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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
45/54

“扇”広げた先は

 



 ひらり、ひらりと白い花びらが降ってくる。


 まるで降りたての雪のように薄墨色の地面を覆う白。

 その合間からささやかに、けれども確かな力をもって伸びるいくつもの緑が遠目にも良く分かる。


 そしてそんな若い緑の中に、ひときわ大きな若草色の塊があった。

 若草色の小袖を身につけた桜である。


 彼女は薬草畑で自分が植えた薬草を眺めては、にっこりと微笑む。


 なんとか根付いてくれたようだった。

 もう少し気候が暖かくなってくれれば、あとは放っておいてもぐんぐん育ってくれるはずである。そういう強い種類を選んだのだ。

 本物の雪が降ったり冷たい風が吹いたりと、植え替えたばかりのそれらに過酷な天気が続いていたので、一時はどうなることかと思ったが。


 そっと触れると、葉っぱの瑞々しさと弾力が非常に頼もしい。

 つい嬉しくなってさらに居座りつんつんと葉っぱをつついていると、離れの小屋から侍女の声が飛んできた。


「あーっ桜さま!」


 まずい。

 桜は思わず緑に固定していた視線をさまよわせた。


「あー………さほ?」


「縁側に座っててくださいって言ったじゃないですかー!」


 最初は、確かに縁側にいたのだ。

 そこからでもじゅうぶん薬草の株が元気であることはわかった。

 数日様子を見に来られなかっただけなので、以前と比べてもさほどの変化はない。

 だが悪いほうに変化する時は、あっという間なのだ。そういう意味で薬草に変化がないのは喜ばしいことだった。

 嬉しくて、もっと近くで見たくて、そして桜はいてもたってもいられなくなってしまったのだった。


 まだ安静にしてなきゃだめなんですーとさほは持っていた盆を掲げてみせる。

 それを見て、桜はさらに顔を引きつらせた。

 乗せられているのは、きっと兄特製の薬湯だ。『花咲』の“秘薬”が溶かしこんである。

 寝ている間に何があったのか。小柄な侍女はすっかり槐に心酔し、彼の言うなりになっているのだ。


 桜の木なしで“力”を行使したあのとき。

 途中からは半ば朦朧として、ほとんど無意識で青嶺に触れ命を注いでいた彼女の手を引き剥がしたのは、どこから湧いて出たのか兄の(えんじゅ)だった。

 自らの“力”で桜を助け、彼女の後を引き継いで青嶺の容態を看たのも彼だ。『青鬼』に関しては桜がお願いしたのだが、非常に不本意な顔つきをしていた。

 危篤状態からはなんとか抜け出ていたので槐が彼に対して“力”を使う必要はなかった。

 しかし、要は中途半端なままで意識を失った桜の後始末である。まったく半人前のくせに余計なことをして、という文句が聞こえてきそうだった。実際に言われてはいないのだが。


 そんなこんなで、桜もまた二番目の兄には絶対に逆らえない状況だった。


 たっぷりと眠った――というか少しでも枕から頭を上げると即座に怒られた――おかげで、体調はけっこう良い。

 行きは送ってもらったのだが、帰りは城の自室まで歩こうと思っていたくらいだ。むしろ、寝っぱなしで落ちた体力を戻す努力をしたほうがいいように思う。


 そう。だから、もうあの苦くて苦くてしょうがない“秘薬”を飲む必要はないと思うのだ。


 苦い薬が大嫌いなどこぞの鬼と違って、桜は必要であればそれが苦かろうが辛かろうがちゃんと飲む。

 しかし“秘薬”は、非常に貴重で希少価値の高い“万能薬”である。

 材料の調達といい手順といい、簡単に作れるようなものでもない。

 なまじそれを知っているからこそ、いくら作ったのが妹を心配する兄でも、単なる滋養強壮の目的で服用するのは非常に気が引けた。決して、苦いから飲みたくないわけではないのだ。


