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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“宵”のまどろみ2

遅くてホント申し訳ありません。

覚えてますかね……(怖)


萌葱の使者どのについては、23話「“文”めぐる思惑」を参照ください。


 宇佐の国次期領主である梶山青嶺の寝所に、萌葱から来た青年がひとり混じっている。

 それも、当たり前のような顔つきで。



 この奇妙な状況に、しかし青嶺以外に疑問を持つ者はいないようだった。

 敵とみなせば即吠え立てる黒崎栄進でさえ、沈黙を保っている。仏頂面ではあるが。


 自分が臥せっている間に、彼らの間で何らかの話があったらしい。

 でなければ、本調子には程遠い青嶺に近づけさせるはずがなかった。

 少なくとも今、彼は青嶺あるいは宇佐を害するような人物ではない。そう判断されたからこそ青年はここにいる。


「三日三晩、あなたは寝ていましたよ。それこそ死んだようにね」


 槐の言葉に、驚くと同時に納得もした。

 道理で身体が重いはずだ。


「回復の早さはさすが『青鬼』というべきか。でもまあ、こんなもんでしょう」

「……」


 にこやかに隣国の青年は告げる。

 無神経を装ってはいるが、そこには明確な棘があった。

 目の前で桜をかっ攫われたのだ。まあ、いい感情は持たれていないだろう。


 青嶺はあらためて二の『花咲』である槐を見た。


 決して大柄な男ではない。

 むしろ宇佐の猛者たちに囲まれていては、ほっそりと頼りなくも見える。所作は彼らよりよほどきれいで落ち着いていて、それなりに高貴な生まれだと言われれば信じてしまいそうだ。

 そのくせ臆することなく真っ直ぐに宇佐の『青鬼』の視線を跳ね返すふてぶてしさは、さすが兄妹といったところだろうか。

 よくよく見れば、面差しもどことなく桜に似ている。


 ただし飄々とした面構えといい雰囲気といい、彼女よりもよほど“得体の知れない『花咲』”という表現が似合う男だった。


 つらければ横になっててもいいですよ、という配慮なのか嫌味なのか分からない言葉に、青嶺は身体を起こしたままでいることにする。

 ほんとうはすぐにでも寝床に沈んでしまいたい。

 だが弱ったところは見せたくない。見せないほうがいいような気がした。


 青嶺の意思を感じ取ったのか、寝起きに加え直亮につかみ上げられたせいでだらしなく乱れた夜着の肩に朝東風が上着を引っ掛けた。

 ちらりと老医師を見上げれば、肩をすくめて目をそらされる。


 彼は、話すことがたくさんあると言っていた。

 これもそのひとつかもしれない。


 たしかに、分からないことだらけだ。


「身体の具合はいかがですか?」

 西峰城の侍医よりもよほど医者らしい口調で、彼は言う。

 ちらちらと視線が動くのは、青嶺の顔色やら夜着の下からのぞく包帯やらを確認しているのだろう。


 訝しく思いながらも「見てのとおりだ」と青嶺は答えた。

 どう頑張っても元気には見えないだろう。

 こちらのやせ我慢を知った上での質問なら、意地が悪いことこの上ない。


 だが、苛立ち紛れに席をはずせと言うつもりはなかった。

 まだ彼がわざわざこの場に居座る理由を聞いていない。


 青嶺は自分から切り出した。

 無駄に長い話に付き合う気力も皆無だ。もともと腹の探り合いは苦手なのだ。


「萌葱に帰ったはずの使者どのがどうしてここにいるのか、聞いてもいいだろうか」


 おそらくは、妹である桜を取り戻しに来たのだろうが。


「“誰の”指示を受けて?」


 彼の言葉に、槐は目を細めた。

 そしてゆっくりと口元をゆがめる。


「萌葱のバカ息子あたりを想像しているのなら、それは違います。――強いて言うなら『花咲』の意思かな。それから、わたしはもう萌葱に帰る気はないんですよ」


「え?」


「もともと宣朝(のぶとも)の名代なんてやるつもりはなかった」


 主家の嫡男をバカと呼び、平然と呼び捨てにする。

 内心がどうであれ、体裁というものはあるだろうに。

 言葉の内容もそうだがとにかく遠慮のない言い方に、青嶺だけでなく宇佐の面々はとにかく驚き、あきれた。

 もっとも、これまでのモロモロから“バカ息子”という表現に文句をつけるつもりもないのだが。


 豊国家お抱えの庭師は――庭師でしかないはずの彼は、いったい何様だというのか。


 しれっとした顔で槐は続けた。

「以前にわたしが名乗った名前は、宣朝の側近のひとりのものです。本当は彼が来るはずだったんですがね。しかし彼も、ほかの誰も行きたがらなかった。能無しの能無し部下たちでさえ、あの書状には命の危険を感じてしまったようで」


