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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
29/54

“緑”つなぐ道


 ふと、思い出したように侍医が言った。


「ああ、そういや嬢ちゃんがお前さんに話があるんだと」

「話?」


 なにもこんな機嫌が悪そうなときに話を振らなくてもと思ったが、言ってしまったものは仕方ない。

 桜は不審げな顔つきの鬼に向かってこっくりとうなずき、薬草栽培の話をした。


 顔つきはどうであれ、鬼はちゃんと耳を傾けてくれる。


 そして「具体的にはどんな草を植えるつもりだ」と質問されて名前を挙げ、実物を見せたほうが早いという話になり、畑にできそうな場所探しも兼ねて外へ出ることになった。


 というか、部屋の主である老医師に「狭い、暑苦しい、とっとと出ていけ」と追い出されたのだ。


 ちょうど飲みかけの薬湯をそのままに戻ってこない鬼を連れ戻しに来た鬼の側近と、食事の下ごしらえを終わらせて桜を迎えに来た侍女たちが居合わせたので、部屋の外に待機していた阿賀野を加え、かなり大人数での移動になってしまった。




 見張り付きで自室から出ることを許されている桜だが、さすがに屋外を出歩くのは初めてだった。


 萌葱から連れてこられたときも離れの小屋から城に移動させられたときも、とても周囲を見回す余裕などなかったので、桜はついきょろきょろしてしまう。


 絢爛豪華な萌葱とはまるで違い、無骨で、けれども素朴な温かみのある城である。まだ築城途中なので、建物の骨組みが見えていたり、石垣が半分だけだったりするのも珍しい。


 浮ついていた桜だが、しばらくすると逆に自分たちが注目されていることに気が付いた。

 しかも、周囲の人間がだんだん増えてきているような気がする。


 西峰城主とその腹心が、ぞろぞろとお供を連れて歩いているのだ。それはまあ視線くらい集まるだろうと納得しかけていると、隣を歩いていたさほが彼女に耳打ちした。


「桜さま、すごい人気ですねー」


「―――え、わたし!?」


 桜は思わず小さな侍女を振り返った。

 言われてみれば、桜のほうを指さしては何かを話しているようだ。目が合えば深々とお辞儀までされてしまう。


 視線が痛い。いや、むしろ熱い。


「な、なんで?」


「侍医どのが不在のときに、青嶺が食らった毒矢にいち早く気が付いて手当てをした女人のことは、噂になっているな」

 直亮がにこにこと笑いながら言う。先を行く鬼は仏頂面だ。


「襲撃を受けたのは城内を視察しているときだったからね。口止めしても、隠し通せるものじゃなかった。だからといって公表もしていないんだが」

「いや、でも……」


「ああ、それから城の食事事情を改善してくれた恩人だね。人足たちにはそっちが大きいかもしれない。こっちも特別言った覚えはないんだが―――」


「皆、暇なんだな?」

「いや違うから。これ以上作業を早くするのは無理だからな、青嶺」


 剣呑な雰囲気になりかけた鬼に冷や冷やしながら、桜はぽそぽそと反論してみる。


「あの、だからそんな大したことじゃ……」


 梶山青嶺が元気になったのは、ほとんど本人の鬼のような回復力と東風先生の薬のおかげである。食事にしたって自分達の食べる分をどうにかしたかっただけで、鬼城主がもう少し女手を増やせば簡単に解決できたはずだ。


「大したことじゃなくても、それをやったのは桜さまなんですよー」

 さほがへらりと笑う。その顔はどこか誇らしそうだ。

「わたしも救っていただきましたしー」


 せりとなずなも顔を赤らめながらうなずいた。

 彼女たちも桜の指導のおかげで随分と料理の失敗が減り、自信がついてきたようだった。今日は「自分たちでやってみます」と炊事場を追い出されたのだ。


「だから、皆さんに桜さまのことをよく聞かれるんですー」


「つまりお前か、噂の元は」

 渋い声音を出したのは、意外なことに阿賀野だった。


 『花咲』の身辺警護を任されている大男は、油断なく周囲を見回している。まるで縄張りを主張する熊のようだ。


「口は災いの元という言葉を知らないのか。姫は、そのお姿だけでもじゅうぶん目を引いてしまう。その上稀有な『花咲』であれば、その身を狙う者とて現れるかもしれんのだぞ」


