“砦”の攻防2
前話のサブタイトルに「1」を付け加えました。
「あ、あのう、桜さま……?」
にらみ合う『花咲』と『青鬼』に、消え入りそうな声が差し込んだ。
振り向けば、大きな鍋を乗せたかまどの前でさほ以外の侍女がふたり、おろおろと鍋と桜たちを見比べている。
鬼が付けると言った新しい侍女たちである。
実の姉妹であり、姉がせり、妹がなずなという。偶然にも、さほが住んでいた村の隣の集落出身だった。
桜と年も近く、さいしょこそ『花咲』の“姫”を相手にひたすら緊張していたが、話すうちにすっかり仲良くなり、態度も緩くなった。もともと堅苦しいのは慣れておらず苦手だったらしい。
いま彼女たちがガチガチに強張っているのは、間違いなく目の前の鬼のせいだ。
「ああ、うん。いま行きます」
姉妹侍女に出来る限りにっこりと応じてから、桜は鬼にくるりと向き直った。
「ええと、今ちょっと忙しいんですけど。そういえば、あなたは何しに来たの」
びしり、と空気が凍った。
背後で侍女たちが息を飲む気配がする。
「あの、だってそれは……」と妹侍女がそっと言いかけたが、姉によって口を塞がれた。
侍女から二拍ほど置いて、鬼の背後からもぶっと吹き出す音が聞こえた。
少し離れた場所から成り行きを見守っていたらしい鬼の側近が、うつむいて肩を震わせている。
口元を押さえ、声――おそらくは笑い声――を出さないように必死だが、あまり効果はないようだ。
彼の近くには、微妙な顔つきの見張りたちもいた。
ああそうか、と桜は納得する。
彼らが報告したのだろう。だから鬼がここに様子を見に来たのだ。
「城の外へ出なければ、あとは自由に過ごしてかまわない」
そう城主である鬼が桜に言ったので、彼女は与えられた自室を出てここにいる。
言質があるので、見張りたちも桜の行動を止めようにも止められなかったのだ。困り果てて相談に行ったのだろう。
――なぜ側近が笑っているのかは謎だが。
「直亮」
後ろを向かなくても、腹心の部下の様子くらいは想像がつくらしい。
地をはうような声に、直亮はようやく笑い声を封じた。肩は震えたままだが。
「その、桜さま……」
むっと口をへの字に曲げた鬼と笑いをこらえるので精一杯の側近の代わりに、姉侍女のせりがそっと彼女を呼んだ。
「ああごめんなさい。お待たせ。そろそろネギを入れましょうか」
「いえ、あの……。はい」
桜の淡々とした反応になにか言いかけたせりは、けっきょく何も言えなかった。
様子を窺うように彼女の向こうに立つ大きな鬼を見……かけて、慌てて顔をそらす。
明らかに恐怖で震えている。
新顔侍女の様子に、桜はため息をつきたくなった。
この鬼、ほんとうに邪魔だ。
侍女たちが怖がって作業が進まないではないか。
その恐ろしげな容姿と雰囲気で、必要以上にあたりを威嚇するのはどうかと思う。
「おいお前、“それ”はなんだ?」
「それ?」
鬼に指をさされて、桜はその先にある大鍋を見た。
「……ただの汁物だけど」
ちなみに味噌を入れたばかりで、あたりにはふんわりと食欲をそそるような香りがただよっている。
「そういう事じゃない」
鬼は忌々しげに額を手のひらで押さえた。
「どうしてお前がここにいる?」
「食事の準備を手伝っているから」
桜は鍋にネギを投入しながら答えた。
「だから、どうして食事の準備を手伝っているんだ」
「わたしがそうしたかったし」
「おまえは『花咲』だろう」
「『花咲』をどう思っているのかは知りませんけど。我が家はもともと百姓ですよ。食事くらい作れます」
「桜さま、すごく料理がお上手なんですー。勉強になります」
米を炊いているさほが弁護した。
「この前いただいた桜さまの和え物、美味しかったですー」
鬼は不可解だと言いたげに眉をひそめた。
「……あの草で作ったんだろう?」
さほに提供したのは、苦労して手に入れたたらの芽だ。
鬼は塗り薬に混ぜた薬草と勘違いをしているのかもしれない。
