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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
33/54

“紅”に染まる花

直接的な残酷表現はありませんが、前話の別視点です。

 最初に気がついたのは砂原直亮だった。

 雪がちらついてきたので早めに視察を切り上げ、馬を厩舎に返す途中のことだ。


「おや、桜の花びら、かな?」


 雪に混じって肩に落ちてきたそれを手に取り、直亮はかすかに笑う。

「珍しいね、雪の吹雪と花吹雪か。萌葱の国なら一句詠えとか言われるのかな」


 手で触れても消えず、純白ではなくほんのりと薄紅色をしたそれは、青嶺の肩や袖にも降りかかった。一瞬青色の衣にすがるようにして胸元で止まり、雪と一緒にはらりと落ちる。


 なぜ、小さな花びらひとつに引っかかりを覚えたのか。


 雪や花を愛でる情緒は持ち合わせていない。

 築城や波座攻めの準備に追われている今は、はっきり言ってそれどころではなかった。雪が降れば寒いし、積もればさらに厄介。花だって、いまこの時でなくてもこれから嫌というほど周りで見られるだろう。


 宇佐の春は、萌葱に比べて遅い。

 こうして雪がちらつく日がある事も、珍しくはない。

 早咲きの桜だってまだ花を開く気配はなく、よってこんなにも花が落ちてくるのがそもそもおかしい。


 周囲にそれらしい木は見当たらない。

 だが風上に目を向ければ、遠くに白く霞む大木が見えた。


 離れの側に立つ、山桜の大木である。

 ほかの樹木に隠れて全てが見えるわけではなかったが、確かに雪ではない白をまとっていた。


 数日前に訪れたときは、確か花は咲いていなかったはずだ。

 咲き初めの桜が、こんな離れた場所にまでたくさん落ちてくるものだろうか?




「……若? 早いお戻りですね」


 背後から声がかかった。

 そこにいたのはなぜか藁束を抱えた角裕長と、『花咲』の侍女さほである。


「お前らこそどうした?」

「ええとー、それが……」

 さほが気まずそうに視線をそらす。


「桜さまが薬草畑の様子を見に行くと仰いまして―――」

「我々は畑に敷くための藁を取りに行っていたんです」

「……ということは、この寒いのにあれは畑にいるのか」

 あきれたように青嶺は呟いた。


「はいー」

 すいません、とさほが小さな肩をさらにすくめれば。

「そうなんです」

 と裕長が苦笑する。


 離れのときと違い、青嶺は『花咲』が自室から出ることを禁じているわけではない。

 それは勝手に抜け出されるより見張り付きで堂々と出歩いてくれたほうがましだったのと、『花咲』自身が意味もなくあちこち動き回るような真似をしないと分かっているからだ。

 不審な動きを見せれば、たちまち自由を奪われる。賢い娘は、それを知っているのだろう。


 余計な動きはないが、しかし動かないわけではない。

 どうして“姫”などと呼ばれていたのか首を傾げたくなる程やたら行動的な少女だ。付き合わされる方はなかなか大変である。


 薬草畑に関しては特に、自分で確かめずにはいられないらしい。

 青嶺がそう仕向けたのだ。

 薬草がちゃんと育つまで、彼女を解放してやらない。そう宣言したので。

 彼女と、彼女を連れ去ろうとする者達へ向けて。


 だから、彼女が薬草畑に行くことを青嶺は止められない。


「あの人は本当に………」

 視察に同行していた栄進がはあ、とため息をつく。彼も『花咲』の護衛を任されているひとりなので、毎度それなりの気苦労をしているらしい。


「若。ちょっと説教してきていいですか」

 眉間に深いしわを刻んで、栄進がずんずんと離れのほうへ歩いていった。

 降ってくる白は、すでに花びらよりも雪のほうが多い。本人は大丈夫だと言い張るだろうが、確かにそろそろ館に連れ戻したほうがいいだろう。


 ふと、思いついたように直亮が言った。

「それじゃあ離れのほうにいるのは、せりとなずなか?」

「いえ、彼女たちは炊事場で。阿賀野が付いています」


 青嶺と直亮が顔を見合わせた。

「阿賀野、だけか」


「え、ええ」

 低い声に、裕長は気圧されしたらしい。

「阿賀野が桜どのに、えー、まあ我々以上の好意を抱いているのは知ってますが、ぎくしゃくしたままでは護衛もままならないので。ちょっと荒療治を。あの男なら桜どのの嫌がるようなことはしないでしょうし」


