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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
28/54

“緑”しめす先に


 ところで西峰城の侍医を務める朝東風(あさこち)数馬(かずま)が薬草を買い付けに行っていたのは、隣国萌葱だった。


 萌葱の国は、領主をつとめる豊国家が主導となって薬草の栽培を盛んに行っている。

 薬草や医療用具などを扱う専門の市場もあり、全国からも品物が集まってくるのだ。

 宇佐の国内であれこれ探すよりも隣国へ行ったほうが手っ取り早く、良質のものを大量に買い付けることができるというわけだった。


 皆から東風(こち)先生と呼ばれている医師は、若いころは自身も武器を持って戦場を走り回っていたらしい。

 頭髪だけでなく眉や無精の口ひげにも白いものが混じる今でも全体的にがっしりとした体つきをしており、山賊が出没する国境を護衛もなしで行き来するつわものである。


 いかつい外見だが気難しいところはなく、城主の毒矢騒ぎやら自分の体調不良やらで顔を合わせることが多くなった彼と桜とは、すぐに打ち解けた。


 なんでも、遠いところで暮らす孫娘を思い出すらしい。

 いまもけっこう眼光鋭い両目を限界まで細め、にこにこと笑って薬草茶をふるまってくれる。


「近頃どうも目がかすんでなあ。細かい字も読みにくいし、自分で調合するのが面倒で面倒で。少々割高でも、ついつい買って済ませちまうわけよ。萌葱にはいいもん売ってるからな。店さえ選べばだけどな」

「東風先生にお弟子さんはいないんですか?」

「いるよ。そいつらは別の場所でそれなりにやってるはずだ。わしは一回隠居したんだがね。殿――鬼小僧の父親に頼まれてな。あの小僧、医者が嫌いなんだわ」


 嫌なら怪我なぞ作ってくんなってんだ。なあ?


 がっはっはと笑う老医師に、まったくだと桜はうなずいた。

 毒矢の手当てもいい加減でふらふら歩き回るくらいだ。あれは医者じゃなくても目が離せないだろう。


「何かありゃ御身大事に、ご無理はいけませんって付いて回られるのが嫌なんだと。その点、わしは適当だからな」


 泣く子も黙る宇佐の『青鬼』を小僧と呼べるのは、桜の知る限りこの医者ただひとりである。

 そして医者嫌いの鬼も、彼の前でだけは大人しくなるらしい。


「わしは生まれた瞬間から梶山の鬼小僧を知っとるからな。弱みを握りたかったら、お嬢ちゃんになら教えてやってもいいぞ」

 そう言って、薬草と一緒にちゃっかり仕入れてきた甘い茶菓子を桜に勧める老医師に、確かにこの人には逆らえないだろうな、と桜は苦笑する。


 適当と自分で言いながらも、東風先生の医師としての腕は確かだ。


 彼の丸くてごつごつした手は見た目通り豪快な、けれども恐ろしく正確で的確な処置を施す。手際の良さは、ほんとうに視力が悪いのかと疑うほど。

 不在のときに勝手に使わせてもらった塗り薬も解毒薬も熱冷ましも質の良いものだったし、常備している薬の種類も豊富だ。

 また、引退したと言いながらも暇を見つけては医学や薬学の書物を読んで、ときどき桜に質問してくることもあった。


 時々顔を出しては手伝いをさせてもらったり書物を貸してもらったり、こうして一緒にお茶を楽しむこともある桜である。


 そんな東風先生だからこそ、相談してみようと思ったことがある。


「薬草畑、のう」

「西峰あたりなら、作れると思うんです」


 山の反対側、萌葱の領地では、薬草栽培がさかんに行われている。

 もし宇佐でもたくさん栽培して問屋に定期的に卸せるほどになれば、やせた土地で細々と米を作っているこのあたりの農家は収入が増えて、ずっと生活が楽になるはずだと思ったのだ。


