“桜”に思うこと
序章その2。
…だったんですが、割り込みしたのでその3です。
次回から本編になります。たぶん。
「どうしてこうなっちゃうかなあ」
ひとりの少女が、力なく呟く。
昨晩の名残雪があたりをうっすらと白く染める、早春の朝。
満開の桜を前にして、彼女は途方に暮れていた。
それなりに大きな家屋と、妙に広く雑然とした庭。小川が涼やかな――というよりは季節がら少々寒々しい――音を立てて庭内を蛇行し、草木の明るい緑がちらり、ちらりとそれに彩を添えていた。
庭園は、ここから半日も歩けば簡単に目にできるような山里の林に似ていた。手入れはされているが観賞用に趣向を凝らしているわけでもない、一見ただあるがままの野辺の風景である。
少女がへたり込む背後にある離れの中にも鉢植えや盆栽が所狭しと並べられ、まるで野山の延長のようだ。
「見事に八分咲き。見頃中の見頃だな」
離れからあきれたようなため息が聞こえ、少女はびくりと肩をすくめる。
「ここまで開いてしまえば、留めることは難しい。あとは散るだけだ」
「……だ、よねえ」
梅の蕾でさえまだ小さく固いこの時期。
雲のようにもったりと枝にまとわりつく薄紅色の花は、幻というには強烈な存在感があり、周囲から浮き上がって見える。
しかし、冬の枯れ枝にも、夏の緑樹にも春のごとき花を咲かせる。それが萌葱の国を治める豊国家に仕える庭師『花咲』の仕事であった。
離れから出てきた青年は少女の傍を通り過ぎ、桜の幹を労わるように軽く叩く。
「名前のせいか。本当に桜はこの木との相性がいいんだな」
「ごめんなさい、樹兄さん……」
青年の低い声に責める響きはないものの、少女――桜はいっそう肩を落とす。
すらりと伸びた長身の兄に比べるとかなり小柄ではあるが、今はなおさら小さく見える。
「言われたことは全部、ちゃんとやったつもりだったのに」
水や肥料の加減、防寒の対策などなど。全て、間違いなくやってきたのに。
まだそこここに雪が残る早春である。開花が遅れるとか蕾が枯れるならまだしも、満開になるとはどういうことか。ここ数日は雪がちらつくほど冷え込んでいたというのに。
「せっかく咲いたんだ。蕾に戻せるはずもないし、きょうは花見の宴でも開くかい」
花の下の青年と似た、それよりもさらりとした印象の声が、今度は母屋へと向かう石畳からかかる。
振り返れば、背格好も顔立ちもよく似た青年がにこにこと笑っていた。
「槐、兄さん……」
「桜はあの木に気合い負けしたんだよ」
冗談なのか本気か。飄々とした口調で少女のもうひとりの兄である槐は言う。
「あれは今、ここで花を咲かせたかった。見せびらかし自慢することしか考えていない豊国家の連中の前より、同じ名を持つお前の前で咲きたかったんだ。その気持ちに、お前は敵わなかっただけだ」
「槐」
樹が、とがめるように弟を呼ぶ。
桜の木に気力があるのかどうかはともかく、心当たりがある桜はう、と詰まった。
豊国家からのこの仕事を渋々やっていたのは事実だ。
しばらく待てば、放っておいても春の花々があちこちで咲く。花は本来の季節に咲くのがいちばん美しく元気なのだ。大事な来客があるとはいえ、時期を早めて咲かせろという命令はどうにも理解できない。
それを見て楽しもうという趣向も。
むう、と口を尖らせた妹に、槐は気軽な口調のままで続けて言った。
「期日には花が散ってしまうだろうが、きれいな若葉をつけるだろう。それを持って行ったほうが、うけがいいかもしれないぞ。なにせこの国は『萌葱』だから」
「……なるほど。萌黄色は、なにより春らしい色だな」
眉間にしわを寄せていた仏頂面の樹も頷く。
「桜の若葉はこの季節、花よりももっと珍しいはずだ。文句は言わせない」
けっこう無茶苦茶な言葉に、弟もにっこり笑って同意する。
「そうそう。それにあのバカ息子への牽制になる。花だけなら我慢もできるが、桜を所望するなんて、身の程知らずもいいところだ」
客観的に見れば身の程知らずは庭師のほうなのだが、真面目でしっかり者と巷で評判の樹でさえもっともらしく頷く。
「そういえば薄紅色の打掛なんぞ送ってきやがったなあの野郎。桜、あのウドの大木には絶対に近づくなよ。いや、わたしと槐がどんな手を使っても近づけさせないから安心しなさい」
「―――兄さんたち」
低い声で桜が呟いた。話がずれてきている。
ふたりとも、なんだかんだで末っ子の桜にはいつも甘い。べたべたに甘い。
両親が亡くなってからはとくにそうだ。この甘やかしのせいで自分はいつまでも半人前なのではないか、と少々八つ当たり気味に思うこともある。
「桜」
満開の大木と同じ、その名を優しく呟いて槐は言う。
「桜はそう思わない? 桜の若葉は、きっと他の花々をより引き立てるよ」
「う。そう、かもしれないけど。それはたまたまそうだっただけで、問題は―――」
「桜」
今度は樹が、少し固い声で妹を呼ぶ。
「世間がお前の噂をしているのは知っている。が、だからといってお前が慌てる必要はどこにもない。お前には、向いていないのかもしれないな」
突き放されてしまったようで、桜は慌てて言った。
「でも、わたしだって『花咲』の仕事をしたいの。『花咲』なのに――」
彼女も彼女の家族のことは大好きだし、大切に思っているのだ。そうでなければ一緒の仕事をしようとは思わない。
「桜。さっき僕が気合い負けと言っただろう」
槐が、言い聞かせるように言う。言葉を身体に染みこませるように、彼女の肩をとんと叩きながら。
「僕と樹は『花咲』であることを選んだけど、その理由は似ているようで違う。得意分野が違うのも無関係ではないだろう。お前にはあの桜の木に対抗できるだけの理由が、ないんだ」
「理由?」
桜は、意に反して咲き揃ってしまった桜の木を見つめた。
「花が開かないように抑える、理由……」
「そう。強い意志がなければこんな役目はできない。じい様や父さんのような『花咲』を目指すなら、まずはそれを探さなくちゃ」
考え込むようにうつむいた妹の上で、樹と槐は視線を交わした。
そして良く似ているようで違う、けれども愛情たっぷりの笑顔を揃って末っ子に向けた。
「お前のことは、お兄ちゃんたちがいちばん良く知っているよ。まあ、桜は桜のやりたいようにすればいい。どんな桜でも、桜は大事な妹であることに違いはないんだから」
桜桜とややこしいですね。
スミマセン。