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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
23/54

“文”めぐる思惑

ふみと読んでください。


更新が遅くなってきています。申し訳ありません。


 宇佐の国西峰城主・梶山青嶺の前に、ふたつの書状が置かれていた。


 ひとつは白い和紙で包まれた、簡素な手紙。

 もうひとつは、螺鈿細工が施された漆塗りの箱に仰々しく収められた手紙。


 前者は青嶺の祖父である梶山保経から、後者は萌葱の国を治める豊国家から届いたものだ。



「どうしたものか」


 脇息に肘をかけ、疲れたように片足を投げ出して座る青嶺の膝には、白いほうの手紙が載っている。


 手紙の内容はいたって簡単だ。


 ―――『花咲』を連れて来い。


 若い頃を思わせるような豪放磊落にして勇ましい筆跡。

 ただしその中に、時折魔が差したような乱れが混じる。


 今年で七十八歳となる彼は足の力が衰え、いまや自力で外へ出ることも難しい。

 数年前まで息子、つまり青嶺の父によって軟禁状態に置かれていたが、現在はその必要もないほどだ。


 この前会ったのは、萌葱の国に行く前だったか。

 病床の人間とは思えない力で胸倉をつかまれ、すごまれた。


 ――必ず『癒し手』を連れ帰れ、と。


 あの様子なら百までしぶとく生きるんじゃないかと青嶺は思っている。

 高齢による衰えはあっても、昔から風邪もろくにひいたことがないお人である。


 だからこそ、身体が思うように動かないいまの状態を受け入れることができないのかもしれない。



 『癒し手』というのは、瀕死の祖父を治療したという者を勝手に祖父が名付けたものだ。


 かの者が傷に手をかざすとすっと痛みが引き、数日で治ってしまったのだという。

 あくまで、祖父の言い分だ。


 いままで見つけた『癒し手』は、どれも偽者だった。


 そして偽者とわかると、祖父は容赦なく彼らを殺した。

 自ら騙った者も、無理やり連れてきた者も、同様に。


 だからこそ今回は、先にさほという病人を送り込んできたのではなかったのか。


 『花咲』が『癒し手』である証拠は、まだ何もない。


 侍女を看病したのは確かに『花咲』の娘だが、その内容はどちらかといえば普通だ。

 毒の混入に勘付いたりはしているが、その手をかざして病を治したわけではない。


 このまま『花咲』を祖父の前に送り出せば、今度は彼女が殺されるだろう。


「さほに回復の兆しが見えたとたんにこれとはね」


 直亮もあきれ混じりに白い手紙に視線を落とす。


「偶然にしては出来すぎだ。やっぱり誰か告げ口している奴がいるな」


 探られて困るようなことは何もない。

 だが身内とはいえ、こちらの様子を逐一知られているというのは気分が悪いものだ。

 誰も彼もを疑わなければならない、こんな状況も。


「調べてみるか?」

「いや……無駄だ。まったく、じい様はいまさら何を焦っているんだかな」


 即断即決。こうと決めたら、祖父はなにがなんでもそれを貫く。

 目的のためには、手段を選ばない。


 その姿勢がいまや大国とも肩を並べるまでになった強国・宇佐を作ってきたのは事実だ。


「じゃあ、桜を保経様に渡すか」

「いや……」

「いや?」


 とっさに否定の言葉が口から転げ出た。

 幼馴染の口元に意地の悪い笑みが浮かんで、青嶺はようやくそのことに気が付く。


 非常に忌々しい気分だ。

 だが、否定を否定する気にもなれなかった。


 祖父から『花咲』の話を聞かされたときは、祖父に目を付けられたその者を不憫に思いはしても、その者の命まで心配する事はなかった。

 戦場で星の数ほど命を奪ってきたのだ。いまさらひとりの命を惜しんで何になる。


 だが実際に『花咲』に接したいまは、認めざるを得ない。


 彼女を祖父個人の横暴で失うのは、惜しい。

 宇佐の『青鬼』を怯えることなく見上げるあの瞳が力を失うのは、嫌、なのだ。



 とりあえず祖父の手紙は無視することに決め、白い紙を無造作に放り投げる。




 と、目の端に派手な漆箱が映って、青嶺はさらに重い気分になった。


 意識して視界から消し去っていたモノだった。

 萌葱の国、領主忠朝の嫡子である宣朝(のぶとも)からの書状が中に入っている箱である。


 桜の花の細工が一面に散らされ、艶のある若草色の紐がかかった豪華絢爛な代物だ。

 中には金箔を散らした無駄に高価な料紙が鎮座し、無駄に長い文章がミミズがのたくったような甘ったれた字でつづられていた。


 外見が華麗なだけに、つたない筆跡がより貧相に見える。


 だらだらと書かれてはいるが、こちらも内容はいたって簡単だ。


 すなわち―――『花咲』をすみやかに返せ。



「……なんなんだろうなこれは」


 一度目を通せば、読み返すどころか手に取る気力も湧かない。

 あごで示しながらの途方に暮れたような問いに、直亮も苦く笑うしかなかった。


 そもそもいくつかの協定とそれに付随した『花咲』に関する約定は、萌葱の領主と交わした萌葱と宇佐との取り決めだ。

 多少の誤解があったにせよ、国と国との約定である。書面にもしっかりと残してある。


 会合に一度も顔を見せなかった跡取り息子は、それらの取り決めをまとめて破棄するのではなく、『花咲』の少女の返還だけを要求してきているのだ。