 高価な薬の値が少しでも下がり、一般庶民にも薬が行き渡りやすくなればという願望もある。


「でも、さほたちに聞いてみたんですけど、興味はあっても実際に試してみるとなるといろいろ難しいみたいで」

「土地を新たに耕さにゃならんし、いまの生活もあるし、か」

「はい」

「薬草は腹にたまらんからのう。米を置いて作れとは言えんし――」


 老医師は白髪交じりの太い眉をひょいと片方だけ持ち上げた。


「試しに、ここでいっちょ作ってみるか? あんまり場所はないが」

「え、いいんですか?」

「それで実際金になれば、百姓たちも納得するだろうしな」


 目を見開く桜に、彼は肩をすくめてみせた。

「どうせ城を建てるのにあちこち掘り起こしとるところだろ。ちょっと若いの呼んでそのへん耕してもらったらいい」


 そのへん、と言いながら医師は適当にひらひらと外に手をふる。

「え、と、でも……」

「砂利だのコケだの敷いといても、腹いっぱいにはならんからな。ちっとは食えるもん植えとけと文句言おうと思ってたとこだ」


 城の中に、畑。

 そんな発想はなかった。


 『花咲』の屋敷には小さいながら薬草畑があったが、それは萌葱では珍しいことだった。浮世離れしたような美をとくに喜ぶ萌葱の風潮で、田畑などの実用的なものは「無粋」になるらしいのだ。


