第九十四話 看病
途中から悠視点から真鈴視点に変わります
「悠、大丈夫?」
由香が心配そうに僕の顔を覗きこむ。
「大丈夫だよ、寝てれば」
僕がそう答えても、由香はその場を動こうとしない。
「部長が遅刻したら他の部員に示しがつかないでしょ」
「でも‥‥」
「ただの風邪だって、七瀬先生も言ってたし」
夏休み初日。
僕は風邪でダウンしていた。
いろいろあったあの日から、ちょっと体調が悪いと思ってたら、終業式が終わってから一気に熱が出て、くらっとした後立てなくなった。
真鈴は大慌てで、救急車を呼ぼうとしたり、大変だった。
結局、八雲や奏がなだめ、フミが僕を保健室に連れて行ってくれた。
『風邪だな、完璧に。まぁ、いろいろごたついてたみたいだし、疲れが溜まってたんだろう』
七瀬先生はそう言うと、市販の薬を取り出す。
『これ飲んでしばらく安静に寝てればすぐ治るさ』
『‥‥はい』
僕が薬を受け取ると、七瀬先生はクククと笑う。
『それにしても、随分と愛されてるんだな』
『……まぁ』
なんと答えればいいのか分からず、とりあえず適当に相づちを打つ。
『……今、楽しいか?』
急に七瀬先生は真剣な表情になった。
『どういう意味ですか?』
急な質問に、意味が分からずに訊き返す。
『そのままの意味だ。学校生活も、私生活も……充実してるか?』
質問の答えを聞いても、質問の意図は理解出来なかった。
『楽しい、ですけど……それがどうかしたんですか?』
『いや、何でもない』
僕がまた質問をすると、七瀬先生は元の笑顔ではぐらかす。
これ以上、何かを聞いてもきっと七瀬先生はぬらりとかわすだろう。
僕は追及をあきらめて保健室から出ようとした。
『悠!! 大丈夫!?』
保健室の扉をが勢いよく開き、由香が飛び込んできた。
『一之瀬妹、静かにしろ』
『九十九先生に聞いたら、保健室に運ばれたって‥‥大丈夫なの!? 何があったの!?』
七瀬先生の注意は、由香の耳には入っていない。
『大丈夫だから‥‥落ち着いて、由香。ただの風邪だってさ』
『とりあえず薬飲んで安静にしていればじきに治る‥‥だから静かにしておけ』
七瀬先生が呆れた様子で付け加える。
『それにしても二宮といいお前といい‥‥随分とまぁ、お相手が多い事だ』
『お相手って‥‥由香は妹ですよ』
『妹でも、私達は特別でしょ?』
由香は僕の事を抱きしめようとする。
『馬鹿、うつるよ』
僕が離れると由香が不満そうな表情をする。
『私は別に悠のならうつってもいいよ?』
『僕が困るの。テニス部の人も困るでしょ? せっかく全国大会に出場したのに』
城羽学園中等部の女子テニス部はつい最近予選を突破し、全国大会に駒を進めた。
由香は団体でも個人でも大会に出るようだ。
『うー‥‥それはそうだけど』
由香はそれを指摘されるとは思っていなかったようで、バツの悪そうな顔をする。
『というか、今日も練習あるんでしょ?』
『ある‥‥けど、でも、悠がこんなだし‥‥』
『大丈夫だよ。こんな風邪くらい、一人でも大丈夫だから』
『でも‥‥』
由香は未だに迷ってる。
『いいから、早く行きな』
僕はそんな由香の背中を無理やり押して保健室の外に追い出した。
その後、なんとか家に帰って貰って薬を飲んで安静のしたまま今に至る。
「でも、あの人いい加減だし‥‥」
「まぁ、そうかもしれないけど」
一向に時間の合わない保健室の時計を思いだしながら答える。
「自分の本職でそんな事しないよ、多分」
絶対、と断言出来るほどの付き合いがあるわけじゃないけど。
「いいから、早く行きなよ。本当に遅れるよ。僕は一人でも大丈夫だから」
いつもなら六車さんが看病してくれるんだろうけど、今日はここにはいない。
