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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“空”に響く音2

今回流血表現が入ります。ご注意下さい。




 己の腿に突き刺さった矢を、青嶺は眉ひとつ動かさずに抜く。


 避けきれなかったというよりは、ほかの部位を狙った矢をはじくことを優先させた、いわば想定内の負傷である。

 藍鼠(あいねずみ)の衣の下にはもとから簡易の具足を身につけていた。傷は浅く、大したことはない。


 その独特の形をした矢じりには見覚えがあった。


「――佐々垣の残党か」


 宇佐よりもさらに山深く、さらに貧しい小国。


 昨年宇佐が攻め入り滅ぼしたそこは、地の利を生かした野戦を得意とする傭兵の国であった。

 閉鎖的で排他的。自国を広げようという野心はなく、報酬によって他国の戦に力を貸す。主な顧客は財力のある萌葱で、戦のときだけでなく、荷を運ぶ商隊の護衛や有力者同士の小競り合いにまで使われていたらしい。


 基本的に武力を野蛮なものと見なす萌葱では、大規模な戦は頻繁に起こるものではない。

 そのため収入は不安定で、それを補うために山賊まがいの行為を働く者も少なくはなかった。


 青嶺は他人事ではないこの隣国の現状を苦々しく思っていた。

 宇佐が波座(なぐら)を攻めるためには佐々垣を通らなければならなかったが、侵略ではなく協力を持ちかけたのはそれが理由でもあった。


 だが、彼らは同盟を断った。

 彼らは、直接的に報酬を得ることができる“雇用”にこだわったのだ。


 正直なところ、萌葱のように佐々垣の民を買う余裕はない。

 その戦力は魅力的だが、買わねばならない必要性も感じなかった。


 どこの指図なのか、協力しないばかりか宇佐の動きを阻止しようと動かれたために、けっきょく宇佐は佐々垣を飲み込むはめになったのだった。



 矢が尽きたのか、それとも一向に倒れる気配のない鬼に痺れをきらしたのか。

 街道の両側からばらばらと十数名が下りてきて、青嶺と野分を囲む。


 周囲に、直亮やほかの部下たちの姿は見えない。

 固まっていては矢の的になりやすいと自然にばらけたのだ。

 何度も共に修羅場を潜り抜けてきた(つわもの)揃いである。彼らの心配はしていなかったが、引き離すことも襲撃者たちの思惑だったのかと思うと少々面白くない。


 そして戦にまるで慣れていない彼の連れを思い出し、ふと視線をめぐらせてみる。


 彼女は、無事だったろうか。