ほかにも何種類かの山菜を採っていたのだが、鬼には見分けがつかなかったらしい。
山ばかりの国で山菜が食卓に出ないということはないと思うのだが、そこは宇佐梶山家の跡取り息子という生まれだからか、単なる無頓着か。
まあ、わざわざ教える必要もないだろう。桜はわざとらしく微笑んだ。
「農家じゃこの季節、よく食べるわよね?」
桜が聞くと、さほは「はいー」と笑った。
「冬のために蓄えておいた食べ物なんか、なくなってくる頃なので、よく山菜取りに出かけますよー」
「だからって、どうしてお前が作るんだ」
「毒なんか入れてないですよ」
だって自分も食べるのだ。
というか、自分が安心して美味しい食事をとりたいから手伝っている。
せりとなずなは、『花咲』の専属侍女ではなかった。
もともとの持ち場はここ炊事場で、城内の食事の準備を任されていたのだ。
この城は、まだ女性の奉公人が非常に少ない。
築城途中であり、むしろ力のある男手や職人が欲しいところだし、また人里から微妙にはずれた場所に位置するため、なかなか集まらないのだという。
しかも城主をはじめ、たいていの事は自分でできるし自分でやっている者ばかりなので積極的に雇用してもいなかった。
城ができればその周囲に人が集まってくるかもしれないが、雪が残る寒い季節ということもあっていまは城内以外にはひと気のない、かなり寂しい場所である。
こんな場所に娘を奉公に出したい親も、あまりいないだろう。
そんなわけで、新しい侍女たちも前の持ち場からの移動、というよりは人が足りないため兼務となっている。
食事係は、大雑把な男たちよりは向いているだろうということで配属されたらしいのだが。
姉妹は、実は料理が苦手だった。
彼女たちの実家は、百姓といっても集落の代表を務めている大きな家である。
家では使用人を雇っており、炊事洗濯掃除は彼らが代わってやってくれるのだ。
調理そのものに経験がほとんどないにもかかわらず、彼女たちを指導する者はいない。
にもかかわらず、城ではかなりの人数分をほとんどたったふたりで用意しなければならず、落ち着いて火加減や水加減や塩加減を見ている暇もない。
これが、あの残念な食事の原因だった。
これを口にしているはずの城主たちが何も言わないので、部下たちもなんとなく言いづらく、まあ毒は入っていないんだしとそのまま放置していたらしい。たまに腹を壊す者はいたらしいが。
ちなみに城主である鬼もその周囲も、味覚は普通なのだが質より量、それどころか「食えればなんでもいい」という考えの持ち主である。
上が上なら下も下。
大雑把にも程があるではないか。
そんな食事事情を聞いた桜は、さほと一緒に姉妹を手伝うことにしたのだ。
「桜さま」
鍋をかき回していると、妹侍女のなずなが声をかけてきた。
「そろそろこちらの大根も柔らかくなっていると思うのですが……」
「ああ、そうか」
ちらりと隣の鍋の中身を確認して、桜はうなずく。
「焦げ付くと美味しくないから、そろそろ火から下ろしましょうか」
「はい」
「おい」
低い声に、びくっと震えたなずなが鍋を取り落としそうになる。
本日の主菜をひっくり返されてはたまらない。せりが手を伸ばして助けたのを確認してから、桜は鬼をきっとにらみつけた。
「ご飯はもうすぐできますから、部屋で待っててもらえますか」
ひそめた眉が、ぴくんと上がる。
「誰がうちの食事を作れと言った」
地を這うような声に、せりとなずながびくっと肩をすくめる。
食事係の彼女たちの様子があまりに哀れで、鬼からふたりをかばうように桜は立った。
「わたしが、勝手にやったんです。作るなとは言われていませんけど」
「……屁理屈を」
「気に入らないなら、あなたは食べなくていいですけど」
そのとき、鬼の肩をがしっと押さえる手があった。
「ふーん、美味しそうだね」
「な、直亮……」
鬼の背後から現れた砂原直亮は、主を軽く押しのけて鍋に近づいた。
先ほどネギを投入したばかりの、汁物の鍋である。
「これは、ほんとうに桜が?」