 加えて都市部は、海辺や沼地などもともと作物が育ちにくい場所を拓いたところが多く、作ったところであまり収穫は期待できない。


 その点、西峰は大丈夫だと思う。現に薬草が生えているし、できないことはないだろうが。


「怒られませんかね……?」

「怒る? 誰が? 別に贅沢な庭とか作れって言っとるわけじゃなし。同じ草やら花やらを植えるなら、役に立つもののほうがお得だろう」


 ぐいっと酒でもあおるように薬草茶を飲み干して、当然とばかりに朝東風は言った。


「まあ、でもさすがに城主に確認は取らんといかんか。大丈夫、鬼だ何だと恐れられとるが、あれは鬼っつーより餓鬼だからな。ただのくそ餓鬼」


 怖くない、怖くないぞー。


 まるで治療を泣いて嫌がる子供をなだめるような言い方だ。

 桜は思わず笑ってしまった。


「たしかにちょっと怖いですけどね」


 最初はちょっとどころではなく怖かった。

 だが怖いだけの鬼ではないことを、桜はもう知っている。


 鬼は、東風先生の言う通りちゃんと話を聞いてくれるだろう。

 花を咲かせる『花咲』の技を「無駄」の一言で片付ける男である。城の一角に畑を作ったところで「無粋だ」と眉をひそめることはなさそうだ。


 それに、怪我に無頓着なあの鬼にこそ薬は必要である。薬の買い付けに行く回数が減るだけでも、東風先生と周囲の負担は減るに違いない。


 思わずくすりと笑ってしまう。

 すると、老医師も数拍遅れて口元を緩めた。





 どかどかと騒がしい足音が聞こえてきた。


 あちこちが未完成である西峰城は、もともといつもどこかが騒がしい。

 だが少々乱暴な足音はほとんど完成しているはずのこの棟に真っ直ぐ向かってきており、医者に用があるとは思えないほど元気だ。


 侍医がにやりと笑う。

「ちょうど来よったわ。嬢ちゃん、申し訳ないが直接頼んでみてはくれんか」

「直接?」


 がたん、と戸が開け放たれる。


「おいこらじじい!」


 そこに仁王立ちしているのはまさしく噂をしていた宇佐の餓鬼…ではなく、『青鬼』。

 だがその表情は、なんというか、鬼っぽくなかった。


 東風先生の前では、こんな顔もするのか。

 どうやら鬼にも普通に人としての子供時代があったらしい。呆然としながら、桜は妙なところで感心してしまう。


「いったいこのおれにいつまで苦い薬湯飲ませる気で―――っ」


 医師と患者以外の人間がいるとは思っていなかったのだろう。

 だいぶ冷めてしまった湯のみを手のひらに包んだままぽかんと見上げる桜と目が合ったとたん、青嶺は固まった。


「はあ? 薬湯?」

 にやにや笑いながら、飄々と老医師は返事をする。


「まだそんなもん飲んで……ああ、いや。げふん。そうだのう。もう二、三日は飲まんといかんぞ」

「……途中で偉そうに言い直されてもな」

「男だろうが。薬が苦いくらいなんじゃい」

「もう飲むほどじゃない、と言ってるんだ!」

「毒を甘く見るな。お嬢ちゃんも心配しとるんだ。なあ?」

「っ……はい?」


 いきなり話を振られ、直後鬼ににらまれた桜は、むせそうになった。


「なんでお前がここにいるんだ?」

「ええと、それは……」


「年寄りのお茶に付き合ってくれとるんだ。お前がほったらかしにするから」

 すかさず返したのは、実にいい笑顔の侍医である。


 鬼は心底嫌そうに顔をしかめた。

「用もないのに医者のところなんか来るか」


「元気な小僧の姿なんぞ見ても、楽しくもなんともないわ」

 ぐいっと老医師に肩を押されて、桜は湯のみを落としそうになった。

「嬢ちゃんのことだ」


 前のめりになった桜をとっさに支えたのは、鬼の腕である。

「若い娘さんをこんな寂れた場所に放っておいて、お前なにやっとるんだ。その辺の男どもに横からかっ攫われても知らんぞ」


 別に放って置かれているわけではないと、思う。


 こうして侍医のもとを訪れている間も桜の見張りは部屋の外に待機しているし、桜がここの部屋に落ち着く前はちゃんと侍女たちも付いてきていた。


 人に付いて回られる経験がいままでないのでむしろ放って置いて欲しいとすら桜は思っているのだが、しかしそれをここで口にしていいのかも分からなかった。


 なぜか、部屋の空気が急に冷えたような気がしたのだ。


「誰かが、攫うと?」


 耳元で聞こえた鬼の声は、ひたと首筋にあてられた氷の刃のようだった。

 口から漏れそうになった悲鳴をどうにか飲み込む。

 そもそもかっ攫うようにして桜をここへ連れてきたのは目の前の鬼なのだが、そう文句を言える雰囲気ではない。


 対する朝東風は、こりこりとあごをかく。


「気立てのいい年頃の娘さんだ。男どもが放っておかんだろ」

 ここに飢えた独身男が何人いると思ってんだ。


 まるで緊張感のない言葉の後に、少し間が開いた。


「……これを?」


 なんだか、けっこう失礼な視線を感じる。

 口調ももはや冷たいものではなく、拍子抜けしているように聞こえた。


「あのなあじじい。これは『花咲』だぞ。おれの保護下にある」

「別にお前さんのお手つきってわけじゃないだろうが」


 鬼がげほっとむせた。

 

「こっ東風先生?」

 思わず桜も声をあげた。なんて恐ろしい事を。


 慌てて桜が振り返ると、問題の侍医は好々爺のように邪気のない笑顔を浮かべている。


「とかいう噂も牽制になるからな。使うのも手かもしれんぞー」

「…………くそじじい」

「まあ、目を離さんことだ。お嬢ちゃんもな、よく知らない男に付いてったりしたらいかん」

「は、はい。そう…ですね」


 年頃の娘さんというよりは、小さな子供に言い聞かせるような口調である。

 これは完全に遊ばれてるな、と桜は他人事のように思った。


 年季が違う。

 宇佐の『青鬼』でさえやりこめる老医師である。桜が口でかなうはずもない。



 やがて、桜の頭上からため息が聞こえた。


 そう遠くにはないであろう鬼の顔を確認するのもなんだか怖かったが、同じ事を考えているに違いない。

 そして、諦めた。そんなため息だった。





     ☆  ☆  ☆




 若いふたりを追い出して静かになった医務室で、朝東風はひとり、にやりと笑った。


 『花咲』の娘を前にしたときのあの悪餓鬼の顔といったら。

 思い出しても酒のつまみにできそうなほど面白い。きっと二升はいける。


 それに、だ。


「ちょっと怖い、か」

 悪名高く育ったおかげで、あれを“ちょっと”しか怖がらない女性はなかなかいない。

 しかもその後で、花がほころぶように笑われたら。


 なんだか祝杯をあげたい気分だ。


「若いもんの邪魔したらいかんわなあ」


 呟きながら老医師は、かつては戦場を睥睨していた鋭い両眼を冷たく細める。


「横からかっ攫われんように、せんとな」



 彼の言葉に応えるかのように、かたんと医務室の戸が開いた。





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