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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
30/54

“風”の行方1


 その日の空は、暗い灰色をしていた。

 重い雲がのしかかり、いまにもぼたりと落ちてきそうだ。


「なんだか寒いですし、雪が降るかもしれませんねー」

「さほもそう思う?」


 いっしょに空を見上げていた農家の娘の予想に、桜は眉根を寄せた。


 先日、見張りの男たちにも協力してもらって、小さな薬草畑を作った。

 そこに薬草の株を移し替えたばかりなのだ。いくら寒さに強い種類とはいえ、まだ新しい土に馴染んでいない状態では雪に耐えられるかどうかわからない。


 ここしばらく暖かい日が続いていたので、すっかり油断していた。

 始めたばかりなのに、もう枯れてしまいましたではあまりに申し訳ない。


 ぽんと浮かんだ強面の顔に、思い出しただけでずんと肩が重くなったような気がした。



 ―――簡単に手放す気は、ないからな。



 そう鬼が言ったとき、周囲が妙に盛り上がっていた理由まではよくわからない。

 だが、あの発言は釘をさされたんだなと桜は思っている。


 これだけ好きにやらせているんだから結果を出せと、あの鋭い目は絶対に言っていた。

それができるまでは、宣言通りここから出してはもらえないのだろう。


 もともと望まれていたのは、噂にあるような『花咲』の不可思議な“力”だ。

 そのため、萌葱の国との交渉ではかなり譲歩をしたようなことも言っていた。


 噂とは微妙に違うものの『花咲』にしかない“力”があるのは事実だ。

 たぶん、まだ知られてはいないはず。

 もし勘付かれているのだとしたら、こんな場所でのほほんと畑を耕したりできないだろう。


 だから、彼はせめて別のことで役に立てと言いたいのかもしれない。


 最初がどうであれ悪くはない生活を与えてもらっているし、さほやほかの宇佐の人々も桜に良くしてくれる。その分を返したいとも思う。


 少なくとも、豊国家のわがままに付き合っているよりは何倍も有意義な気分ではあった。


 萌葱に返さないと言われたも同然なのに思ったほど落ち込んでいない自分を、桜はそう理由付けた。




「ちょっと薬草畑に行って来ます」


 宣言して立ち上がると、案の定さほの丸っこい目はたちまち三角になった。


「ダメですよ、こんな寒いのにー。風邪を引いてしまいます!」

「……そう簡単に引いたりしないから」

「姫さまに何かあったら、若さまに顔向けできませんからー」

「………」

「あ、すみません。えーと桜さまでした」


 桜はため息をついた。

 なんだか訂正するのも面倒くさくなってきた。最近の扱いは、なんだか本当にお姫様だ。


 常に誰かが側にいる。

 それは最初からなので仕方がないとは思う。


 医務室と炊事場、それに薬草畑に行くことは容認されているものの、それ以外の行動に制限がかかる。医務室以外の場所では、少しでも長居しようとすると部屋に戻るよう急かされもする。

 それも、まあ、軟禁されていたことを考えると仕方ないのかもしれない。


 だが、その理由がおかしい。

 怪しいから、ではなく「その身になにかあれば一大事」と訴えられるのだ。

 そして次に続く言葉は「若様に叱られます」。


 とくに体調も悪くないのに余計な気遣いをされ「お身体を大事に」と付きまとわれるのは、非常にうっとおしいものだということが良くわかった。


 萌葱の国では、引きこもっていても屋敷の敷地内で料理だ掃除だ植物の世話だと忙しく動き回っていた桜である。一部屋で大人しくしていなさいと言われても、それは拷問ですかと問い返したくなる。