 敵の目的が何であれ、自分の側にいれば必然的に争いに巻き込まれる。

 他者を癒すことが出来る彼女に、これ以上血を見せたくはなかった。

 だから角裕長に彼女を託し、手放したのだ。



「宇佐の『青鬼』とお見受けする!」


 壮年の男が声高に叫ぶ。

 どうやら統率しているのは年長者と思われるこの男らしい。

 はきはきとした力強い口上は、命令を下すことに慣れた横柄さがある。なおかつ他の者たちより下がった場所にいた。



「貴殿は」


「我らは鬼を恨む者である!」


 ―――矢が飛んできた時点でそうだろうとは思っていた。


 やはり狙いは『花咲』ではなく、この『青鬼』だったらしい。

 そのことに、少しだけ安堵する。


 自分よりはるかに年上の男を冷え冷えと見下ろせば、相手は一瞬怯んだように言葉を詰まらせた。


 男の顔に浮かぶのは、優越感と達成感。そしてわずかな焦り。


 従者たちから引き離された梶山青嶺は、現在たったひとり。

 それをこちらは武装した集団で囲んでいるのだ。誰が見ても襲撃者側が有利なのは明らかだった。


 だが『青鬼』と呼ばれる男は、こんな状況でも平然としていた。

 まるで視線が刃になるとでも言わんばかりにあたりを睥睨する。


 その目には怒りも恐れも、諦めさえも浮かんではいない。

 死を覚悟したような悲壮な雰囲気も皆無だった。


 あまりに薄い反応に、襲撃者たちはあっけにとられていた。

 得体の知れない鬼の様子に、無意識にごくりとつばを飲み込む。


 気を取り直したように男が叫んだ。


「貴様が我ら佐々垣を貶め蹂躙したこと、まさしく鬼のごとき所業、忘れたとは言わせん! その首掻っ切って彷徨える我らが同士の御霊にくれてやる!」


 ざっと音が鳴り、それぞれがそれぞれの得物を構える。


 青嶺は―――嘲笑った。


「見たことのない顔だが名乗りもしないのか。名乗れる名を持たないのか? それとも名乗れぬ事情でもあるのか?」


 壮年の男の顔色が変わった。

 名乗らないのは、佐々垣を装っているだけか、名乗りにくい立場の者であるかのどちらかだ。

 男の実に素直な反応で、後者だろうとあっさりと予想がつく。


 佐々垣という国は、すでにない。

 だが佐々垣という土地は宇佐の一部として、あるのだ。

 そして佐々垣の人々を宇佐が冷遇しているかといえば、むしろまったく逆である。


 負けた側を虐げることなく、無理な搾取をしないどころか食料や金銭の援助までしてくれる宇佐を、佐々垣の人々はさほどの抵抗もなく受け入れた。とくに貧しい地域では、むしろ歓迎されたくらいだ。