 阿賀野保行は、青嶺と共にいくつもの戦場を駆け抜けてきた有能な家臣である。

 少々融通が利かない面はあるものの、背中を預けてもいいと思えるほどには信頼を置いていた。そうでなければ『花咲』の側には近寄らせたりしない。


 近頃様子がおかしいのは、青嶺も承知していた。

 もしそれが祖父・梶山保経から書状が届いた時期と重ならなければ、彼も裕長らと同じように恋わずらいか何かだと考えたかもしれない。


 阿賀野の父親は、若い頃から青嶺の祖父・梶山保経に仕えていた。現在は家督を息子の保行に譲り表向きは隠居暮らしだが、変わらず保経に仕え続けているとも聞く。阿賀野家が居を構えるのも保経がいる風巻だ。


 保経の代で宇佐の領土が大幅に増えたこともあり、彼は今でも一部で英雄扱いされ敬われている。中でも死んだと思われていた戦場から数日後に無傷で生還した話は、ほとんど神話のように語り継がれていた。


 彼が保経を瀕死の状態から救い出した『癒し手』の話を妄信していたのだとしたら、得体が知れない『花咲』の少女を最初から大げさなまでに崇めていたことの説明がつく。


 確信や、しっかりとした証拠があるわけではなかった。

 言いがかりで優秀な若武者を失うわけにはいかない。

 だから青嶺と直亮は牽制しながらも静観することにしたのだ。


 その阿賀野と『花咲』がふたりきりでいるという状況は、あまりよくない。

 これまでの状況を考えると、阿賀野は黒に近い灰色なのだ。


 突然花開いた山桜の大木。

 そのたもとに、彼女はいるという。


 ―――花びらが何かを自分に知らせようとしている、など。

 馬鹿げていると思う。いつもの自分なら、鼻で笑っているところだ。


 だが、どうしても嫌な予感を振り払うことが出来ない。


 出会った時から、青嶺は彼女の花に何かしら心を動かさずにはいられないのだ。


「直亮」


 青嶺は腹心の幼馴染を呼び、馬を預けた。

 直亮も心得たようにひとつ頷く。



「……もしかして、修羅場ですかね」


 裕長が呆然と呟く。いつもの軽口だが、主のただならぬ様子が浮ついたものではないと感じ取ったらしい。同じくさほも不安げな表情を浮かべている。

 それにしっかりとした返答は出来ず、直亮はただ首をかしげた。


「さて。ただの懸想だったら問題はないんだが」




 離れの建物が見えたとき、青嶺の耳に入ってきたのは穏やかではない物音だった。


 次いで聞こえたのは、『花咲』の悲鳴に似た栄進の名を呼ぶ声。


 少女を無理やり引きずって出てきた大男は、青嶺の姿を確認すると目を見開いた。

 焦りと狂気と痛みをはらんだ暗い瞳に、疑いが確信に変わる。


 山桜の花びらが、雪のように降っていた。

 『花咲』の存在を知らしめるように。彼女を、護るように。


「阿賀野保行」


 裏切り者を呼ぶ声は、ひどく冷えていた。


 阿賀野の刀は、すでに赤く濡れている。

 目的が『花咲』の身柄であることを考えると、彼女に危害を加えることはない。

 そう、頭ではわかっているのに、冷たくも激しい感情が青嶺の中でぞろりと動き出す。


「それを返してもらおうか」


 刀を抜くことにためらいはなかった。

 静かで、キンと張り詰めた空気が場を支配する。それはまるで、戦の前のように。


「この方の起こす奇跡を、あなたは知っているのか」

 阿賀野は引きつりながらも嘲笑ってさえいた。


「奇跡?」


 青嶺は阿賀野の向こうにある小さな影を見つめる。

 『花咲』の少女は、そうとわかるほどにがたがたと震えていた。

 『青鬼』を前にしてさえ気丈に振る舞うことができた彼女が、いまは恐怖を隠そうともしていない。

 大きく無骨な手に拘束された細い腕は、痛々しくうっ血している。


 青嶺には、その姿だけでじゅうぶんだった。


「そんなものに頼る気持ちは、おれにはわからん」


 痛みをこらえるように顔を歪める阿賀野を真っ直ぐに見据える。

 刀の切っ先を、かつての戦友に真っ直ぐに構える。


「奇跡とやらのために、それを連れて行くのは許さん」

 手放す気はないと、言ったはずだ。


 考えるまでもなく言葉を放った。その時。


 囚われた小さな身体が、ぴくんと波打った。


 すがるように青嶺を見つめる、涙に濡れた黒い双眸。

 震える唇から、紡がれた名前。

 そしてほんのわずかに、伸ばされた白い手。


 それで、じゅうぶんだった。

 彼女を阿賀野から、祖父から取り返す理由には。




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