銀の谷のけむり猫ミーアは、恋をしている
「銀の谷」という場所がありました。
他の場所では普通の木でも、この谷にはえると緑色の葉が不思議と光りを銀色にはじいて、まるで銀細工で出来ているように見えるのです。そんな少し変わった木々に覆われた谷には、やはり少し変わった者たちが住んでいるのでした。
これは、銀の谷に住む一匹の猫、煙色をした猫の恋物語。
猫の名前は、ミーア。
ミーア、ミーアと鳴くからミーアと呼ばれるようになりました。
ふわふわの煙色をした毛並みに、淡い翡翠色の瞳をしたこの猫は、煙猫という種族です。
これは煙のようにすーっと消えるようにいなくなるからだとも、小さくなったり、大きくなったり自由自在だからだとも、ただ灰色の毛並みをしているからだとも言われています。
「ミーア、今日も泉へ行くの」
三つ足のカラスがミーアに声をかけました。
このカラスはとても気の良い性格で、最近、銀の谷に移り住んできた絵描きの肩によく止まっては、一緒に歌を歌っています。
「良かったら、一緒に歌を歌わない?」
絵描きもミーアに声をかけます
すっかり銀の谷に住み着いてしまったこの絵描きは、猫好きなのか、度々ミーアを撫でようと手をのばしてはするりとかわされています。それでも諦めずミーアに手をのばしてくるのでした。
ミーアはじっとカラスを見つめましたが、やがてふっと視線をはずすと、小さな小さな声で「ううん」と答えて谷の奥へ入っていきました。
銀の谷を歩いていると、シャク、シャク、と乾いた葉を踏む音が響くのがミーアは好きでした。
やわらかい毛に、しっとりとした肉球、どちらも音を吸って抑えてしまうので、その小さな音はミーアの耳にしか届かないのですが。ミーアはとても耳が良い猫なのです。
「ミーア、ご機嫌よう」
「ミーア、今日はミーアの歌を歌うよ」
銀の谷に住む生き物は、総じて歌を歌うのが好きでした。
ミーアも時々は歌を歌いますが、ミーアが得意なのは歌をつくる方。
ミーアの歌を好いてくれる者たちがこうして声をかけてくれるとミーアの尻尾はご機嫌にぴんっと立って、ふわりふわりとたなびいて挨拶を返します。
谷では、あちらこちらから調子外れだったり、朗々と響いたり、時には踊り出すように楽しげだったり、いろいろな歌が聞こえてくることがよくあります。ミーアはお気に入りの歌い手をめぐることもあれば、自分の歌を歌う人の輪のなかにそっと紛れて耳を傾けることもあります。
そうして、ミーアはある日突然、恋に落ちたのです。
その人は、聴衆に囲まれながら一人きりで立って歌を歌う人でした。
少し掠れた調子の、甘く低い声に、気ままに風の精霊と戯れていたはずのミーアもいつしか立ち止まり、うっとりと耳を傾けたのです。
けれどそれは同時に、ミーアが自分の恋が叶わないと知った日でもありました。
彼が、月の光りで編まれた精霊であったためです。