 桜には、死にかけた自覚があまりない。

 だからいっそう加熱した周囲の過保護ぶりには、正直戸惑うばかりだった。


 侍女の持つ湯気の立つ器を見て、桜は離れへ戻ろうと腰を浮かせた。


 薬湯は、冷めるとさらに苦味とえぐみが増すという厄介な代物である。

 長居しない、薬をちゃんと飲むという条件で連れてきてもらったので、どんなに不満でも薬湯を飲まないわけにはいかない。

 それにこれ以上待たせると、さほの説教までくどくどと飲み込むはめになる。それは勘弁して欲しかった。



 ちょうど、そのときだった。



「―――桜!」



 腹の奥底にまで浸透するような、恐ろしく通りの良い声に名前を呼ばれた。


 しかし桜はそれがとっさに自分の名前とは思えず、彼女の背後にそびえ立つ山桜の木を振り返る。

 “桜”がどうかしたのか、と思って。


 『花咲』の影響で早々に開花しすでにちらほらと緑の若葉をつけている大木は、残り少ない花びらを素っ気なく落とすばかりだ。


「………なんで?」


 だって記憶にある限り、その声は桜を名前で呼んだことがなかった。


 いや、そんなことよりも。


 驚いて、動揺していたのだと思う。

 呼び名がどうこうよりもまず、なぜ『青鬼』が馬を駆ってこちらへ向かってくるのかを不思議に思わなければならなかったというのに。


 反対側を振り返れば、さほも丸い瞳と小さな口をぱっくり開けて驚いている。


 文字通り死の境をさまよった彼は、いまだ城の自室で眠っているはずだった。

 仮に目が覚めたのだとして、しかしそんな容態の人間がすぐに動けるはずがない。

 桜もそこまで多くの“力”を注げた記憶はなかったし、槐に止められた。受け取る側にも少なからず負担がかかるので、多く注げばいいというものでもないのだ。


 あっさりと回復させるのがしゃくで兄が鬼に対してささやかな嫌がらせをしていたのだということを、“力”加減にいまいち自信が持てない桜は気付いていなかった。

 もちろん桜の体調のほうを気遣ったということもある。槐にとって、誰より何より妹の身体が最優先なのだから。


 馬上の人物は、何度瞬きしても紛れもなく梶山青嶺その人に見える。


 しかもこちらをぎっとにらんでくるのが、ものすごく怖い。

 いや怖い顔はもともとなのだが、矢のようにどすどす突き刺さる視線と忌々しげにゆがめられた口元、愛馬・野分と一緒に迫ってくるその勢いをひっくるめた全てが、とにかく恐ろしいのだ。


