第八十話 嵐の前
久々に九十九が登場します。
十文字の部屋から出た京極は、すぐに『ナイトメア』のメンバーの女性に呼び止められた。
「京極、客が来てるよ」
「客ぅ?」
京極が、いつも通りの口調で聞き返すと、女性はにっこりと笑う。
「"VIP"よ」
その言葉を聞いた瞬間、いつも張り付いている京極の笑顔が、一瞬だけ強張る。
嫌な予感がしたのだ。
『ナイトメア』で"VIP"と呼ばれる人間は、それほど多くない。
今、この店に来る事が出来る人間は、片手で数える程しかいない。
そして、その半数以上が、京極が苦手としているタイプの人間だった。
「‥‥誰ぇ?」
「さぁて、誰でしょうねぇ?」
女性は意地の悪い笑みを浮かべる。
その態度で、誰が来たのか把握した。
(マジか‥‥)
京極は音を出さずに口を動かす。
女性は、読み取る事が出来なかったのか、首を傾げる。
「良く分からないけど‥‥まぁ、頑張ってね」
女性は心から嬉しそうに皆がいる方に走って行く。
「‥‥俺、あいつに嫌われてんのかね‥‥?」
京極は忌々しい顔で女性の後ろ姿を見た後、ため息をつくと"VIP"が待つ部屋へ向かう。
部屋の扉は、開いていた。
「京極、来た?」
京極が部屋に近付くと、"VIP"が部屋の中から訊いてくる。
「‥‥」
京極は歩みを止め、回れ右して帰ろうとする。
しかし、
「やっぱり京極だ。早かったね」
帰る前に中にいた"VIP"が廊下に出て京極の名を呼んだ。
京極は心の中でため息をついてから、いつもの笑みを浮かべて振り返る。
「どうしたのぉ、先生ぇ」
京極の前に立っていたのは、子供のような教師――九十九新太郎だった。
「この場では"先生"とは呼ばないで欲しいな。もうとっくに先生としての時間は終わったんだから」
九十九も一瞬だけ京極と同じように笑みを浮かべる。
「それと‥‥そんな口調もね。話、早く終わらせたいでしょ?」
「‥‥用件は」
京極は真顔に戻ると、呟くように同じ事を訊く。
「みんな、どうしてるかなと思ってね。あの子の話だけじゃ分からないからね」
「皆すこぶる元気だ‥‥これで満足か?」
「うん、そうだね」
九十九はニッコリと笑い答える。
「‥‥嘘ばっか言いやがって」
「京極だってそうでしょ。全然腹の中見せないんだから」
「それこそアンタの事だろ仮面子供教師」
京極が吐き捨てるように言った言葉を聞いても、九十九は表情を一切変えずに黙って笑っている。
京極はため息をつくと、九十九の脇を通って部屋に入る。
「話が早くて助かるよ、京極」
九十九は笑顔を貼りつけたまま、部屋に入って扉を閉めた。
VIPルーム、といっても部屋には見た目は変わりない。
ただ、壁が防音であり、部屋で話していることが漏れる事は基本的にはない。
「それで、本当の用事は何だ?」
京極がその質問をした時には、二人共真剣な表情になっていた。
「三神の事だよ」
「心配しなくても、アンタが思っていたようになってるよ。アンタが何もしなければ、すぐに終わる」
「俺が思う通り、ね」
九十九は不満げに呟く。
「何が言いたいんだ?」
「お前が俺の考えが分かるとは思えないんだけど」
九十九はそう言うと、ベッドに座る。
「‥‥分かってるつもりだけどな」
「それならいいけど」
「真鈴に声をかけて来ただろ」
京極が間髪いれずに言うと、九十九は口元をほころばせる。
「ありゃ、本当に分かってたんだ」
「本当にムカつくな、アンタ」
京極は九十九を呆れ顔で見る。
その程度なら分かっている、という事は想定の範囲内だったのだろう。
年上年下に関わらず、たいていの人間を口だけで言いくるめる事ができる京極が、口ですら勝てず、掌の上で転がされる数少ない人間。
京極は、なんとか九十九に一泡吹かせるために考えを巡らす。
「由香にも何か言っただろ、アンタ」
ふいに、京極からそんな言葉が零れた。
その時、初めて九十九は驚いた顔をした。
「‥‥」
「京華さんが言ってた」
京極は一瞬だけのその表情で満足し、すぐにネタばらしをする。
「ああ、今は一緒にいるんだっけ、あの二人‥‥今でもあの人と連絡取ってるの?」
「悠と由香の話はあの人に聞くからな‥‥ってか、アンタとの付き合いの方が長いんじゃないのか?」
京極が訊くと、九十九は頷く。
「でもここから出た後は連絡取ってない。あの人だけじゃなくて、うちの学校と関係ない人間とはね」
「それは‥‥"あの時"からって事か?」
京極がそう言うと、九十九は真剣な表情に戻る。
「それも‥‥あるよ、正直ね。あれがあってから『ナイトメア』との人間は必要最低限しか関わってないし、『ナイトメア』自体から離れてるから。逃げてるって言われても、甘んじて受け入れるけど」
「言わねぇよ‥‥それで、他の理由は?」
「単純に時間がないから。就職前後だし‥‥悠や三神の事もあるしね」
九十九はそう言うと立ち上がった。
「やっと本筋に戻ったな‥‥」
「うん」
「それで、何を伝えに来たんだ?」
「京極に頼みがあってね‥‥今回の事、俺の代わりに動いてくれないか?」
「‥‥どういう意味だ?」
京極は九十九に聞き返す。
「今、京極は十文字達を使って葉達をなんとかしようとしてるんでしょ?」
京極は返事をしない。
九十九はそれを肯定と受け取り、話を進める。
「でもね、多分それじゃあ足りないんだよ。時間も、彼女に対するケアもね。1年前、俺はそれを見誤った。多分、これが最後のチャンスだ。失敗するわけにはいかないんだよ」
「‥‥最後?」
「お前が思っているより、三神の心は追い込まれてるんだよ」
九十九はなんでもない事のように淡々と話す。
その言葉を待っていたかのように、廊下が騒がしくなった。
「連絡、来たみたいだね」
九十九がぼそっと呟く。
「連絡?」
「もう、動き始めたってことさ」
次回は時間が少し戻ります。