 それにもともと宇佐の申し出に好意的だった者たちもいた。


 ただし、どこの国にも時流の読めない頭の固い連中というのはいる。


 それが、目の前の彼らだ。


 忠義者と言えば聞こえはいいかもしれない。

 だが国も、忠誠を誓った主もこの世にはいない。


 彼らが目を向けているのは、過去だけだ。


 未来を見据える者たちにとって、それは迷惑以外の何者でもない。


 恨まれている自覚はある。恨んでくれて構わない。

 それだけの事を青嶺はしてきたのだから。

 国のためとうたってはいても、他者を踏みつける行為には違いない。


 だがそのきっかけを作ったのは、佐々垣自身だ。

 青嶺は、差し出された首をはねただけだ。

 滅ぼす気などなかったものを、彼らが向かってきたから相手をしたまでで。


「名無しにやれるほどこの首は安くないぞ」


 口角を持ち上げ、挑発的に自分の首を押さえる。

 圧倒的な数で囲んでいるにも関わらず、何人かが怯んだ様子を見せた。


 どうして青嶺の動向が知られているのか。

 佐々垣ではなく宇佐の領内に武器を万端調えた彼らがいるのか。


 問いただしたいことはいろいろとあるが、あまり時間をかけている暇はなかった。


 ……左腿に、少しばかり痺れがある。


 どうやら矢じりに毒が塗ってあったらしい。

 これもまた、佐々垣の民らしからぬ所業だった。……誰かの入れ知恵だろう。


 囲んだものの襲ってこないのは、毒が回るのを待っているのかもしれない。


 こんな所でこんな輩に首をくれてやるわけにはいかない。


 青嶺は襲撃者たちにひたと刃を向けた。


「来い。この鬼に命を差し出す覚悟があればな」




 軽く促せば、幾多の戦場を共に駆けた愛馬はその名のごとくあっという間に敵に迫る。


 青嶺は刀を構えていた目の前の屈強な男に刀を振り下ろした。


 腕に、あるいは力に自信を持つ男だったのだろう。

 刃が厚く重く、不意打ちの襲撃には不向きにも見える刀を持っている。

 しかし風のように素早くしなやかな鬼の刃がそれに止められることはなかった。


 彼の重い刀を持つ利き手がそばの若武者へと飛べば、いくらか小柄な若武者は「ひっ」と声を上げて身をすくめる。

 あっけなく戦意を喪失したらしい未熟な青年の得物だけを弾き飛ばし、青嶺は馬首をめぐらせた。


 恐るべき速さと勢いで真後ろを向いた馬の巨体に、今にも槍を突き出そうとしていた男が思わず矛先を逸らす。

 それを許さず、槍の先を素手でつかんで自分のほうへと引き戻した。

 思っても見ない鬼の行動に、男の槍を持つ手がゆるむ。

 それこそ槍を突くように、刃で自ら血に濡らした拳を突き出す。

 次の瞬間、槍は持ち主の手を離れ、鬼の手におさまった。


 槍が反転する。

 ひゅん、と軽快に風をきる音の後、ざん、となにかを貫く重い音が響く。

 槍は狙い違わずもとの持ち主の胸を突くと、絶命を待たずに引き抜き隣の男の首をも掻っ切った。


 蒼穹に舞い散る赤が地面を染める前に、すでに赤をまとっている野分が再び馬体を翻す。

 刀を持って近づいていた別の男が、馬の蹄に跳ね飛ばされた。


 奔放な愛馬の動きに一瞬、青嶺の上体がくらりと崩れた。


 そこへ別の男が持つ槍が襲いかかり、わき腹を抉る。


 なおも突いてくる槍を右手の刀で大きく弾き、青嶺は眉をひそめた。

 矢を受けた足に、思うように力が入らない。


 激しく動いたためか、一定の時間が過ぎたからか。おそらく何らかの毒によると思われる痺れは、いまでは左足全体に広がっている。

 頭の中も、気を抜けばすぐにでも霞に覆われてしまいそうだ。わき腹の痛みで我に返ることができたので、槍の男には感謝したいほどだ。


 だがこのまま症状が広がれば、野分に振り落とされてしまうだろう。

 何度も串刺しになるわけにもいかない。


 青嶺は自分が利き手に構えていた刀を斜め後ろに鋭く投げる。


 ――――すぐにどす、と重くくぐもった音が響く。


「ぎゃああああああっ」


 襲撃者のものである叫び声が里山にこだました。


 叫び声は、最初に青嶺に怒鳴った壮年の武士のものだった。

 肩に青嶺が投げた刀が深々と突き刺さっている。


 自ら向かってくることはないものの、男はほかの襲撃者たちにそこを狙え、こっちへ回れと小ざかしい指示を送っていた。

 邪魔だったのだ。


 ざわり、と空気が揺らぐ。

 男の叫び声も、その衝撃と痛みに耐え切れず地面に倒れたどしゃりという音も、それ以外の男たちの動揺でさえ、青く抜けるような空と寒々しい木立の中に素っ気なく吸い込まれていく。


