“先”は昔
同じ年の初夏。
宇佐の国は梶山青嶺を総大将として波座を攻め、これを制した。
ほぼ予定の通り、むしろより早く侵攻してきた彼らに、『青鬼』病床にありとの噂に油断していたかの海国はあっけないほど簡単に落ちる。
伏せられた事実を嗅ぎつけた波座の鼻は大したものだが、誰かが故意に流した情報だというところまでは気付けなかったようだ。
確かに青嶺は、いっとき西峰で床についていた。だが『花咲』をして“化け物”と言わしめた自身の持つ生命力によって、青嶺は驚異的な回復をみせたのだ。
宇佐は波座とその港を手に入れた後、ぴたりと他国への侵略を止める。
血に飢えた獣のようだったかの国が、突然牙を収めた。
警戒する周辺の国々にはこの上もなく不気味に映ったが、ひとまず胸を撫で下ろしたのも事実だった。
ただでさえその強さと非情さで鬼の異名を持つ男と彼の率いる屈強な兵士たちに加え、傭兵として名を馳せていた佐々垣の民まで取り込んだ国である。戦わずに済むのならそのほうがいいに決まっている。
だが、すぐに他国は別の畏怖を宇佐に対して抱くことになる。
海を手に入れた宇佐は、戦ではなく交易に力を注いだ。
波座の港を拡大し、その周辺に市場や商業地区を整備し、商人たちにいくらかの優遇措置を行う。
さらに度重なる戦によって悪化していた治安に宇佐の戦力を投入すれば、たった数年で貿易大国・萌葱に勝るとも劣らない繁栄を築き上げた。
これまでは萌葱の国の独占状態だった薬草栽培を宇佐で確立し、高価な薬を比較的安価で広く提供したことも港を栄えさせ宇佐を豊かにした一因となった。そして同時期にほころびを見せ始めていた萌葱がはっきりと斜陽の道をたどり始める遠因とも。
さらに数年後、代替わりをして坂道を転がるように衰退した萌葱は宇佐に吸収されるが、これを含めて梶山青嶺の治世では一度も他国に武力を持って攻め入ることも、また攻め入られることも許さなかったという。
互いが互いと争い身を削りあっていたこの時代、ひたすら国を守り力を蓄えた宇佐は、やがて天下を治めるまでになる。青嶺の孫の時代のことである。
宇佐の繁栄を支えた者たちは枚挙に暇がないほどだ。
そんな数多の人物の中。『花咲』という姓を持つ一族がたびたび登場する。
彼らはときに優秀な薬師であり医師であり、ときに有能な政治家であり商人でもあり、その手腕は神業とも言われ一部に崇め奉られてすらいたようだ。
もとは梶山家のお抱え庭師だったとか山村の百姓であるとか、あるいは神に仕える身分の者だったとか他国の重臣であったとか、いまいち出自がはっきりしない花咲家だが、変わらず梶山家に重用され続けていたことは事実だ。
身分や出自を問わず有能な人材を集め取り立てる宇佐の姿勢の象徴として、『花咲』の名前が挙げられることが多い。
後に、梶山青嶺はこの花咲家の息女を妻に迎える。
彼女こそ最初に梶山家に仕えた『花咲』であり、彼女もまた、人々から恐れおののかれる『青鬼』に真っ向から意見し叱り飛ばすような聡明かつ豪胆な女人であったという。
梶山家の傍らに不可思議な“力”を操る一族がいたという記録は、ない。
これで『花咲姫』本編は終了です。
ここまで拙作にお付き合い下さった方、本当にほんとうにありがとうございました!
あと、もう少し番外編とかこぼれ話とかを書こうと思っています。
完結に設定するのはその後になりますので、ご了承下さい。