 無理やり隣国へ攫われた愛しい少女を救い出すため、といえば物語のような美談だが、宣朝は妾にしようと目をつけていた女人を横取りされ、恨んでいるだけだ。

 しかもあまりに身勝手であまりに幼稚な書状の届け先は、泣く子も黙る宇佐の『青鬼』。

 生きて帰れる気がしない。

 そうでなくても、破竹の勢いで領土を拡大している宇佐に攻め込まれる口実を作ったうつけ者として二度と萌葱の地は踏めないことを覚悟しなければならない。

 しかし、残念ながら彼らには自分勝手でわがままな主君を止める度胸もなかった。


「わたしが宇佐に来たのは彼らに泣き付かれただけであって、ついでです」

「ついで……」

「わたしはわたしで用事があったし、我々の大事な妹を連れ去りやがった『青鬼』の人となりも知っておきたかったですし」

「……」


 その『青鬼』を前に、にっこりと槐は笑う。

 彼の肩書きが単なる庭師というのは、何かの間違いではなかろうか。誰もがそう思った。


 それに、彼はまだ萌葱に帰らない理由を口にしていない。


「……帰る気はない、というのは?」


「そのままの意味ですよ。萌葱には戻らない。いや、豊国家に関わらなければ別に萌葱の国内でもいいんですが」


「豊国家に忠誠を誓っていたのではないのか?」

 生真面目な武士らしい黒崎栄進の言葉を、槐は鼻で笑う。

 そして、わざとらしく明後日のほうを向いた。


「うーん、わたしはただの庭師だからなあ」

「………」

「もとは百姓ですし。忠誠、と言われても……ぴんとこないなあ」


 まったくの嘘ではないはずなのに、やたら白々しく聞こえるのはなぜだろう。

 少なくともただの百姓やただの庭師は、宇佐の『青鬼』やその配下である猛者たちに囲まれて平然と微笑んだりはできない。

 自称ただの庭師は、さらに続けた。


「結んだのはむしろ主従関係ではなく、“契約”ですかね」

 たとえ武士だとしても、あれに命を預けるとか冗談じゃないでしょう。


 ずけずけと槐は言う。それから「ああちなみに」とついでのように付け足した。


「その“契約”を結びわれわれの一族が『花咲』の名を賜ったのは、梶山保経のせいですよ。『癒し手』とか言ってうちの父を執拗に追いかけ回すから」


「……なんだって?」


 眉をひそめた青嶺に、彼は軽く肩をすくめてみせた。


「桜を見て、勘付いていたんじゃないですか。あなたの祖父の命の恩人は、われわれの父親、初代『花咲』なんですよ。うっかり助けてしまった後で薬を嗅がせたり目くらましを使ったりしてごまかしたのに、それでもしつこく狙われましてね。あんまり迷惑だったので、仕方なく当時の萌葱領主に取り入って保護してもらったんですよ。まあ、豊国家にもその辺の事情を話してはいないですがね」


 『花咲』の持つ知識や技術を豊国家に献上する。その代わりに豊国家は『花咲』を庇護下に置き、彼らを守る盾となる。

 実際それは上手くいっているように思えた。


 しかし現当主豊国忠朝は三の『花咲』である桜をむざむざ手放し、宇佐から取り返そうともしない。

 “契約”を先に破棄したのは、豊国家のほうだ。

 それなら『花咲』としても仕える義務はない。


「それで豊国が納得するとは思えないが……」

「納得してもらいます」


 どうしてそんなことを言われたのかわからないと不思議がるような顔つきだった。


「兄の(いつき)が現在、あちらの交渉にあたっています」

 だから大丈夫です。

 晩ご飯までには帰ってくると思いますよ。そんな言葉が後に続きそうなほど平然とした口調である。


「もともと側室愛妾を山ほど抱えているくせに我々の大事な妹にまで食指を伸ばそうとする色ボケ跡取り息子は気に入らなかったんです。遅かれ早かれこうなっていたでしょう」


 言うほど簡単でないことは、駆け引きが苦手な青嶺でも分かる。

 色ボケだろうが何だろうが、隣国に書状を送りつけてくるほどには嫡男の宣朝は桜に執着している。

 それに現領主である忠朝も、実の娘である『花姫』は青嶺にあっさり差し出せても、『花咲』である桜は渋る様子を見せたではないか。

 『花咲』が献上した彼らの知識は、これまで確実に萌葱に利益をもたらしてきた。豊国家にとっても萌葱の国にとっても、『花咲』の兄妹はそう簡単に手放せるものではないはずなのだ。