 本物の“姫”ではないので、こんなときの時間の潰し方などわからない。じっと座っているのも本当は苦手だ。


 鬼城主と一緒に城の外に出たあたりから、どうも周囲が過保護気味になったような気がするのだが……何か、やってしまっただろうか。

 その割に鬼と鬼の側近は態度はあまり変わっていないのだが。



 交渉の末、口を尖らせていたさほは渋々といった様子でうなずいた。

「……わかりました。せりさん達に言ってきますので、ちょっとだけお待ち下さい」


「ありがとう」

 にっこり笑うと、さほは顔を真っ赤にした。


「わ、わたしも行きますからー! 絶対に待ってて下さいよ」


 いちおう反対はするものの、結局周囲が折れるのもいつもの事だ。

 それがわかっているあたり自分もずるいなと内心でため息をつく。

 いろいろ勝手を言ってきた覚えがあるので、諦められているのだろう。無理難題をふっかけているつもりはないのだが。


 これに慣れると、きっと萌葱の三の姫みたいになってしまうのだろう。


 そう考えると、少し落ち込んだ。




 さほに加えて部屋前の見張り番に当たっていた阿賀野と角裕長を連れて、桜は薬草畑へと向かった。


 ちなみに部屋前の見張りも二人に増えた。

 理由は、やはり桜の身辺警護。

 そんなに人手はいりませんという桜の訴えは、当然却下である。


 元気になったからって別に逃げようとは思ってませんよ、と言うと、見張りの面々は変な顔をしていた。


 そんなわけで、桜は今日も目立つ集団の一部、というより中心で、なんだか釈然としない思いを抱えていた。



「やっぱり、植えるならもう少し暖かくなってからのほうがよかったかなあ」


 呟きながら、桜は離れの小屋へと向かう。

 いつの間にか冷たい風に混じって雪がちらつき始めていた。


 桜が城に移ってから誰も利用していない離れは、いまや鍬などの農具置き場になっていた。たしか、土間に藁が残っていたはずだ。


 察したさほが、桜の後に続いた。

「敷き藁ですか? でも藁が足りなくないですかー?」

「うーん、そうかな」


「城の蔵にはまだあると思います。少し分けてもらいますか」

 藁を運び出しながら、阿賀野が言った。

 こんなものをあなたに運ばせるわけにはいきません、と藁束は彼が独占してしまっている。


「いいんですか? お城を建てるのに使ってますよね」


「いいんじゃないですか。桜どのが使う、と言えばどれだけでも融通してくれると思いますよ」

 裕長があっさりと言った。


 穏やかな風貌に穏やかな口調、いつもにこにこと笑っている彼を見ていると、桜は妙に兄たちを思い出す。

 にこにこ邪気のない笑顔を浮かべておいて、なにか引っかかる物言いをする。

 絶対わざとである。悪意がないので余計に性質が悪い。


「裕長さん……」

 軽くにらむと、裕長はひょいっとお茶目に肩をすくめた。

 さらに頭の痛いことに、彼の発言はまんざら嘘でも大げさでもないのだ。


 有り難そうに拝む者までいるのは、絶対に阿賀野あたりが天女だ女神だと騒いでいたからに違いない。

 『青鬼』に「お前、また何かやったのか」と眉をひそめられたが、桜にだってわからない。後ろに控えていた鬼の側近が含み笑いをしていたのも少し気にかかるが。


「そんなに多い量ではないんでしょう。わたしがもらってきましょう」

 力仕事ですから、と裕長は腕を持ち上げる。


「あ、それじゃわたしも行きます」

「いいえー桜さまは中で待っててください。お身体が冷えてしまいますからー」


 いつの間にか離れで火をおこしていたらしい。さほはぐいぐいと桜の背中を押した。

「築城担当のお役人さまと顔見知りなんですー。わたしが行きますよ」


 口を挟む暇もなく、さほはぶんぶんと手を振って城のほうへと戻っていく。

 裕長も苦笑いをしてその後を追った。



 残ったふたりの間に、微妙な沈黙が流れた。


 最近の阿賀野は、元気がない。


 何かにつけて大げさなのも騒がしいのも変わらないのだが、ときどき悲しげな、切ないような表情でこちらを見ていることがある。

 鬼のものほど痛く鋭くはないのだが、なんだか落ち付かない気分になる視線である。


 侍女たちに言えば「ああ」と訳知り顔でうなずくのだが、「そっとしておいてあげて下さい」とあいまいな笑みを浮かべてごまかされてしまった。


 なんでも、桜がなぐさめると逆効果になるらしい。


 わけがわからない。


 熊のような大男は、ただ黙々と畑の土の上に藁を敷き始めていく。

 大きな丸い背中が、ひと回り小さくなったようだ。


 これまでなら「寒くないですか」「お疲れではありませんか」「おみ足は痛みませんか」「お腹空きませんか」とほっといて下さいと怒鳴りたくなるほど構ってきた阿賀野だが、実際に黙り込まれるとものすごく居心地が悪かった。


