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花咲姫  作者: いちい千冬
花咲姫
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“春”待ちわびる

 宇佐の国、西峰(にしみね)

 そこがいま桜のいる場所である。


 ただし教えてもらっても、それが宇佐のどこら辺にあるのか、萌葱からどれくらい離れているのか、彼女にはわからない。強行軍とはいえ一昼夜でたどり着けたのだから、萌葱の国寄りではあるのだろうけど。


 彼女の宇佐に関する知識といえば、となりの国であること。周辺の小国に次々と攻め入り、萌葱も少々ぴりぴりしていること。

 あとは、萌葱との国境は山であるとか、国境に限らず宇佐という国はそのほとんどが山地であるとか、そのくらいだ。


 彼女を城のはずれにある民家に押し込めた鬼とその側近はさっさと出て行ってしまったのだが、外からしっかりと鍵がかけられ、周囲には常に二、三人の見張りが付いていて、とても外に出られる雰囲気ではない。

 たとえこの小屋から脱出できたとしても、萌葱への道は雪がまだ残る山である。寒さですぐに動けなくなるに決まっている。

 国境付近には、萌葱へ行き来する商隊を狙う賊だって頻繁に出没するのだ。


 ここから逃げ出すのはまず不可能だ。自殺行為になってしまう。


 ―――逃げられない理由も、できてしまった。


 桜はため息をついて、視線を落とす。

 ひざの先に、布団のかたまりがある。


 世話係だという少女、さほがそこに眠っていた。しきりに恐縮していたが、桜の寝床に無理やり寝かせた。そこがいちばん温かかったのだ。すきま風の吹き込むような使用人部屋になんて、とても寝かせられない。


 実際のところ、彼女は桜の世話どころか立って動くことすら難しいようだった。

 どれだけ布団をかぶせても身体は冷たく、顔が青白い。彼女の異常な細さといい、栄養が足りていないのは明白だった。

 おそらく、それが病の原因でもあるのだろう。


 蒔絵や金銀の刺繍が入った高価な調度品が置かれた、若い娘なら誰もが歓声を上げて喜びそうな部屋ではあるが、病人の世話に役立ちそうなものはなにもない。

 温かくして、水分と栄養のあるものを摂ってもらう。桜ができることといったら、それくらいのものだ。


 病人に飲ませる薬もなければ、湯を湧かす鍋すらない。水と薪だけはちゃんと置いてあったが、水瓶の水は少し匂いがして、いつ汲んだのかと疑うほど。


 差し入れられる食事は、さほのために消化の良いものを、と注文したのだが、どうやら城から運んできたらしいそれは冷えきっていた。


 おまけに美味しくない。

 煮物は煮すぎか煮足りず、焼き物は生焼けか炭化。味付けはしょっぱいか味がしないかのどちらかで、つまり「調度良い」がないのだ。


 これは嫌がらせか、あるいは拷問か。それとも『花咲』は冷たく不味い食事でもかまどなしで温かく美味しく変える事ができるとかなんとか、噂されているのだろうか。


 ぜいたくを言っている自覚はある。

 いきなり攫われて、温かい部屋と食事を提供してもらえるだけましだと思わなければならないのだろう。


 しかし人として、こんな不便なところに病人を置いておきたくない。


 桜は、さらに重く息を吐き出した。

 我ながら、さっきからダメだ、無理だの繰り返しである。


「情けない……」


 なにも考えが浮かばない。

 いずれ、兄が助けにきてくれるだろう。そう確信はしているものの、果たしてそれまでに自分はさほ共々無事でいられるのかどうか。

 このままでは、桜も病になりそうだった。



 桜の呟きに反応したのか、ふと傍らの侍女が目を開けた。

「あ、姫、さま……?」


 黒く丸々とした目をぼんやりと開けた小柄な侍女は、心配そうにのぞき込んでいるのが誰か分かるとはっと目を見開き、飛び起きようとした。

 実際そんな力はないのだろうが、桜は「ちょっと待った」と起こしかけた身体を寝床へと押し返す。


「ちゃんと休まないとだめ」

「でも、姫さまー」

「……わたしは“姫”じゃないよ」


 忌々しい気分で桜は訂正する。

 『青鬼』が嫌味ったらしく「姫」と呼んだものだから、彼女は桜のことをどこかの姫君だと思っているらしい。

「ただの庭師だから。名前で呼び捨ててもらっていいの」


 彼女より小さくて細いものの、さほはひとつ上―――なんと十七歳だったのだ。てっきり年下だと思っていた。

 それに桜の生まれる前の話だが、『花咲』だって豊国家に拾われる前はどこかの山村でつつましく百姓をしていたのだ。同じく百姓の娘だというさほに敬語で話されるのはとても居心地が悪い。