「す、姿って……」

 いつもなら目に紗がかかりまくった阿賀野の思い込みだと流すところだが、実際に注目を集めてしまっている。


 顔だってそんなに知られていないし、知られたところで騒がれるほど美しくも珍しくもない容姿である。何が目を引いたというのだろう。


 なんとなく自分自身を見下ろした桜は、原因をひとつ発見してはあ、とため息をついた。


「だからこんな高価な小袖はいりませんって言ったんです」


「……別に身なりだけで判断されているわけじゃないと思うけどね」

 直亮が肩をすくめた。その口元には笑みが浮かんでいる。


 そもそも侍女を引き連れて歩く娘など、この西峰城には彼女以外に存在しない。

 しかも女性を滅多に寄せ付けない『青鬼』が側に置き、本人も怯えるでもなく平然と歩いているのだ。目立たないはずがない。


 そんな話を聞けば、きっと桜は部屋に逃げ帰っていただろう。

 小袖も含めて、そこに彼女が望んだものはないのだから。


「逆に、ここまで注目されていたらよからぬことを考える輩も動きにくいだろう。あれは純粋な好意と物珍しさだから、たぶん害はないよ。手でも振ってやれば?」

 

 こちらを安心させるような笑顔を向けられても、にこやかに手を振って応えられるほど桜は神経が図太くない。

 むしろ穴があったら入りたい。


 阿賀野はまだ何か言いたげな顔をしていたが、反論してくることはなかった。




     ☆  ☆  ☆




 けっきょく、薬草畑は以前桜が寝泊りしていた離れの近くで作ることになった。


 城の建物周辺はすでに石や砂で固められている場所がほとんどだったからで、そうでなくてもあんなに注目された中で畑を耕すなど絶対に無理だ。

 実際に「ちょっと手伝って」と言ってみたところ、我も我もと人が殺到して大変なことになりかけた。


 改めて、離れは静かで平和な場所だったんだなと思い知る。


 少しずつ春の気配が濃くなる離れの縁側で、桜は鬼と鬼の側近に薬草の説明をしていた。


 残雪は目に見えて減り、野草の若芽や小さな花々がちらほらと見える。目印のように側に生える山桜の大木も、まだ硬いながらも蕾が膨らんでいた。


 すぐに目当ての薬草を見つけ、桜はそれらを摘み取って鬼に見せる。


 鬼の嫌いな苦い薬湯の原料のひとつだと教えると、案の定嫌そうな顔をした。


「これは世話が比較的簡単ですよ。今なら株ごと畑に植え直せばいいですし、種がたくさん出来るのですぐに増えます。日当たりが良いところが好きなので、畑で栽培しやすいと思います」


 水遣りも少なくて済むが、逆に水を遣りすぎると根腐れを起こす危険があること。

 水はけのよい場所を選ぶこと。


 さらに注意点や大きく育てるためのコツなどを細々と挙げていくと、気付けば鬼の眉間にしわが寄っていた。


 怒っているわけではなさそうだが……何か、気に入らなかっただろうか?


 やはり薬湯の原料になるのが気に入らないのだろうか。

 でも鬼の好き嫌いで考えるのなら、薬草類はほとんど駄目ということになってしまう。


 なんとなく不安になったところで、いくらか硬い声が降ってきた。


「お前、いいのか?」

「何がですか?」


 鬼は、手の中の緑を指先で弄びながら言った。

「実は、薬草の栽培は一回試したことがある」

「え……そうなんですか!?」


「隣国であれだけ出来るならうちでも出来るだろうと考えてな。だが、それはうまくいかなかった。試した場所はここじゃないし、正直なところ何の草を植えたかも覚えていないが」