 ひとりで作業をさせているのは心苦しいのだが、きっと手伝わせてはくれないのだろう。


 大事に扱うあまり、彼はひどく融通のきかない面がある。


 殺し文句の「お願い」もほとんど効果がないので、最近は侍女や見張りの面々はどうしても桜を止めたいとき阿賀野を説得に当たらせるようになったほどだ。


 かといって、ひとりだけ屋内にいるのも気が引ける。

 居残った侍女たちへのお土産にでもしようかと、ぽつぽつ顔を見せていた山菜や草花を摘んでみる。


 建物の周辺をふらついていると、つんと何かに髪を引っ張られた。


 見上げると、山桜の大木が枝先を桜の髪にまで伸ばしていた。

 蕾の重みだろうか。以前は手を伸ばしてようやく届く程度だった枝先が、桜の目の前に垂れかかるほどになっている。


 慎重に髪からはずし、確かめるように枝先とそこに色付いた蕾をなでてみる。


 すると、ひんやりとした枝がほんのりと熱を帯びたような気がした。こちらを心配しているようにも、気遣っているようにも、そして引き留めているようにも思える。


「気にしてくれてるの。大丈夫だよ」

「なにがですか」


 直後、頭上から降ってきた低い声に、桜は文字通り飛び上がった。

「……っひゃあ!」


 実にきれいなハの字眉をした仁王立ちの熊が、すぐそこにいる。

 こんな大きなものが近付いていたというのに、どうして気が付かなかったのだろう。


「申し訳ありません。驚かしてしまいましたね」


 ばくばくと音が聞こえそうなほど忙しない胸に手を当てて、桜は無理やり長く息を吐き出した。

「……すみません。驚きすぎました」


 熊男は少し寂しそうな顔つきをして、ごつい手で桜を屋根の下へと促す。


「あるだけの藁は敷きました。ここは寒いので、離れで角どのを待ちましょう」

「……はい」


 桜は大人しく従った。

 ここでうっかり風邪でも引いてしまうと、この先過保護な人々が絶対に部屋から出してくれないだろう。その危険を回避するためにも、過保護の筆頭には逆らわないほうがいい。

 それに、冷たい風にかなり体温を奪われてもいた。


「……そういえば、わたしがここにいるときはいつも外に立っていたんですよね」


 別に桜が頼んだわけではないのだが、阿賀野たちが昼も夜も外で見張りに立っていたのだ。

 それをあらためて思い出して、なんだか申し訳ない気分になる。


 いまも部屋の前に交代で立ってはいるが、屋内なので風雨がしのげている分ましだ。


「わたしが言うことじゃないですけど、大変でしたね」

「いいえ大した事ではありません」


 阿賀野は何の気負いもなく即答した。

 戦場では、もっと過酷な条件で過ごすこともあるらしい。


 宇佐の領主である梶山家嫡男の青嶺でさえ夜通しの見張りも野宿も平気でこなすという話には驚いた。

 同じ跡取り息子であるはずの豊国家の嫡男にできるかというと……たぶん、絶対に無理だろう。


 なにしろ豊国宣朝は、歌会や舟遊びのために屋外に出ることがあっても移動に輿を欠かしたことがない。

 貫禄のありすぎる腹回りのおかげで、長く立っていても、座っていても腰が痛くなってくるらしい。何もしていないのに――いや、していないからこそ膝も痛めたとか聞いたような気がする。足腰が冷える野宿などとんでもない。