 思わず回れ右をして逃げ出しかけた桜に、容易に追いついて馬から飛び降りた鬼の手が伸びる。

 そしてあっけなく彼女は拘束された。


 反射的に腕から逃れようと足掻いたのが悪かったかもしれない。

 後ろからがっちりつかまれた肩の骨が、ぎしぎしと悲鳴を上げる。

 ぐるりと腰に回るもう片方の腕は容赦なく胃を圧迫して、桜は満足に呼吸もできなかった。


 鬼に絞め殺される、かもしれない。

 うまく回らない頭に、そんなことまで浮かんだとき。


 耳に、深い深いため息が落とされた。


「――――て、いた」

 耳元に、かすれた声がかろうじて届く。

 それは息も絶え絶えな桜よりさらに苦しそうな声だった。


「え?」


 聞き返しただけだというのに、鬼は肩を震わせる。

 重なる桜の肩にもそれが伝わるほどに。


「失くしたかと思った」


「………」


 桜の身体も震えた。

 何を、誰をとは問えなかった。

 力ない声が、すがるように回された腕が、問うまでもなく答えを明確に指し示す。


 体当たりでぶつかられて前のめりになった体勢は不安定で、簡単にひざが折れた。

 前のめりに転ぶか、あるいは青嶺に押し潰されるかもと一瞬ひやりとしたが、有無を言わせない無骨な腕は予想外にも優しく器用に彼女を白い地面に下ろした。

 ふたり、そろって座り込むような形になる。


 大人しくなった桜に逃亡の意思はないと判断したらしい。

 いまだ背後にとり憑く鬼は、彼女が呼吸出来る程度には拘束を緩めてくれた。


「……無事で、よかった」


 鬼の言葉に刃はなかった。

 あるのは、気の抜けたような柔らかさとほのかな甘さ。

 そして焼け付くほどでないにしろ、桜の顔を赤らめさせるにはじゅうぶんな熱。


 これは、ほんとうに宇佐の『青鬼』なのだろうか。


 桜は自らをごまかすように眉根を寄せる。

 実は本物はまだ寝床にいて、これは同じ顔をした別人だとか。あるいは亡霊、いや生霊だとか……それはそれで怖いのだが。


 なにより自分を捕らえて放さず泣きたくなるほどの安心感をくれるこの腕は、まぎれもなく梶山青嶺その人だった。


 なぜ、なのだろう。


 鬼の懐深くに抱かれながら、桜は思う。


 どうしてこの腕は、自分を放そうとしないのか。


 萌葱の国から『花咲』を攫ってきた彼は、しかし一度も『花咲』を求めはしなかった。また恐れることも、嫌悪を示すこともなかった。

 疑っていたときはもちろん、秘された“力”を打ち明けた後でさえそれを使うなと桜に釘を刺した。任された薬草栽培でさえ、成功してしまえば彼女の手は必要なくなるのだ。


 桜は半人前なりに『花咲』という称号に自負と誇りを持っていた。


 だが梶山青嶺は『花咲』の助けなど望んでいない。

 いらないなら、さっさと開放してくれればいいものを。

 出会った頃とは同じようでいてまったく異なる苦々しい気分を桜は味わう。


 錯覚してしまいそうだ。


「さくら」


 耳元で名前を呼ばれた。

 この上もなく、大切なもののように。


 のどの奥が、ひゅっと悲鳴に似た音を立てる。

 首は絞められていないのに、ひどく呼吸がしづらい。


「桜。なぜ、おれに使った」


 なぜ、と責めながら、その声音に非難の色はなかった。


 むしろ―――。


「悪かった」


 まるで存在を確かめるように、彼の腕が桜を包み込む。


「二度と、するな」

 それは命令ではなく、懇願。


「いや、二度とさせない」

 それは拒絶ではなく、決意。


「頼むから、――――おれの為に、死ぬな」


 こんなことを『花咲』の耳元でささやく権力者は、きっと彼以外にいない。


 桜だって死にたいわけではない。好きで死にかけたわけでもない。

 だが『花咲』を否定されるのは悔しい。

 未熟な自分がきっかけであるのなら、なおさら。


 しかし彼は、桜の存在を決していらないものとして扱いはしなかった。

 思えば、最初からそうだったのだ。


 桜に対して容赦なく雷を落とすときは、決まって桜が自分の身を後回しにしたとき。

 とっさに彼の命を掬い上げたいまだって、お礼や褒め言葉をもらうどころか咎められる始末だ。


 否定されたのに、認められる。

 利用する意思がないのに、こんなにも近くに引き寄せる。


 それが不思議で、不可解で、けれど泣きたくなるほど心地よくて。

 居たたまれなくてわずかに身をよじるが、それでもまったく離れる気配のない暖かな腕に安心している自分もいる。


「桜?」


 呼ばれて返事をするように、桜は比較的自由がきくほうの腕をゆるゆると持ち上げた。


 否応なく目に入った手首には、大きな手跡がまだうっすらと残っている。

 この場所で、阿賀野に付けられたものだ。


 それは『花咲』を求める人々の妄執だ。

 『花咲』そのものを壊しかねないほどに暗く、強い渇望。

 あのときは、どろりとまとわり付く想いがただただ恐ろしかった。


 しかし梶山青嶺が傍にいる。たったそれだけのことで、いまは穏やかに跡を見ることができてしまう。


 いや彼だけではない。同じように周囲から敬われかしずかれても、全てが淡白で打算的、ときに享楽的な萌葱では決して安らぐことはなかっただろう。この気持ちは宇佐であればこそ、なのだ


