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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
22/54

“花”まどろむ先に



「―――い、おい『花咲』」



 ぐらぐらと身体が揺れる。


 決して大きくはないのに腹に響く声。

 それとともに、大きく温かな何かに肩をつかまれた。


 その熱に、自分の身体がひどく冷えていたのだと気付かされる。


 そういえば、寝る前に火鉢に炭を足すのを忘れた気がする。

 もしかして土間への戸も開いているのだろうか。どこからか冷たい風が流れてくる。


 寒い。でも身体が重くて動けない。眠い。


 加減したとはいえ、一日ふたりにも“力”を注ぐのはさすがに疲れた。

 きっと兄たちに知れれば「無謀にも程がある」とみっちり説教されるに違いない。


 なにしろこの秘術は、ひとの怪我や病を改善させることはできても自分のそれにはまったく効かず、それどころかひどく気力体力を消耗し、下手をすれば自分の寿命まで縮めるものだ。


 先代を『花咲』として取り立てた萌葱の領主でさえ、この力を知らない。


 知られるわけには、いかない。



 桜はぎゅっと眉間にしわを寄せて呻いた。

 肩を包む温かな何かが、はっと驚いたように硬直する。


 肩の何かは温かくて思わずすがりつきたくなるが、きつめにつかまれて少々痛いし重い。

 なんとなくほほの辺りもチクチクと痛かった。そこには何もないはずなのに、まるで針のような細いものでつつかれている気分だ。


 安眠を妨げるそれらに抗議するように、彼女はふるりと震えて身体を丸める。

 ちゃんと休んで、回復しなければならないのに。

 平気な顔をしていなければ、彼らに気づかれてしまう……。


 上掛けを引き上げ、温かい寝床にもぐりこもうとした時である。


「いい加減……起きろ!」


 がくがくがく、と温かいそれに肩を揺さぶられた。



「……青嶺。心配だからって、いくらなんでもそれは乱暴だ」

「ったく紛らわしい。ただ寝てるだけだろうが」


 そう、寝てるんだから、邪魔しないでほしいのに。


「………?」


 とろとろとまどろんでいた桜だが、ぼやけた頭の中でふと、引っかかるものがあった。


 いま「青嶺」と聞こえなかったか。

 もしかしてここにいるのは『青鬼』……なんだろうか?


 一気に頭の中の生温かい霧が晴れた。


 ぱちっと勢いよく目を開けると、黒々とした刃のような眼差しが桜を見下ろしている。

 至近距離でばっちりと目が合った桜は、いっしゅん固まって動けなかった。


 世の中に黒い目を持つ人間はたくさんいるが、こんなに鋭利な眼光を持つ者はひとりしか知らない。


 ほんとうに、目に針でも仕込んでいるんじゃなかろうか。

 職業柄、見られる事はそれなりに慣れてきたはずなのに、この男の視線はどうしてこんなに、いつまでも痛く鋭く感じるのだろうか。


 というかなぜここに、よりによって宇佐の『青鬼』がいるのだ。


 ……いったい、いつから?