「そう、なんですか……」


「宇佐は土地が豊かとは言えないからね。薬草に限らず、なにか合う作物はないかといろいろ試してはいるんだが」

 直亮が苦く笑いながら付け足す。


 もしかしたら、話は聞いてくれたもののあまり期待していないのかもしれない。


「でも、ここは薬草を育てるのに向いていると思います。植物によって育てるコツがいくつかありますから、それを守れば―――」


「だから、それが大丈夫なのかと言っている」


「……は?」


 黒々とした双眸に見据えられて、桜は瞬きした。


「お前が言っているそれは、萌葱独自の栽培方法だろう」

「ええと……たぶん」


 というより、大規模に薬草を栽培している国が萌葱しかない。

 萌葱でしか、栽培は成功していないのだ。


 鍵は、おそらく『花咲』。


「どこも大金を積んで欲しがる情報だ。そんな簡単に他国にばらしてしまってもいいのか?」


 薬はいまや萌葱の主力産業のひとつだ。独占状態といってもいい。

 裏側で流通する毒薬も含めればその利益は莫大なものとなる。それを損なうような真似を萌葱が許すはずはない。


 しかし、桜は少し考えてから首を振った。

「大丈夫、だと思いますよ。これは初代の『花咲』である父と、兄たちが広めたものですから。別に『花咲』が誰に喋ろうと勝手じゃないですか」


 鬼はあきれたように言った。

「『花咲』は萌葱の豊国家のものだった。その知識も、当然豊国家のものだろう。口止めされてないのか?」


 桜は首をかしげた。何か言われた覚えは……ない。


 言われるまでもなく、自分だってずっと萌葱にいて豊国家に仕えるのだと思っていた。

 それがなにをどう間違ったか自分のいる場所は宇佐で。

 こんな場合どうしろとは教えられていない。


「わたしは半人前なので、大したことはできないと思われているかもしれませんけど……」


 兄たちはともかく、桜が求められたのは花をきれいに咲かせることだけだ。

 それしか出来ないと思われているふしもある。


「いろんな人に知ってもらったほうがいいです。兄たちもそう言ってくれると思います。……あまり言いたくないんですけど、萌葱はそうして作った薬草の値をどんどん吊り上げていたので」


「そういえば、東風のじじいも薬が高いとぼやいていた」

 あごに手をやりながら、鬼が呟いた。

「まあ、やりたい放題だからな」


「利益が出ないと栽培できないのはわかってるんですけど……」

 控えめに桜は呟いた。


 きれい事を押し付けるつもりはない。


 とくに山国の宇佐は、萌葱に比べて農地もその収穫量も格段に少ない。さほの村がそうだったように、収穫は常にぎりぎりなのだ。天候に見放されれば、たちまち飢饉が起こる。利益はあっただけ助かるだろう。


 ふと桜の膝に、ぽすんと緑の塊が落ちてきた。

 それは鬼に手渡した薬草だった。


 返された。そう思った桜はがっくりと肩を落としそうになる。


 だが薬草の次に鬼から飛んできたのは、思いのほか楽しげな声だった。


「わかった。売れるようなものが出来たら、売値はなるべく安く抑えよう」


 耳を疑った。


「え、いいんですか?」

「その代わり、お前の身の安全はおれが保障してやる」

「は……?」


 見上げた鬼の顔は、口の端を吊り上げた不敵な笑みを浮かべている。


「お前がどう思おうと、宇佐が豊かになると困る連中がいるんだ。お前を恨んだり、利用しようとする輩も出てくるだろう」

「そういえば、すでに変な手紙が来ていたね。萌葱から」


「変な、手紙?」

 直亮の付け足しに桜は首をかしげる。「あれはどうでもいい」と鬼が唸った。


「お前のことは宇佐が守ってやろう。だから、売れるものが出来るまでちゃんと協力しろ」


「できるまでって……」

 反復して呟いたところで、桜ははっとした。


「それ、いつ―――」

「さあな」


 そのときの鬼は、鬼畜という表現がぴったりな笑みを浮かべていた。


 薬草がちゃんと畑で育つまで……それは、どう考えても二、三日で済む期間ではない。

 しかし薬草畑を作ることを提案した時点で、それは覚悟していなければならない話だった。


 作業自体は簡単でも、『花咲』の助言なしにはすぐに成功させることが難しいのだから。


「言い出したのはお前なんだからな。お前、やっぱり抜けてるな」

「………」


 なんとか萌葱に帰りたいと思っていたのではなかったか。

 でも、いつの間にか宇佐に慣れてしまっている自分がいる。 


 おそらくは豊国家からの手紙に違いない、その内容が気にならないわけではない。

 もしかして、余計なことをしたのではないかと思わないわけではない。


 けれど、自分の言葉を取り消したいとは思わない。

 なぜか心が軽い。


 萌葱に――家族のところに帰りたくない、はずがない。


 なのに胸が痛まない。

 むしろその奥が、ほんのりと、かすかに、温かい。


 この気持ちは何なのだろう。


「あの……」

「あきらめろ」


 桜の静かな混乱を知ってか知らずか、鬼は実に明快な言葉をくれる。


「そう簡単に手放す気は、ないからな」





 



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