 それをたったひとり、いったいどう話をつけるつもりなのか。


 また、宇佐にも『花咲』に執着する者はいる。

 当面は宇佐にいるかのような口ぶりだが、それが梶山保経に知れれば非常に面倒なことになるはずだ。


「祖父から逃げていたんだろう。ここにいてもいいのか?」


 保経は、彼らを――彼らの“力”を欲している。

 それを嫌って彼らの父親は豊国家の庇護を受けたと、これもいま槐が言ったばかりだ。

 萌葱の国と比べて宇佐の国が安心かというと、不本意ながら決してそうではない。


 青嶺の言葉に、なぜか宇佐の面々の顔のほうが強張った。


「それがな……」


 重々しく口を開いたのは、老医師だ。

 言い聞かせるようにゆっくりと、彼はひげを蓄えた口を開く。



「保経は、死んだ」



「ああ、そうだったのか。………は?」


 目をむいた青嶺に、保経の古馴染みでもある西峰城の侍医の口調は非常に歯切れが悪い。


「お前さんがここに運び込まれてすぐ後だ、知らせが来たのは。死因は……寿命だろうな」

 不審なところは何もない。


 言い切りながらも、しかし彼は青嶺の傍らにちらりと視線を向ける。


 その先には、面の皮一枚で微笑む槐がいた。


 そう。『花咲』の青年は笑っていたのだ。


「………祖父に、会ったのか?」


 気が付けば、青嶺は彼に対してそう口にしていた。


「はい」


 彼はあっさりと認める。


「それが、わたしがここに来た理由ですからね」


 ………何か、したのだろうか。


 外傷や毒の痕跡が認められなかったからこそ朝東風は「寿命だ」と言ったのだろう。

 そしてそうと知られずに人の命を削り取るような“力”は『花咲』にもないはずだった。


 しかしたとえ目の前の青年が祖父の死に関わっていたのだとしても、とくに怒りや憎しみは湧いてはこない。

 こちらを試すような、薄っぺらくもどこか挑戦的な笑みを浮かべているのがカンに触るだけだ。


 青嶺は、祖父が亡くなったと聞かされても何も感じない。

 薄情だがああやっと死んだのかと思ったくらいだ。


 祖父は血のつながった家族である以前に“梶山家の長”であり、“宇佐の前領主”だった。

 青嶺が物心ついたときにすでに狂い始めていて、そんな祖父に周囲は梶山家の嫡男である青嶺を近づけまいとしていたから、あまり彼の孫としての思い出もない。

 梶山家の跡取りであるという自覚ができてからは、下手をすれば家を潰しかねない彼の妄執には眉をひそめるだけだった。


 忘れ物を取りに来たんです、と彼は言った。

 萌葱の使者殿が置いていったものなど、豊国宣朝の下らない書状くらいだというのに。


「ああいえ、わたしではなく。我々の父――先代『花咲』が、あなたの祖父に残してしまったものを。取り返したところで、本人に返すこともできない代物ですが」


 淡白な、けれども底が見えない笑みは、萌葱の腹黒狸たちを思い出させる。

 だが青嶺を見据える眼差しはきんと冷えて、まるで抜き身の刀を無言で突きつけられているかのようだ。

 そこに込められた殺気は、宇佐の猛者たちをも驚かせる代物だった。


 現に青嶺の側近たちは、丸腰の『花咲』相手にほとんど反射的に腰を浮かしかけた。自らの得物に手までかけて。


 殺伐とした空気が分からないはずはないのに、槐は素知らぬ顔を通した。


「梶山青嶺、あなたもその身に持っているものなのですよ」


 強い視線は揺るがない。眉ひとつも動かない。


「あなたは“それ”で生きながらえた。桜があなたに渡したものだ」


 青嶺は反射的に自分の左胸を押さえた。

 夢うつつの中でここに感じた温もりは、まだほんのりと残っているような心地さえする。

 ほのかな熱が、たしかに暗く冷たい死の底から彼をすくい上げたのだ。


「あなたを救うために、あの娘は自分の命を使ったんですよ」


 忌々しさを隠そうともしない声に、青嶺は歯を食いしばる。


 それは、危惧していたことだった。


 桜が、青嶺に渡したもの。

 認めたくない。だが、認めざるを得ない。


「桜に自覚があったかどうかはわからないが、『花咲』の秘密を明かすということはその者に『花咲』の“力”を捧げることでもある。白刃の前に首を差し出すようなものなのですよ」


 表向き従順に仕えてはいても豊国家に打ち明けていなかったのは、そういう理由だ。もっとも、命を懸けても良いと思える人物であればそうしていたのだろうが。


 だが、彼女はためらいもなく青嶺に対して“力”を行使した。

 あの場に、桜の木がなかったにも関わらず。


 自分の生命を、その源として。



「『花咲』の姫である桜が、あなたを認めた。だから我々はあなたに付くことにしたんです」




 





6/6名前の間違いを訂正しました。

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