 桜は飛び起きた。


 少なくとも、飛び起きようとはした。

 が、自分でも気付かない内にぐらりと上体が傾ぎ、再び寝床に突っ伏してしまう。


「おい!?」


 まさかここまで消耗しているとは思わなかった。


 目が回る。わずかに頭を起こしただけでもがんがんと頭に響く。

 いまだ夢の中にあるように、身体がひどく重い。


 鬼の手は温かいくせに、まるで容赦がなかった。


 頼むから揺らさないで欲しい。

 ありがた迷惑で抱き起こそうとする腕を振り払いたいのに、力が入らない。手足の感覚がひどく遠い。

 吐き気まで伴う頭痛のためか情けなさからか、涙までにじんできた。


 最悪だ。



「大丈夫、だから……」


 触らないで。放っておいて。


 自分の声まで頭に響くのでそっとささやくと、ごく近くで息を飲む気配があった。


 何をそんなに驚いたのか、鬼が目を見開いている。


 たぶん、ひどい顔色をしているとは思う。

 だが鬼が言葉を失うほどひどい姿をしているのだろうか。

 寝ている間に、おかしな寝言を発して…いないと、思いたい。


 どの道、いまさら取り繕うことはできない。取り繕う気力も残っていない。


 弱味を見せたくなど、ないのに。



「姫さまー!」


 居心地の悪い沈黙を破ったのは、真剣ながらも間延びした声だった。

 鬼を押しのける勢いで突っ込んできた侍女は、はしっと桜の手を握る。


「えっあれ……さほ?」

 とても昨晩まで青い顔で寝込んでいたとは思えない元気に、桜は軽く目を見開いた。


「姫さまー、申し訳ありませんー!」

「何が……っていうか、さほ、起き上がれるの? 大丈夫?」

「はい! もうすっかり。もう……」


 ぼろぼろと涙をこぼしながら侍女が何度も頷く。


 まだ顔色はよくないが思いのほか力強い笑顔に、桜は内心でだらだらと冷や汗をかいた。


 これは、もしかしてちょっと……加減を間違えたか。


 さほの身体に流し込み馴染ませた“力”は、もとは阿賀野が持ってきた山桜の生命であったものだ。

 異質な“力”がさほの身体に負担をかけないよう、そして特別な施術をしたことを周囲に知られないように、少しだけのつもりだったのに。


 植物の世話や薬の調合などの細かい作業は嫌いではないのに、この“力”を使うことに関してだけは、桜はどうも大雑把になってしまうらしかった。

 こんな感じで“力”の制御もまともにできないから、いつまでも兄たちに半人前扱いされてしまうのだ。

 やりすぎれば自分の命も脅かす秘術なだけに、兄たちの心配もわからないではないのだが。


 現にいま、このざまだ。

 さほに悪影響が出なかっただけ、まだましか。


「わ、わたしのことより姫さま。姫さまのほうがわたしに付きっきりであまり寝てらっしゃらないじゃないですかー」


 よくよく見ればまだ細いし小さいし、顔色も悪い。桜のそばでへたり込んでいるのは、まだ長時間ぴしっと座り続けることができないせいもあるのだろう。


「そのせいで姫さまがお身体を悪くするなんて、なんて……っ」


 とはいえ、寝床から頭を上げるのもつらかった昨晩に比べれば、見違えるほどである。


 桜は、彼女の手を握ったままおいおいと泣き出してしまった侍女の頭をなでた。

 なでながら「やっぱり毒だったのかな」と推測する。


 先に彼女に飲ませた丸薬は、大抵の症状に効果が期待できる“万能薬”とも呼ばれる秘薬だ。市場に出回れば、天井知らずの値が付く。

 ただし、この薬には弱点がある。

 大部分の毒にだけはまるで効果がないのだ。


 もし不調の原因がさいしょから毒だったとしたら――そんな様子はなかったと思うのだが――ずいぶん日が経っている。早く解毒しなければ、手遅れになってしまう。


 彼女の容態は、丸薬を飲ませた割りに回復が遅かった。

 『花咲』の力を試すために病人を放り込んでくるくらいだ。その病人に毒を飲ませていても不思議はないのかもしれない。


 いまの様子を見る限り、たぶんもうさほは大丈夫だ。

 放っておいてもあとは勝手に回復してくれるだろう。


「元気になって、よかったね」


 小さな頭をなでながら思わずこぼれた言葉に、がばっとさほが顔を上げた。

 そして崩れた小さな顔をさらにくしゃくしゃにゆがめてしまう。


「ひ、姫さま……っ、いまは、姫さまのお加減の話ですよううー!」


 ……いままではそれどころではなかったが、そろそろ呼び名を訂正してもらわなければ。


 ぼんやりとそう思い当たる。自分がそんな大層な身分ではないとわかれば、もう少し気安い態度で接してくれるかもしれない。

 大抵はこの部屋にふたりきりなのだ。さほの態度は健気でほほえましいとは思うが、堅苦しいのは勘弁してもらいたい。



 口を開きかけたとき、くるりと視界が反転した。


 同時に襲われためまいに思わず目をつぶった桜は、再び目を開けて驚く。


 視界が、ひどく高かった。

 さほの小さな頭や、目隠しと風除けに使っている几帳が下に見える。


 そして鬼の黒々とした眼差しがいっそう近くで彼女を見下ろしていた。

 刃のような視線に、桜は凍りつく。


 彼女は鬼に持ち上げられていたのだ。

