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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
19/54

“病”癒す薬は3

 

 いつの間に、そこにいたのだろうか。

 さっきまでは確かにいなかったのに。


 声以上に冷たく鋭い視線を受けて、桜は思わず桜の枝を握りしめる。


 し、しかもなんだか機嫌が悪い……?


「阿賀野。おまえ、今日は非番じゃなかったっけ」

「は、はっ……」


 主の第一声で、阿賀野は小動物のごとくびくっと肩を跳ね上げた。


 熊でもやっぱり鬼は怖いのか、と桜は変なところで納得する。

 身につけた茶色の毛皮がびりびりと逆立ってさえ見える。


風巻(しまき)に行くって言ってなかったか?」

「そ、……」

「実家でのんびりしてくるのかと思ったら。随分早かったな」

「い、いえ……」


「―――それで」

 これまででいちばん物騒な声が重苦しく響く。


「『花咲』に何か用か?」


 阿賀野は観念したようにがばりと平伏した。


「し、失礼いたしました!」


 そして同じ勢いでがばりと立ち上がったかと思えば、熊男は脱兎のごとく出て行ってしまう。

 用は終わりましたあああー、と叫びながら。



「あ……」

 すさまじい勢いで飛び出して行った大きな後ろ背中に、桜はため息をついた。


 山桜のお礼を言う暇もなかった。


 なんなのだ一体。


 熊の態度も変だが、鬼の態度も不可解だ。

 ちゃんと部屋でおとなしくしているというのに、なにが気に障るのだろうか。

 

「それで…あなたは何の用で?」


 見上げれば、鬼のような形相で――もともとかもしれないが――にらまれた。

 ただでさえ目つきが怖いのだから、にらまないでほしいのだが。


 怪我の身で、用がなければこんな離れには来ないだろうに…聞くのもだめなのか。



 鬼の寒々しい気配を察知したのか、ずっと開けっぱなしの戸から入り込む冷気のせいか、横になっているさほの肩がふるりと震えた。

 侍女が顔を隠すようにして自分で上掛けをもそもそと引き上げたので、袖をつかまれていた桜はようやく開放された。


 間が良いというか悪いというか。


 食事の片付けもあることだし、と桜は腰を上げる。

 これ以上、身に覚えのない針のムシロに座り続ける忍耐力も寛容さも持ち合わせていない。


「どこへ行く」

「……どこも行きません。さほが休んだところなので、話があるならちょっと離れて聞きます」


 立ち上がったところで、長身の鬼から見下ろされていることには変わりがない。

 ちくちくぐさぐさと刺さる視線を感じながら、粥が入っていた器と匙を乗せた盆を持って土間へと向かう。




 土間では、鬼の側近がかまどをのぞいていた。


「直亮。おまえはおまえで何やってるんだ」


 あきれたように鬼が言えば、側近はにっこりと微笑む。

 その顔は、相変わらず胡散臭いほど朗らかだ。

 

「いや、大したものだと思って。桜、これはあなたが?」

 これ、と彼が指をさしたのは、上にかかっていた鍋だった。中には、まだ少し粥が残っている。


「大したって……別に、ただのお粥ですよ?」

「味見しても?」

「は?」

「いただきます」


 言っているそばから鍋に突っ込んだままの竹製のしゃもじですくうと、ぱくりと食べてしまう。


 すると鬼の側近の笑顔がいっしゅん固まった。


 焦げ付きを防ぐために火から下ろしていたので、すでに冷たくなっているはずだ。

 入れた野草の類は冷えると苦味が増してしまうので、美味しくなかったのかもしれない。

 でも、温める間もなく口に入れてしまったのは彼だ。


「あの、もしもし大丈夫ですか?」

「直亮? どうした」

「白湯、飲みますか?」

「……そうだねえ。もらおうかな」

 白湯、と聞いて鬼の側近はなぜか柔和に微笑む。


「顔が強張るほど不味かったのか?」

「失礼だろうこの馬鹿」

 桜にいい笑顔を向けながら、自らの主には容赦なく暴言を吐く。


 しかしお粥を口にして表情が固まり、その後美味しそうに白湯なんかを飲む姿を見れば、口に合わなかったんだろうなと桜でも思う。


 少しばかり傷ついたが、別に彼らのために作ったわけではない。

 自分とさほがよければそれでいいかと開き直っていると、側近は満足そうに続けた。

 