 頭数をみれば、まだまだ襲撃者側は圧倒的に有利だ。

 だがわずかな時間で三分の一がその場にうずくまり、指揮官まで失い、たったひとりの目標は自身の負傷よりもむしろ返り血で藍鼠の衣を濡らし、平然とそこにいる。


「ば、化け物……」


 誰かの口から、思わずといった風に驚愕に満ちた呟きがこぼれた。


「どうした」


 低い声に、襲撃者たちがひゅっと息を飲む。


「この首を取るのだろう。もっとも、取ったところでどうなるものでもないと思うがな」


 過去にすがりつき先を見ようともしなかった者たちに、言い放つ。


 赤く濡れた手の平で、挑発するようにとんと自らの首を押さえる。


 威勢のよい反論は、どこからも上がらなかった。


 ひゅんと冷たい音を立て、槍の穂先が弧を描く。

 青嶺は、奪った槍を利き手に構え直した。


 容赦なく視界を奪っていく霞を振り払うように。


 そのとき、別のものが風を切るかすかな音を、耳がとらえた。


 が、反応が遅れた。


 ――背中を、強く鋭い何かに突かれる感触。


 さらに二度、三度と同じ方向から細い矢が飛んできたが、これは槍の柄で叩き落とす。


 青嶺は抑揚のない声で呟いた。

 背中に一本だけ生えた矢をそのままに。


「矢が尽きたわけではなかったのか」


 この『青鬼』を射るとは。

 良い腕だ。惜しい。


 惜しいが。


 馬の鞍に忍ばせてあった小太刀を引き抜き、矢が放たれた方向に向かって投げる。

 ど、っと刃が何かに埋まる音と同時に男のうめき声が木々の向こうから聞こえてきた。


 やらなければ、殺られる。

 そんな場面で相手に慈悲を与えることができるくらいならば、青嶺は“鬼”ではない別の異名で呼ばれていただろう。


 青嶺は止まらない。

 命中した矢に狂喜し、さらにその直後打ち落とされた矢に驚愕していた生き残りたちは、呆然としている間に彼の凶刃にさらにひとりふたりと倒れていく。


「ひ、ひい………っ」


 自らの身体から流れ出た赤に染まる鬼の姿に、恐怖と絶望の声が放り投げられる。

 これから奪われるであろう自分の命とその過程を思い、絶望で顔をゆがめる人々。


 実に、見慣れた光景。慣れた視線だった。

 何の感情も湧いてはこない。


 それは青嶺自身が仕向けたものでもあったから。


 彼の悪名が高まれば高まるだけ、周辺諸国は彼を恐れ、警戒し、慎重になる。

 ひとたび戦になれば敵の士気を下げ、味方の士気を上げることにもつながる。

 噂は、戦をする上で立派な砦となるのだ。



 だが、ふと。


 意識がほんの一瞬、遠のいたせいだろうか。


 魔がさしたように、彼のそんな思惑に乗せられなかった大きな瞳を思い出した。


 ―――桜、という名の『花咲』。


 本人の前で「怖い」と堂々と言い放ちながら、彼の目線よりもだいぶ低い位置から、真っ直ぐ“青嶺”を見返す気丈な女人。


 鬼の引き起こした惨劇を目の当たりにしても「怖くない」と言ってのけた、奇妙な女人。


 大抵の女性はまず鬼のひとにらみで―――いや、別ににらまなくても石のように固まるか、腰を抜かすか、泣いて逃げるかのどれかだというのに。


 驚いた。そして困惑した。


 そのくせ不用意に触れれば壊れそうな風情で。


 少しも目を離していられない。


 なんて厄介な女だと思った。しかし心のどこかで、自分でも不思議に思うほど、安らいでいた。


 彼女が鬼に対して世にも珍しい反応を見せたから、なのか。

 あるいはそんな反応を見せたのが彼女だったから、なのか。


 青嶺にはわからない。


 だが、だからこそ、彼女が何者でも良かった。


 『青鬼』は、青嶺の一部だ。否定はしないし、する必要も感じない。


 だが彼女が青嶺を“青嶺”として見てくれる。

 それは、なぜかとてもかけがえのないもののような気がした。


 いまは傍らにいて欲しいと、強く思う。

 彼女にもそれを望んでほしいとすら思ってしまう。



 宇佐の『青鬼』は、刃を振るう。振るい続ける。


 ざく、と身体のどこかで音がした。


 すでに痛覚は麻痺しているらしい。

 目がかすんで、何人残っているのかもわからない。


 反射的に槍をひねれば、手応えと共に背後でうめき声が聞こえた。


 野分の身体が、大きく揺らぐ。


 いや、揺らいだのは自身の身体か。



 どさりと愛馬から落ちた後も、青嶺は刃を下ろすことはなかった。




     ☆  ☆  ☆




 おそらく、さほど長い時間ではなかったはずだ。


 襲撃者の断末魔の叫び声をたよりに、引き離されていた鬼の部下たちが主の居場所を探し当てたとき。


 彼らが見たのは、血にまみれた襲撃者であったモノの山。



 そして『青鬼』の、同じく―――いやそれ以上に紅に染まった姿だった。








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