「……わたしと、侍女たちで協力して作りました」
彼はしゃもじを桜から受け取り、妙に慣れた手つきで軽くかき混ぜると、ためらいもなく芋の切れ端とともに汁物をずずっと口に入れた。
「お前、あつ……っ」
鬼が目を見開く。
「うん、うまい」
直亮が唸った。
「この前作っていた粥といい、桜の料理はほんとうに美味しいね」
「……あるものを切って鍋に入れただけですけど」
「鍋に入れただけの料理をこんなに美味しく作れるとはねー」
「…………」
馬鹿にされているんだろうか。
そう思ったが、彼はどうやら本気で褒めているらしい。
それはそれで何だか複雑だ。
「それで、そっちの鍋は?」
「大根と、魚の煮物です」
直亮はあめ色の大根をぱくっと頬張ると、幸せそうににっこりと笑った。
「ああ、柔らかい」
「……」
もう何も言うまい。
「味がしみてる。ショウガがきいてるね。青嶺、せっかくだからいただこう。毒が入っているだとか、失礼だろう」
「おれが言ったんじゃない」
憮然とした表情の鬼は、ふいと顔を背けながら言った。
「それに、食べないとも言ってない」
意外だった。
怪しげな『花咲』の作ったものなんか、絶対口にしないと思っていたのに。
「あの、別に無理しなくても……」
「無理をしているのはお前だろう」
「………」
とっさに言い返せないでいると、ぽんぽん、と労わるように背中を叩かれた。鬼の側近である。
「直亮さん?」
側近は、いまだ炊事場の入り口で右往左往している見張りの若者たちに入ってくるよう合図すると、桜に言った。
「あとは運ぶだけなんだろう。それなら力を持て余している彼らに手伝ってもらう。桜とさほは休みなさいね」
「でも……」
「あれでも心配してるんだよ」
あれ、とぞんざいに鬼をあごで示す。
「なにしろこの前の君の顔色ときたら、まるで死人みたいだったから」
背を向けた鬼の表情はわからない。
だが大きな背中からは、息が詰まりそうなほどの殺気に似た威圧感は感じなかった。
鬼は、そのまま炊事場から出て行ってしまった。
「あの馬鹿、逃げたな」と直亮が呟いたが、それはそばにいた桜にも聞き取れないほどの小さなものだった。
「いままでの対応のまずさは認める。だが君は萌葱から貰い受けた大事な客人なんだ。何かあっては豊国家に顔向けが出来ない。その身になにかあってからでは遅い」
そんな殊勝な言葉ははじめて聞く。
側近のどこか油断ならない笑顔は相変わらずだが、それが建前だけではないことは、なんとなく分かる。
なぜ……態度が変わったのだろう。
「ひ……桜さまー。ご飯も炊けましたよー」
さほが言った。
側近に向き直り、桜は聞いてみる。
「先に、食べてみますか?」
鬼の右腕との称される男は、彼女の問いに驚いたように目を見開いた。
そして、やんわりと微笑む。いたずらがばれた子供のような顔だった。
「いや大丈夫。向こうで一緒にいただくよ」
さっきの味見。あれはおそらく、毒味だ。
考えてみれば当然のことだった。
暗殺や毒殺が日常茶飯事なほど、梶山家の嫡男の身辺はなにかと騒がしい。
用心するなら豊国家のお抱え庭師にして薬師、そして毒にも精通する『花咲』の作った食事など、食べないほうがいいに決まっている。
そう。毒が入っていると疑うのなら、食べなければ済むことだ。
だから鬼も鬼の側近も、おそらく桜を疑っているわけではない。
直亮は、ただごく自然にそう動いてしまうのだろう。
主を守ること。それが彼の仕事なのだから。
どんなにくだけた態度でも、扱いが雑でも、彼はあくまで梶山青嶺の『家臣』なのだ。
「桜は、ほんとうに賢いな」
くすくすと笑いながら言われてもからかわれているようにしか聞こえない。
だが、少なくとも敵意は感じなかった。無言で出て行った鬼の背中からも。
そう思えば、ほんの少し、心がふわりと浮き立つような気がした。
翌日から、桜は炊事場の出入りを許された。
いやむしろ、城主とその配下大多数により推奨されたのだった。