“鬼”が思うこと
場面は戦場です。苦手な方は飛ばしていただいても支障はないと思います。
時系列はこちらの方が先なので、割り込み投稿しました。
「どうしてこうなったんだろうな」
闇色の甲冑をまとったひとりの青年が、抑揚のない声で呟く。
月も星もない闇夜であったはずの日。静かであったはずの冬の夜。
難攻不落と言われた山城が、彼の眼前で赤黒い炎に飲み込まれていた。
彼の、命令によって。
「失う必要のない戦力と兵糧と時間を失った。まさかここまで抵抗されるとはな」
戦場特有の狂気も高揚感も、そして恐怖も苦痛も、悲しみさえひとかけらも見当たらない無の表情で、青年は自らが落とした城を見上げる。
炎に照らし出された若い顔は、不思議なほど温度がない。
「さすがは名高い佐々垣の民といったところか」
彼の手には、炎とは別の赤に染まる太刀が握られていた。
兜と刀の鞘は戦の最中にどこかへいってしまった。彼の部下が拾ってくれているか、あるいはその辺の人であったモノの下を探せば、どこかから出てくるのだろう。
「しかし、これで北方攻略に背後を心配する必要もなくなっただろう」
自分のものではない静かな言葉に、青年は後ろを振り返る。
そこには青年と同じ年頃の、同じく黒い甲冑を着けた若武者がいた。
「直亮」
「戦場でぼんやりとは、らしくないな」
味方とはいえ、背後に立たれるまでまったく気がつかなかったことに少々憮然とする。
「怪我……はどうせたいしたことないだろう。強行軍で少々疲れたか?」
「いや」
言われて、青年は自分が全身血まみれだったことを思い出した。
直亮の言う通りそのほとんどは返り血であり、嗅覚もとっくに麻痺していたが、自覚してしまうとむかむか不快感が沸いてくる。
血だけではない。汗まみれ泥まみれのひどい有様である。さっさと熱い風呂にでも入って全部落として寝床に横になりたい。
―――無理だとわかっているのだが。
急いで自分の屋敷へ帰ったとしても一昼夜は絶対にかかるし、落とした城はいま炎の中だ。
どしゃり、と音がした。
炎に飲み込まれた山城の天守が落ちたのだ。
赤い火の粉が、ふわりと闇色の空へ舞い上がっては儚く消える。
それはまるで人の命のように。
「――手を結ぶことができると、思ったんだがな」
するりとこぼれた小さな言葉を聞きつけ、直亮は片眉をひょいと持ち上げた。
「なんだ。鬼と恐れられる宇佐の梶山青嶺が、戦に飽きたのか」
「人を戦狂いのように言うな」
青年―――青嶺が眉根を寄せた。たったこれだけで顔の皮膚がぎしぎしと音を立てそうなほどにきしむのは、あまりに長い間無の表情だった為か、あるいは全身に浴びた返り血が乾いてこびりついていた為か。
「いつまで、続ければいいんだろうな」
眼前には炎に包まれた砦。眼下には白と黒の兵士たちが――兵士であったモノと血で穢れた山の斜面が広がる。
白は佐々垣。黒は宇佐。今は白い死体のみ浮き上がって見えるが、夜が明ければ黒い兵士の数が決して少なくないことがわかるだろう。
「他の土地を攻め、他の土地の富を奪う。そんなやり方はいつまでも通用しない。宇佐だってそれなりの代償を払わなければならない」
ただ奪うだけではない。無くしてしまうものも、確かにあるのだ。
しかも奪った利益はその場限りのものだ。無くなれば、また奪うしかなくなる。
まるで、飢えた獣のように。
その獣でさえ、飢えが満たされればむやみに襲いかからないものだ。
宇佐が満たされるのはいつなのだろう。
宇佐が宇佐だけで豊かになれる日は来るのか。そんな日が、果たして来るのだろうか。
宇佐は山がちな地形に加えて土地もやせており、わずかに鉄が取れるだけの貧しい国だ。
そんな国を、たとえば南の大国・萌葱のように栄えさせることができるのか。
それは、なんだか天下を取るよりも難しいことのように思えた。
彼らが放った炎はやがて山城の全てを飲み込み、佐々垣の民とともに跡形もなく消し去った。