 逆らうと宇佐一国、どうなるかわからないぞという脅しつきで。


 どうなるかわからないのは、むしろ萌葱のほうだと言いたい。


 萌葱は経済力という強い武器を持ち、中央の帝にも影響力を持つ豊かな国だ。

 しかし帝の権威そのものが揺らぎ、経済力よりも軍事力がものを言う現在の状況では、必ずしも萌葱が安泰とは言い切れない。


 萌葱領主・豊国忠朝が娘を差し出して宇佐と縁続きになりたがったのも、このあたりに理由があるのだが。


 どうやら豊国家の次期当主は、自分の国が置かれた立場というものを理解していないらしい。


 萌葱は豊かな大国であり、宇佐は貧しい山間の小国。ちょっと脅せば言うことをきくだろう。そう思っているのが手に取るようにわかる。


 そんなひと昔前の感覚で、よく経済大国の跡取り息子を名乗れたものだ。


「この俺に、萌葱に攻め込んでくれと言ってるのか、このデブと…いや、宣朝は」


 ちなみに、豊国宣朝は非常に大柄な青年である。

 身長は青嶺よりも低いが、胴回りは青嶺よりはるかに大きい。

 まあ、日ごろからあれだけ暴飲暴食、馬にも乗らず――乗れず、屋敷や離宮からほとんど出ずに宴三昧ならそれなりの肉もつくだろう。


 たしか青嶺よりひと回りも違わない年齢だったと思うのだが、あのたるみ具合はすでに中高年のそれである。


「いま波座(なぐら)攻めに集中していなければ、親父殿は嬉々として萌葱の国境を越えるぞ」

「港を手に入れるのは、宇佐の悲願だからな」

 同じく海の玄関口を有する波座攻略を決定した一年前なら、確実にそうなっていたに違いない。

 せめて手紙が『花咲』を手元に置いている青嶺あてだっただけ、まだ救いがある。


「豊国の嫡男が『花咲』の姫――つまり桜に執着しているという噂があったが」

 なるほどなるほど。

「これは執着されてるな。桜も気の毒に。いや、寵愛を受けているならそうでもないのかな」


 頷く側近に、青嶺は渋い顔をする。


 本気で滅ぼしてやろうか。そんなことをちらりと思う。


 一方的に約定を蹴ったのは向こうだ。大義名分はこちらにある。

 父親である宇佐の現当主に聞いても、同じことを言うだろう。



「で、これを持参した使者はどこにいる?」


 青嶺の問いに、側近はこれまた苦笑を浮かべた。

「いちおう返答待ちという“名目”で、客室をひとつ与えてあるが」




「この手紙が恐ろしく礼を欠き、驚くほど失礼であることは百も承知です」


 まだ若い、青嶺とそう変わらない歳であると思われる使者は、たったひとりでこんな書状を持たされて宇佐に乗り込んできたにも関わらず、飄々とそう言ってのけた。


 風流を介する人々、と中央に褒めそやされる萌葱だが、はっきり言って青嶺は苦手だった。

 歌も楽も苦手だが、それ以前の問題として、根本的に合わないのだ。


 表面上はきれいに取り繕い、宇佐の『青鬼』を持ち上げ褒め称えはするが、その視線には小国の野蛮人と見下す色がはっきりと見て取れる。

 そのくせ“野蛮人”の視線に耐えられないのか、あるいは後ろ暗いことがあるのか。青嶺が目を向けても怯えたようにすぐに目を伏せて、逸らしてしまう者が多かった。


 だがこの使者は、そういった萌葱の者とは違っていた。


 言葉は萌葱で好まれるという遠まわしであいまいな表現を用いず、実に単純明快である。

 使者という立場上顔を伏せていることこそ多いが、こちらを見極めようとする視線は正々堂々として、いっそ清清しいくらいだ。細身ではあるが、なよっとした印象もない。


「本当に迷惑なんですよ、あのデブ(とも)……いえ、宣朝様のワガママは。国内ならまだ生温かい目で見ていられたんですが、国外にまでわざわざその恥をさらすとは。まったくあきれて涙も出ません」


 隣国へ来てここまで言われる宣朝は、たぶんほんとうにどうしようもない馬鹿息子なのだろう。

 見るからに馬鹿息子だったが。


 いちおうお役目なのでと書状を渡してから、「返答は不要。というかぜひ無視していただきたい」と使者は言った。


「だがすぐに帰っては怪しまれるので、数日間の滞在を許していただけませんか」


 その間に放蕩息子の所業を知った父・忠朝からの謝罪文が、おそらくはお詫びの品と一緒に届くはずだという。

 使者殿はそれが届いたことで渋々帰国したと、そういうことにしたいらしい。


 宇佐にとっても悪い話ではない。いまなら交渉事があればもうひとつふたつ、宇佐は有利な条件で進めることができるだろう。

 『花咲』を得るために譲歩した分など、すぐに取り戻せるくらいに。


 ――というのも、萌葱の使者の弁である。


 実にふてぶてしい。が、どうにも憎めない。


「うちの『花咲』の姫君はお元気ですか」

 と、問いかけた様子が義務感だけではなさそうだったのも、少しばかりこの使者を信用してみようかと思った要因だ。


「で、どうするんだ?」


 直亮に聞かれ、青嶺は眉間にしわを寄せた。


「ほっとけ」


 『花咲』の姫に、知らせてやる必要もないだろう。


 何しろ宇佐の『青鬼』を前にしても、その側近を前にしても、部下たちや侍女を前にしてもまったく態度が変わらない娘である。

 そして、萌葱の馬鹿息子よりはよほど自分の立場を理解している娘だ。

 だからこそ彼女は逃げない。逃げられないのだ。


 たとえ彼女が萌葱に帰りたがっているのだとしても。






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