まるで遠い昔に負った古傷のように素っ気無いものとなっていた。


 『癒し手』と、彼は呼んでいた。

 その者に助けられたのだと。


 奇妙なことだった。

 何かの薬か暗示か、保経は世話になった村の場所をまったく覚えていなかったのだ。

 どれだけ山中を彷徨っても、それらしい集落は見当たらなかった。

 まるで狐につままれたようだと思ったが、保経は真剣だった。


 奇跡だ神仏のご加護だと騒ぎ立てる周囲に、保経は言う。

 神仏よりもよほど確かなものを自分は得たのだ―――と。


 それは、お世辞にも信心深いとは言えない彼らしい言葉だった。

 しかしかすかな違和感を数馬が覚えたのも、このときだった。


 保経はこれまで通り、いやそれ以上に周辺国の制圧に意欲を見せた。

 だが、それはすでに宇佐のためではなかった。


 自らが『癒し手』と呼ぶ命の恩人を、彼は探し出そうとしていたのだ。

 異常なまでの執着を持って。


 度を越した戦は国を疲弊させ、民の不満と反感を煽り、友好的だった国や地域までが背を向け、それでも保経は矛をおさめようとはしなかった。

 もともと独断的な性格ではあったが、数馬たち腹心と呼べる者たちの言葉ですら、頑なに聞こうともしなかった。


 保経はその苛烈さと容赦のなさから、いっそう“鬼”と恐れられることになる。

 しかし彼はとっくに数馬が誓いを立てた“鬼”ではなくなっていた。


 彼に盲目的に忠誠を誓っている一部を除き、少しでも正常な判断ができる臣下たちはひとり、またひとりと遠ざけられ、あるいは自ら彼のもとを去って行った。


 数馬もまた、保経のもとを離れたひとりだった。


 彼を引き付けてやまない癒しの力とはいったい“何”なのか。

 それに国を犠牲にしてでも手に入れる意味はあるのか。


 一度は忠誠を誓った身である。何も考えずにともに沈み、滅ぶこともできた。それはとても簡単で、気楽なことだ。

 沈みかけた船にただしがみつくより、数馬は沈む原因は何なのかを知ろうと思った。

 数馬から、いや宇佐から鬼を奪ったそれの正体を、どうにかして暴きたいと思ったのだ。


 兵法書すら難しいとなかなか開こうとしなかった彼が無骨な手で医学書を繰り、古今東西のあらゆるそれを片っ端から読み漁った。

 文字を読むだけでは理解できないと、医師や薬師、学者のもとに通った。実際彼らに弟子入りもした。


 やがて朝東風数馬の名前は無双の槍使いではなく、医師として知られるようになった。


 しかしもっとも知りたい謎は、謎のまま。

 そして件の『癒し手』も見つからないまま、長い月日が過ぎた。


 やがて保経は国の行く末を案じた息子に取って代わられた。

 その知らせに、数馬は安堵と諦めのため息をついた。


 彼のもとを去って以来、数馬はかつての主君に一度も会わなかった。

 風巻しまきに追いやられてもなお、いや老いたからこそ一層『癒し手』に固執しているという姿を見たいとは思わなかった。


 保経に施された治療法は謎のまま。

 だから数馬に彼を治すことはできない。

 『癒し手』に成り代わることは、できないのだ。


 そう、諦めていたのだ。


 にもかかわらず、どうして今になって。


 彼の前に『花咲』が現れたのだろう。







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