 迷惑を被るだけなので、周囲だって冗談でも勧めないだろう。


 梶山青嶺の人望は、宣朝とは比べ物にならないほど高い。桜でもわかるほど、明らかに部下の態度が違うのだ。

 他国からは『青鬼』と恐れられているものの、彼に近い人々からは畏怖よりも尊敬や羨望を集めているようだ。

 苦楽を共にしているせいか、と妙に納得した。


 まあ顔立ちがきつく態度が荒いので、女子供には怖がられることのほうが多いようだが。


 目の前の熊のような大男も「仕事ですから」とかすかに笑った。


「大変名誉なお役目でした。姫を間近でお護りすることができたのですから」

「……いえ」


 正確にはお(まも)りというよりお()りだ。桜が何かしでかさないように見張る役目、だと思うのだが。

 それが名誉かどうかはともかく、とりあえずは意識して口を閉じた。


 こうして話している間も、その大きな背中は空と同様に灰色の雲を背負っているようだ。


 そういえば、顔も青白いような気がする。


「……あー、阿賀野さん」


 びくんと大きな肩が震えて、熊がおどおどと振り返る。

 その態度に、いっそう不安になった。


「もしかしてお疲れですか?」


 阿賀野が目を見開く。

 桜はそっと目をそらした。彼の真摯な眼差しは、どうにも苦手だ。

 桜を見ていながら、桜ではない何かを見ているようで。


「忙しいですよね。戦の準備も始めていると聞いたんですが」

「え、ええ」

 なぜかぎくりとしたように大男も目を背け、再び歩き始めた。


 冬に戦をしない。寒さの厳しい地方では、これは暗黙の了解である。

 ただしそれは春になれば戦が始まるということでもある。


 ここのところなんだか城内が慌ただしいし、鬼とその側近の顔をあまり見ない。

 それを東風(こち)先生に漏らしたところ、戦支度だろうと教えてくれたのだ。

 この西峰城にしても、南国波座(なぐら)を攻めるための拠点として作られたらしい。


 普段は大人しい阿賀野だが、戦場に出ればそれこそ怒れる熊のごとく敵に突進し、槍の一振りで複数の首をかっ飛ばすらしい。そんな彼も、もちろん出陣するのだろう。


 ……そんな猛将に畑仕事を手伝わせて、果たしてよかったのかどうか。

 最近の元気のなさと顔色の悪さが気になって、桜は大きな熊を手招きした。


 丸い顔の土気色をした頬に、ひたりと手を当てる。


「ひっ……姫さま?」

「熱、はないですよね。冷えているわけでもなさそうですし」

「……っ」


 ひた、ひたと額やまぶたに触れていくと、熊は兎のようにびくびくしていた。

 手が離れると、まるで森の中で熊に遭遇したかのようにこちらを凝視しながらじりじりと戸口にまで後退してしまう。

 変な反応だとは思ったが、その顔がさっきよりも少しだけ赤味を帯びていたような気がするので、血の気が戻ったのならまあいいかと思うことにした。


「ご迷惑ばかりおかけして、すみません。あとで、疲れが取れる薬湯でも作りますね」

「い、いいいえ………」


 さほが鍋をかけてくれたおかげで、白湯はある。ここでふるまいたいところだが、摘んだばかりの山菜しか手元にないのだからしょうがない。

 ついでに皆にも配ってみてもいいだろうか、東風先生に聞いてみよう。


 そんなことを考えて、ふと苦笑がもれた。

「甘めの茶菓子と一緒に出せば、鬼……じゃなくて青嶺さまも飲みますかね?」


「若君、ですか」

 戸惑うような声が背後から聞こえる。


「はい。苦い薬が嫌だって、『青鬼』のくせに子供みたいですね。東風先生も笑って―――」


 ぞろりと、寒気が襲う。


 白湯を器に入れ阿賀野に渡そうと振り返った桜は息を飲んだ。飲まされた。


 阿賀野からは笑みも言葉も、なにも返ってこなかった。


 ただ、底の知れない瞳で桜を見ていた。




 どこかうつろな、けれども熱くどろりとした何かをはらんだ目で。






次話は明日更新予定です。

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