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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
42/54

“宵”のまどろみ1

更新が遅くて申し訳ありません。

そして今回は短いです・・・。


6/4名前間違いを訂正いたしました。スミマセン。

 多くの血を流した、流させた身体に、その手はひどく温かかった。



 あたたかいと感じたことで、青嶺は自分がひどく冷えていたことに気づく。

 投げ出した四肢だけではない。寒い、と感じる心すら凍りついて止まっていた。


 ずんずんと際限なく降り積もる雪に音もなく閉じ込められた草木のように、静かに、ひたすら静かにただ眠る。

 深い眠りに落ちた自分は、その自覚さえないままにやがて全ての動きを止める。

 永遠に。


 過程がどうであれ、人であれば誰もが避けられない運命だ。

 まして数え切れないほどの他人にそれを強いてきた自分が免れるなど、思ってもいない。


 だから、逆らうつもりはなかった。

 それでいいと、思い始めてすらいた。


 そんなとき唐突に感じた熱は、陽だまりのようだった。

 じんわりと染みるそれは、凍えた身体には焼け付くように熱く感じられる。

 朦朧とした彼をたたき起こし、死の淵から強引に引きずり上げるほどそれは強烈で、そしてひどく優しかった。


 彼に重く白くのしかかる雪をゆっくりと、しかし確実に溶かしては跡形もなく流していく。


 春が、来たのか。


 漠然と思ったのは、甘い香りが鼻先をかすめたからでもある。


 常であれば、まるで気にも留めない……だが確かに記憶にある香り。

 その甘さは人の手が加えられた大輪の花のようでもあり、その清々しさは野辺の小さな花々のようでもある。


 青嶺は忌々しい気分で呻いた。


 ―――いや、花ではない。


 これは、彼女(・・)だ。


 『花咲』を迎えるにあたって用意させた調度品のどの香とも違う。本人が持つ匂い袋ですらない。なのにまるで違和感のない、不思議と馴染む香り。


 ときどき、彼女のそばで感じるそれ。


 身分の高い女――場合によっては男も――が胸焼けするほど執拗に衣に焚き染める香り…いや(にお)いは、正直嫌いだった。

 人任せで用意はしてみたが、希少だ貴重だと木切れやら草やらに山のような金子を積むその感覚はまったく理解できない。分かりたいとも思わない。


 それでも、なぜか彼女の素朴ともいえる香りは嫌いではなかった。


 だが心が休まるかと言われれば、むしろ逆だ。


 落ち着いてはいけない、甘んじてはいけないと頭のどこかが釘を刺す。

 香りは清々しいのに、まるで戦場に出たときのようにうなじがびりびりと緊張する。

 生き延びるために研ぎ澄ませてきた感覚が警告する。


 この矛盾はなんなのか。


 その答えを、青嶺は唐突に見出した。

 自分が置かれた――置かれていた状況を思い出すとともに。


 この香りを感じるときは、決まって彼女が―――桜が、何かしでかしているのだ。


 それも大抵は、他人のために。

 彼女自身を傷つけることも厭わずに。


 問題はそこだ。

 彼女は、無謀にもそんなことを平気でするような、理解に苦しむ人種だった。


 それを自分がどんなに苦々しく思っているか、知りもしないで。




     ☆  ☆  ☆




 青嶺は目を覚ました。


 本当はすぐにでも身体を起こしたかったのだが、まるで寝床に縛り付けられたように頭を動かすことすらできない。


 ひたすらだるい。


 横になっているのに、天井がゆがんで見える。ぐらぐらとめまいがする。

 前後不覚になるほど酒を飲んだ晩の翌日の気分に似ていた。

 酒も飲みすぎれば毒になると言ったのは、誰だったか。少なくとも、一緒になって酒盛りをしていた侍医でないことは確かだ。


 最悪な気分を目をきつく閉じることでやり過ごしていると、横から声がかかった。


「おお……意識が戻ったんか」


 疲れと安堵の混じったため息にもういちどまぶたを上げれば、今度は視界にいかついひげ面が飛び込んできた。


「……東風(こち)のじじい」

 声を出そうとして、のどがひどく渇いてひりつくことに気が付く。

 いっしゅん、本当にいままで酔いつぶれて寝ていたのかと疑う。


「ふむ。頭も正常に動いとるようだの」

 西峰一の酒豪である老医師は、問答無用で青嶺のあちこちに触れ、脈を取っていく。


 そして「はああ」と今度はこれ見よがしなため息をついた。盛大に吐き出されたそれに酒気はない。


「まったく、無茶もたいがいにせいよ。前の毒矢の影響だってまだ身体に残っとるというのに、新しい傷やら毒やらもらってきやがって。嬢ちゃんがいなかったら、お前さん死んどるぞ」


 その言葉に、目を見開く。


 そうだ。


「おれ、は―――」

「風巻に行く途中で、佐々垣の残党に待ち伏せされたんだろう。不甲斐ねえな」

 ああ、ここは西峰だ。安心せいよ。


 白湯なのかお茶なのか、ずずっとすすりながらのほほんと老医師は呟く。

 それでも実年齢にしては驚くべき体力を誇るこの医師がなんとなくくたびれ荒んで見えるのは、自分の看病でろくに休んでいないのだろう。


「ああ、お前さんが飲むのはこれだ」

 ほれ、と問答無用で差し出されたのは、見るからに苦そうな薬湯である。


 青嶺は眉根を寄せた。

 ちがう。そんな場合ではない。


 彼は時間をかけてどうにか身体を起こす。床に付いていない利き手で胸をかきむしるように夜着を握りしめたのは無意識だ。


 問答無用で差し出された薬湯には見向きもせずに、朝東風をにらむ。


「じい。あれは、どうした」


「……はて。“あれ”?」


 とぼけた狸が、青嶺の言葉にいっしゅん表情を硬くした。

 それが分かったからからこそ、首をひねり明後日のほうを向く様子が妙に白々しい。


 苛立ちよりも、焦りが勝る。

 彼女は、あれからどうした。彼女はどうなった?