「失礼。あんまりふんわりして軟らかかったものだから」

「…………お粥ですから」

「そういえばお粥って軟らかいんだよね」


 忘れてたなあ。

 そう呟く横顔に、なぜか哀愁を感じる。


 どういう意味だろう。


 なんとなく突っ込むのも怖くて、桜は聞かなかったことにした。



「……そういえば、鍋をありがとうございました」


 寒々しい土間で白湯を飲みながらひとりくつろぐ側近はいや、と首を振った。

「遅れて申し訳ない。どこかの馬鹿が矢傷なんて負わなければもっと早く持ってこれたんだけどね」

「おれのせいか!」

「馬鹿の自覚があるならもう少し気をつけろこの馬鹿」

「……」


 熊も泣いて逃げ出す鬼の眼光は、しかし鬼の側近には屁でもないらしい。

 飄々とした笑顔はちらりとも揺るがない。

 

 態度だけならよほど熊男のほうが真面目で謙虚だが、なぜか他の誰よりも鬼の身を案じているように思える。鬼のほうも、むくれてはいるが本気で不快に思っているわけではないらしい。

 

 桜が瞬きしていると、やんわりとした口調で側近は続けた。


「今日は、この馬鹿を救ってもらったお礼に来たんだ」

「すく……」


 ぎくりと桜が顔を強張らせると、側近は「おや」という顔になる。

 そして桜ではなく、隣の鬼を探るように見た。


「まさか青嶺。まだお礼のひとつも言ってない、ってことはないよな」

「うぐ」


 鬼が呻く。


 それを見た側近が仰々しいため息をついた。


「残念ながら予想通りかまったく。何のためにおれが部屋に入るのを遠慮したと思って……ああ。阿賀野に先を越されていたんだったか」

「うぐぐ」

「しかもおまえ、手ぶらだし」

「そ、それは――」

「あの」


 桜が声を挟むと、鬼と側近が揃って顔を向ける。長身の二人に挟まれると、けっこうな圧迫感である。


「それって、毒矢の件ですよ……ね?」

「そう」

 直亮が大きく頷く。


「わたし、そんなに大したことはしていないはずですが」

 探るように呟く。

 そう。大したことはしていない。

 毒なのに適当な処置しかしていなかった鬼を叱り飛ばし、応急処置をして「ちゃんと医者に見せろ」と蹴飛ばす勢いで城へ追いやった記憶はあるが。


 “大したこと”はしていない。していないったらしていない。


 誰がなんと言おうと、していないことにするのだ。


 大丈夫。気付かれたりはしないはず。


 桜はせいぜい眉をひそめて見せた。

「お医者さまに、見せたんでしょう」

「見せたが、あれは何もしなかった」

「はあ?」


 鬼の憮然とした顔と口調に、首をかしげる。

 側近が苦笑した。

「うちの侍医は、桜の処置が完璧だと感心していてね。これならほっといても治るだろうから、自分は何もする必要がないと言ったんだ」


 ……少しやりすぎたか。


 いつの間にか握りしめていた拳をゆるゆると解きながら、桜は細く息を吐き出した。


「あなた自身、毒に身体を慣らしてるんでしょう」

 でなければ、どんな処置をしようとこんなに元気なはずがない。


 もっとも、桜を探しに来た時点で熱は上がっていたようだが。

 寒いところを歩き回り、雪にまみれたのだ。むしろ熱は上がったに違いない。


 桜はごく自然に、鬼へと手を伸ばした。


 鬼の闇色をした双眸が、大きく見開かれる。

 が、避けられることはなかった。


 不本意ながら鬼のおかげで温かい着物を身につけているこの手でも、鬼の額は温かく…いや熱く感じられた。

「ほらやっぱり熱あるでしょう、これは。お礼とかはいいから、帰って寝てなさいよ」

 ここに来る暇があったら横にだってなれるでしょう。


 しっしっと追い払うように手を振れば、鬼はさらに険しい表情になる。


 顔は赤いし、やっぱり発熱でつらいんじゃないだろうか。

 部下である熊男を大した理由もなく追っ払うくらいだ。きっと体調不良のせいで気が弱くなっていて、機嫌も悪いに違いない。




「は、ははははははっ」


 次の瞬間、なぜだか側近が腹を抱えて笑い出した。


 桜は首をかしげた。


 なぜだろう。真面目に言っているのに。






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