あの事件の翌日から、旦那さんのところに戻っている。
六車さんの事だから、僕が風邪をひいたと知ったら、すぐに帰ってくるだろう。
でも、せっかくの二人きりの時間を邪魔したくはなかった。
由香はそれでも迷っているようだったけど、僕の顔をじっと見つめた後、
「‥‥分かった」
と、しぶしぶうなずいた。
「でも、絶対安静だからね!! 電話とか、誰か家に来ても居留守でいいから!! ベッドから出ちゃダメ!!」
「分かったから、早く行きなよ。本当に遅刻するよ」
僕が促すと、由香は不満そうに部屋から出て行った。
「ふぅ‥‥」
これで、やっと一息つけた。
由香には大丈夫を繰り返したけど、本当はかなり辛い。
喉も痛いし、頭も痛い。
ぼーっとするし、吐き気もする。
気分も悪いし、頭も痛い。
起き上がってベッドから出ようなんて気は微塵も起きない。
(‥‥寝よう)
僕は、目を閉じた。
◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
悠は、ぐっすりと眠っていた。
悠の寝顔を見るのは2度めだ。
体育祭の後、誤って酒を飲んでしまった寝た時、目を覚ました後に見た顔。
あの時はいきなり目の間に悠がいて、心臓が止まるかと思うほど驚いたが、今はゆっくりとその顔を堪能出来る―――こういう状況でなければ。
悠のこんな顔は、一度も見た事がない。
真っ赤な顔で、苦しそうな呼吸をしている。
額には汗が滲んでいる。
由香さんの言う通り、大丈夫ではなさそうだ。
「‥‥よし」
早速看病にとりかかるとしよう。
“あの騒動”の後、葉はまたテニスを再開した。
ブランクがあり大変だと口では言っていたが、顔は今まで以上に充実を感じているように見える。
今日も、葉がテニス部の練習に向かう為の準備をしている時、葉の携帯電話が鳴った。
「はい、三神です」
葉はいつも通り電話を持ったまま部屋を出ていこうとする。
だが、部屋を出る直前に足を止めて私を見た。
「真鈴、由香さんから」
葉が私に携帯を渡す。
「由香さんから‥‥?」
終業式以来、全く会っていない由香さんから何の要件の電話なのか、さっぱり検討がつかない。
葉から携帯電話を受け取る。
「‥‥もしもし?」
「あ、二宮さんですね」
由香さんの声は少し焦っているように聞こえる。
「今日暇ですか?」
その問いかけに、どのように答えるのがベストか考える、が、答えはすぐに出た。
「まぁ、暇だな」
今日やるべき事など、宿題くらいしかない。
悠の風邪が治れば、また違う選択肢もあっただろうが‥‥
「なら、一つお願いがあるんですが」
由香さんはそう言いながらも、なにかためらっているような感じだった。
「お願い?」
「ええ、その‥‥悠の、看病をしてもらえませんか?」
よく話を聞くと、六車さんも用事で、悠一人だという。
そういうわけで、今私は悠の家にいる。
それにしても、子供の二人暮らしにしては、不用心な気がするが(鍵の隠し場所も電話口で教えてしまっていたし)
「それにしても‥‥」
看病、といっても、何から始めればいいのか。
由香さんは普通に看病してくれればと言っていたが、そもそも誰かを看病する事自体、ほとんど経験がない。
(失敗したか‥‥?)
いてもたってもいられず、深く考えずにOKしてしまったが‥‥
「とりあえず、由香さんに言われた事をしよう」
意味もなく口に出して、自分自身に言い聞かせる。
普段両親が家にいない一之瀬家では、家事の分担をしていて、料理は由香さんが、その他の家事は悠が担当しているらしい。
すでに昼食は由香さんが作っていってあるから、残りは悠がやるべき選択と掃除だ。
悠が起きた時に驚くくらいにキレイにしてやろう。