西峰(ここ)にいるのか。それとも風巻か。あるいは――」


 あるいは。何だというのだろう。

 自分の口から転がり出た自分の言葉に、青嶺は眉間のしわを一層深くする。


 老医師が言ったではないか。桜がいなければ(・・・・・・・)自分は死んでいたのだ(・・・・・・・・・・)と。

 それは、青嶺に対して彼女が何かをしたということだ。

 瀕死の自分に『花咲』である彼女が何をするかなど、分かりきっている。

 彼女が、青嶺に教えてくれたことなのだ。


 絶対に使うなと、言ったのに―――。


 目の前がいっしゅん真っ暗になりかけた。

 怒りのせいか、無理やり起き上がったせいなのか、頭がぐらぐらする。


「なあ、青嶺よ」


 しぶとく薬湯を差し出したままの朝東風が、静かに彼の名前を呼んだ。


「今更だがな。お前さんも死にかけたんだ。もうちっと落ち着いて今は休んどけ」


 珍しく茶化す気のなさそうな、真っ当な侍医の顔つきだった。労わるような、あるいは悼むような眼差しを青嶺に向けてくる。


「お前さんに話すことが、いろいろ溜まっとるんだ」

 何から、話すのがいいんだかな。


 老医師の呟きを合図にしたかのように、急に外が騒がしくなった。


 ばたばたと廊下を走る複数の足音。そして男たちの声。

 もどかしげなその騒音はだんだん大きくなり部屋の前で止まった。

 いや、騒音はこれからが本番だった。


「青嶺!」


 仮にも城主の寝所だというのに、断りもなく彼らは部屋の戸を開け放つ。

 戸が壊れなかったのが不思議なくらいだ。少しゆがんではいるかもしれないが。


「若!」


 やはり断りもなく押し入ってきたのは、砂原直亮と留守居役を任せていた黒崎栄進、その他の側近たち。角裕長ら風巻に同行していた者の顔まである。


 直亮は、病人の傍らへ崩れるようにして膝をつくと―――胸ぐらをつかみ上げた。


「この馬鹿! 考えなし!! 自分を大事にしろってあれだけ言ったのにまだ分からないのか!? お前を失ったら宇佐は終わりだ!」


 寝ていた青嶺よりもよほど死にそうな顔色で、直亮は怒鳴る。

 逆に青嶺はようやく頭が冷えてきた。


 直亮が言ったことを否定するわけではないが、別に梶山青嶺がいなくても宇佐はまあ大丈夫だろうと青嶺は思っている。

 たしかに青嶺は現宇佐の国領主のただひとりの子供である。しかし幸いというか、特別問題のありそうな分家も親戚もない。青嶺がいなくなれば、父はこのあたりから養子でも迎えて梶山本家を継がせるのだろう。

 仮に青嶺が宇佐の領主になったとして、宇佐がどこかに攻め取られる可能性がないわけではない。何があってもおかしくない、そんな世の中なのだ。


 つまり宇佐にとって自分という存在は、必要だが絶対ではない。


 それが宇佐を背負う重圧からただ逃げているだけだと理解してはいても、青嶺はいつもどこかでそう考えてしまうのを止められなかった。

 だから戦で先陣を切ることにためらいはなかったし、周りの制止に「それで死ぬようなら宇佐の『青鬼』はそれだけの男だ」とうそぶいていた。


 周囲がそんな自分にどれだけ心配しどれだけ苛立っているかも知らずに。

 いや、知ろうともせずに。


「おいコラ。乱暴はまだいかんぞ」


 幼馴染が青嶺の夜着をつかんだままでがくがくと揺さぶり始めたので、さすがに侍医が止めに入った。

 老体とは思えない力でべりっと若者たちを引き剥がす。止めに入るのが少し遅いような気もするが、青嶺の負傷には西峰城の皆の健康を守る彼も思うところがあるのだろう。


 そのとき、場違いなほど涼しい声が外から響いた。


「失礼いたします」


 見れば、直亮ら先人の失礼ぶりを目の当たりにしたはずなのに、わざとらしく寝所の入り口で膝をついている人物がいた。戸は開けっぱなしなので、なにやら間抜けだ。

 そして先人たちのように、主の許しを得ることはせずに「お邪魔しますね」と上がりこんでくる。


 若い男だった。

 ほっそりとした印象の身体をごく一般的な木賊色の衣で包んでいるが、緑が妙に似合う男だった。


 その口元は笑みの形に弧を描いてはいるが、目元はまるで笑っていない。

 むしろ、穏やかな口調とは裏腹にかなり冷ややかなものを感じる。


 初対面ではなかった。

 だが西峰城の住人ではない。もっと言えば、今頃ここにいる人物でもない。


「お前は、確か―――」


「お初にお目にかかります」

 絶対にそう思っていない顔つきで、堂々と彼は言ってのけた。


「二の『花咲』、(えんじゅ)と申します。以後お見知りおきを」


 以前、萌葱の国の跡取り息子である豊国宣朝(とよくにのぶとも)からのふざけた書状を持参した使者。

 “予定”通り、数日後には主の望む返答を持たずに萌葱に帰ったはずの男。



 あのとき違う姓名を名乗ったはずの青年は、にっこりと桜の兄を名乗った。






す、進まない…(汗)

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