 だから桜はすとんと肩の力を抜いてしまう。


 まるで小さな子供をあやすように。大きな獣をなだめるように。

 桜は、彼の肩をぽんと叩いた。


 驚いたように触れた肩が震える。


「……あなたも。生きていてください」


 背後から、息を飲む気配がした。

 桜の首筋にうずめる様にしていた頭を持ち上げたらしい。耳元に感じていた熱が少しだけ遠のく。


 ななめ後ろから視線を感じる。

 いつものように刃物のごとき鋭さを感じないのは、戸惑っているのだろうか。


 揺らいでいる『青鬼』など、きっとなかなかお目にかかれない。

 珍しいものを見たいからというわけではないのだが、桜は首をめぐらせた。

 鬼の顔つきは思ったより普通で、残念ながら見慣れている仏頂面だ。


「わたしの心配をして下さるのなら、あなたが無茶なことをしなければいいんです」

「な………」


 いきなり桜が振り返ったからか言葉の内容のためか、青嶺は黒い双眸を見開いた。


 人に言うのなら自分も直せ。そう彼女は言いたい。


 そもそも彼が死にかけるような事態にならなければ“力”を使わずに済んだのだ。

 同じような場面に遭遇すれば、桜はまたためらいもなく“力”を行使するだろう。どれだけ周囲に止められ釘を刺されても。何度でも。

 そんなものは勝手だといわれるかもしれないが、仕方がない。


 戦場に多く身を置く『青鬼』には難しい注文なのかもしれない。

 しかし人の上に立つからこそ、簡単に自分の身を危険にさらして欲しくはなかった。

 どんなに鬼と呼ばれ恐れられても、人であることに変わりはないのだから。


「あなたが無事でなければ困るんです、梶山青嶺さま」


 鬼は、これでもかと目を大きく見開いた。

 ついでに口も、ぽかんと中途半端に開いたまま。


 それこそ奇跡にでも出くわしたかのような、呆然とした表情だった。


「………桜?」


「はい?」


 鬼はこれまでの分を取り戻すような勢いで桜の名前を呼ぶ。

 からかい混じりに“姫”と呼ばれたりぞんざいに“おい”“お前”とか呼ばれたりするよりはいいのだが、なんだかむずがゆい。もう随分と寒い外にいるはずなのに、顔が熱い。


 名前を呼んだきり、青嶺は沈黙した。

 ただ驚愕の視線だけはちくちくと彼女ただひとりに向けてくる。


 さすがに至近距離では真っ向から受けて立つことができず、桜は目を伏せた。

 ………やっぱりこの目は痛い。いや熱い。


 ―――そういえば、いつまでこの体勢なのだろうか。


 つまり、そろそろ離れてもらいたいのだ。


 そんな意味をこめて反対側の手で腰を締める腕に触れれば、逆に手首をつかまれる。


 息を飲むと、背中がかすかに笑った。


「桜」


 痛々しいほどだったかすれ声が、やわらかく耳をくすぐる。


「あの―――」

「わかった。今度こそ、約束は違えない」


 かみしめるように、刻み付けるように青嶺は言った。


「心配しなくても、そう簡単には死んでやらん。お前もな」


 桜は頷く。

 単なる口約束でも、ないよりはましだった。


 喘ぐように見上げれば、淡い色をした空がじんわりと目に染みた。

 だからかもしれない。顔ばかりか両目まで熱を帯びて、その熱が頬に転がり落ちたのは。


「………ふ」


 口元から、笑みが漏れる。


 頬が緩めば、また涙がほろりと流れた。

 ぬぐうことが出来ずにいた水滴は、青嶺の腕にほとりと落ちる。


 桜の顔の惨状を見て、鬼は鬼のくせにかなり動揺したらしかった。

 肩を押さえていた無骨な手が、そろりと彼女のほほを撫でる。

 その手つきは、不用意に触れば崩れるとでも信じているかのようだ。


 それさえ何だかおかしくて、くすくすと桜は笑い出す。


 そのうち、つられたように青嶺もくつりとのどを鳴らした。

 涙が悲しいものではないとようやく気付いたらしい。

 ほんの少しだけ確信を持って、大きな手が小さな頬を包み込む。



 空が、青い。

 小さな雲がいくつか浮かんでいるものの、それらは空の色を塗り替えるほどのものではなかった。

 代わりとばかりに残り少なくなった山桜の花びらが桜に降り注いでいる。

 名残雪のようなそれらに、しかし凍えることはない。


 むしろ独特のぬくもりを持って、桜の頬をくすぐった。


 甘えるように、あるいは労わるように。





これで本編はほぼ終了です。

後にちょっとだけ、蛇足的な終章がくっつきます。

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