 いつもの荷物担ぎではなく、彼の前で、しっかり脇と膝裏を両腕で固定された形で。



 痛んで響く頭が揺れないだけありがたいが、その代わり鬼の視線にずっと晒される場所である。

 安定感はあるが、そのぶん手足の自由もきかない。


 これはつらい。怖い。

 肩に担がれたほうがまだましかもしれない。


 そもそも、いま、どうして鬼に抱えられなければならないのだろう。


「あ、の……?」


 そろりと上目遣いにうかがうと、じろりとにらまれた。

 だから、一体自分が何をしたというのだ。


「お前は、どうしてこう―――」

「はい?」


 はああ、と鬼は苛立ち紛れにため息を吐く。



「桜が白い顔をして起きてくれないのだと、さほが騒いでね。様子を見に来たんだ」


 直亮が桜に小袖をかけながら言った。上掛けとして使っていた、厚手の温かな着物である。


 鬼の側近は、几帳の後ろにでも控えていたらしい。

 くすくすと、実に楽しそうな笑みをこぼしている。


「それで、身体の調子はどうなのかな?」


「別に……」


 笑顔の奥に、油断なくこちらを窺う気配が見て取れた。

 動揺すれば鬼に伝わってしまう。身体が強張るのを必死にこらえながら、桜は答えた。


「一日くらい休めばたぶん大丈夫です。ちょっと疲れていただけだと思うし」


 嘘ではない。

 この不調は何だと問われれば「疲れてるんです」としか答えようがない。


 “力”を注ぐのはひどく疲れる作業だ。

 加えてここ数日ずっと温かい部屋に籠もりっぱなしの生活だったのに、いきなり外に出て冷たい風にさらされながら山道を歩き、転げ落ちて腕に擦り傷を作ったり、食事を作ったりとずいぶん慌ただしく動いていた気がする。


 それに無理やり連れてこられてからずっと気を張っていたのだ。“力”など使わなくても、そろそろ限界だったに違いない。


 かけられた小袖は暖かいが、それ以上に鬼の体温が熱い。

 彼だって毒矢を受けた身である。まだ熱が下がっていないのだろうか。


「ご迷惑をおかけしました。あの……」


「なんだ」


 彼女の声に無愛想に応えたのは鬼である。

 鬼は側近が除けた几帳の傍を横切り、温かい部屋を出て、土間を横切り屋外へと出ようとしていた。


 もちろん、桜を抱えたまま。

 その足取りに迷いはない。意外に丁寧ではあるが。


「どこへ行くんですか」

「城だ」


 城というのは、西峰城のことだろうか。


「どうして」

「お前を側に置く」

「は?」


 ううっと呻き声のようなものが聞こえた。

 見れば、例によって入り口を守っていたらしい熊男が赤いような青いような、奇妙な顔色をしている。背後に「がーん」と音が入りそうな、猟師に仕留められた熊のような哀れな顔つきである。

 熊の隣には犬男もいて、こちらは顔を伏せていたがほっと息をついたのがわかった。満足そうな笑みまで浮かべて。


 やっぱりこの見張り二人組はよくわからない。


 鬼は熊を横目に、再び盛大なため息をつく。


「放っておくと何をしでかすかわからん。おれの目が届くところに置くことにする」


 桜はぱちぱちと瞬きをした。

 簡単に帰してもらえるとは思っていなかったが…。


 もしかして、一層まずい状況なのではないか。


 離れの暮らしは見張りつきで窮屈だったが、気楽でもあった。

 さほ以外の人がほとんどいない状況だったからこそ、桜も秘薬や“力”を使うことができたのだ。


 鬼の言い分は、ある意味正しい。

 鬼が近くにいるのなら、桜は疑いを抱かれるような真似は何もしないしできないだろう。


 築城途中とはいえ、西峰城は離れより何十倍も広い。

 人は多いし、鬼も、油断のならない側近もより近くにいる。どれだけ広くても、いま以上に窮屈な思いをするのは間違いなかった。


「いや、でも、あの……」

「お前は加減というものを知らないのか」


 言い聞かせるような口調に、なぜか兄たちが重なった。

 視線ばかりか言葉にまで刃を含ませて、冷ややかに鬼は言う。


「『花咲』にどうにかなられては困る、と言ったはずだが」

「うう」

「『花咲』というのは自分の体調も管理できないのか」

「………」


 だからお前は半人前なんだ。

 樹の厳しい声が、槐の苦笑交じりの声が聞こえた気がして、桜は黙り込む。


 鬼も頭痛をこらえるような顔つきをした。


「こんなふらふらの状態であそこに置いておくわけにもいかないからな。身の回りの世話をする侍女を増やしてやるから養生しろ」

「そ……っ、そんなのいりません!」

「ちゃんと元気なのを付けるぞ」

「そういう問題じゃなくて!」


 いや、さほのような病人を身近に増やされても困るが。


 監視がより近くに増えるだけではないか。


 体調不良の上に隠し事もあるのでうまく反論できない桜を、鬼は迷いのない足取りでずんずんと運んでいく。


 自業自得。

 兄たちなら、きっとそう言って桜を説教するだろう。


 そんなことをふと頭の隅で考えたが、何のなぐさめにもならなかった。





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