 そう訴えても、さほは不思議そうに首をかしげてしまう。

 困惑気味に、どこか間伸びした声で呟く。

「ええとー、でも姫さま、ですよね……?」

「………」


 おそらく、格好にも誤解の原因があるのだろう。

 この部屋に用意されていたのは、彼女がもとから着ていたものと同じような上質の衣や小袖のみだった。

 いつまでも泥まみれでいるわけにもいかず、仕方なくできるだけ質素で動きやすい小袖を選んで着替えたのだが、織りといい柄といい、侍女であるさほのそれよりはるかに上等だ。


 ともあれ、相手は病人である。

 呼び方の話は後回しにして、桜は彼女の額に手をやった。冷たくはないが、むしろ熱いかもしれない。


「気分はどう? お水でも飲む?」

 ふるふる、とさほは力なく首を振った。

 恐れ多いとでも考えているのか、それだけの元気がないだけか。


「ああもう。ほんとうに、とんでもない奴。こんな状態の子に人の世話をさせようなんて」

 小さな身体は頼りなく、つい自分より年下の子供のように扱ってしまう。


 桜が眉間にしわを寄せると、さほはしゅんと眉尻を下げた。

「申し訳ありませんー……」

「さほだって被害者じゃない」

「でもわたし、嬉しかったんです」


 熱が出てきたのかもしれない。彼女は小動物のような黒い瞳を潤ませて言った。

「昨年の長雨であまりお米がとれなくて、もともとあんまり蓄えもなくてー。うちはまだ小さな弟と妹たちがいるから、わたしが働かなくちゃって頑張ったんですけどー……倒れてしまいまして。やっぱり食べるもの食べないと、力が出ないものですねー」

「………」

「それで寝込んでいたところに梶山さまのお使いが来て。ある人の世話に雇うからってお金をいただいたんですー。おかげで家族全員、どうにか冬を乗り越えられました」


 さすが鬼、人でなし。人攫いだけじゃなく人身売買もやるらしい。

 桜の周囲を包む空気がどんどん冷えていくのも気付かない様子で、さほは嬉しそうにへらりと笑う。

「ですから若さまと、姫さまのおかげなんですー」


 山間地では水田にできるような平地が少なく、しかも崩れやすいのでうかつに山や林を切り開くことも出来ない。土地もやせているので、飢饉が起きれば村ごと全滅してしまうことだってあり得る。

 食い扶持を減らしたりわずかなお金を得るために、自分の子供を売る親も珍しくはない。

 萌葱の国の山村がそうなのだから、山がつながっているこの辺りも同じなのだろう。


 米作りには向かない土地だ。

 うすうす気付いてはいても、農民は主食であるそれを育てないわけにはいかない。

 萌葱の国の山村もそうだ――いや、そう“だった”。


「若さまの大事なお姫さまをお世話することができるなんて、夢みたいですー。わたし、いまは…こんなですが、きっとすぐ良くなって、姫さまのお役に立ちますからー」


 訂正したい箇所は山ほどあったが、とりあえず桜は聞き流すことにした。

 少々誤解されているのが気になるが、ともかくもさほはいい子だ。死なせたくない。


「しょうがない、か」


 ふう、と息をつく。

 だがそれは重苦しいものではなく、重苦しい気分を吹き飛ばすような陽気なものだった。


 萌葱の国に、兄たちの所に帰りたい。

 でもどうすればいいのかは分からない。


 それなら、目の前の事から少しずつ片付けてみようか。





別に秘密ではなかったのですが、さりげなく桜の年齢がばれてます。


さほはこんな話し方ですー。

天然ですー。

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