第七十八話 十文字の部屋で
再び悠も真鈴もでてきません。
十文字視点の話です。
『ナイトメア』に所属する人は、京極さんのように自ら訪れる人と、何らかの理由で自宅に帰らない人がいる。
だが、家に帰らない人も当然休む必要がある。
そういう人のために、いくつか部屋が用意されている。
もちろん、誰かのための部屋じゃないが、千夏やモモのように、そもそも行く場所がなかったり、俺のように、ほぼ毎日『ナイトメア』に入り浸っている人間は必然的に部屋を使うことになり、結果的にこの部屋が俺の部屋、という事になっている。
俺達は、その部屋に向かっていた。
「ふぅ~‥‥やっと普通に喋れるよ」
キッチンを抜け、周囲に誰もいなくなると、京極さんは伸びながら呟く。
だったらあんなに変な喋り方しなけりゃいいのに‥‥
「それで、どういう事なんですか?」
俺は疑問を飲み込んで、単刀直入に聞きたい事を訊く。
「まだ部屋に着いてないよ」
「今、ここまで来る奴はいない」
「とは、限らないでしょ? 一応、誰かに聞かせていい類いの話じゃないしね」
京極さんは部屋に着くまで話す気はないらしく、色々と理由をつけて先延ばしにする。
俺がいつも使う部屋に入ると、京極さんはベッドに座った。
「俺、葉についてどこまで話してたっけ?」
京極さんからは二宮のことはいくつか聞いていたけど、三神の事はほとんど聞いていない。
「イジメを受けていた二宮と一緒に、別な学校から来たということだけは聞いてますけど」
「帝清学園。それが真鈴と葉の出身校だよ」
京極さんが間髪いれずに、聞き覚えのある学校名を言う。
いや、聞き覚えのある、なんてレベルじゃない。
俺達が何度も辛酸を舐めさせられた相手だ。
「何で‥‥」
「ま、一応名門校だし、お坊ちゃまやお嬢様が多いし、黒い噂に目をつぶっても、得る物があって、将来的に何か役にたつと思ったんじゃない?」
京極さんは、嘲るような笑みを浮かべる。
「‥‥あいつに何があったんですか?」
俺が訊くと、京極さんは笑みを消して真顔になる。
「真鈴がイジメられてる間、葉は真鈴を庇い続けた。そのせいで、葉もイジメの標的になった。初めは物を隠されたりとか、そういう小さい事だったけど、だんだんとエスカレートしていって、ついに倒れた‥‥それが、"真鈴の知ってる"、葉のイジメの話」
京極さんは、"真鈴の知ってる"という部分を強調する。
「どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ。真実は違うってこと」
「じゃあ、本当は」
何があったんですか、と俺が聞く前に、京極さんが、そのままパタンとベッドに倒れこむ。
「京極さん?」
「望は‥‥葉のこと好きなんだよね?」
「さっきも言ったでしょう?」
「じゃあ、何で葉に告白しないの?」
「それ、あいつの過去になんか関係してるんですか?」
一向に話を進めようとしない京極さんに、少しずつ苛立ちが隠せなくなってくる。
「してると言えばしてるかな」
京極さんはそう言うと、ポケットから携帯を取り出して、いじりだす。
「葉の過去を知りたいなら、それ相応の覚悟がいると思うから聞いてるんだよ」
「覚悟‥‥?」
「誰かのために誰かを捨てる覚悟」
京極さんは携帯から目を離さずにさらっと言う。
言ってる事としてる事のギャップが、心をざわっとさせる。
「どういう意味ですか」
「俺の話を聞いた後、望海には二つの選択肢がある。葉のために動くか、動かないか。そのくらいは分かってるでしょ?」
京極さんは一切俺を見ないで訊く。
「はい」
「でも、今の望海はどっちに動くか決まってない。そんなどっちつかずな状況で真実を聞いた所で、望海はまた迷うだけだし」
「それは‥‥」
「だから、しっかり選んで欲しい。何のために行動するのかを」
「何のために‥‥? 俺は、『ナイトメア』のために」
俺が答える途中で、京極さんは携帯を折り畳んで、起き上がった。
「それが出来ないから、迷ってるんでしょ?」
京極さんは笑っている。
どれだけ話しても、京極さんの真意が見えてこない。
「‥‥何が言いたいんですか?」
「『公正しきっていない不良』をまとめなきゃいけない『ナイトメア』のリーダーが自分のためだけに動けば、『ナイトメア』がバラバラになる。だから勝手に動くわけにはいかない‥‥だけど、三神のために‥‥好きな女のために、何かしたい。そんな事考えてるんじゃない?」
何も言い返せず、俯くしかなかった。
図星だった。
「分かりやすいね、望海は」
京極さんはそう言うと、ベッドから立ち上がる。
「……もしも、望海が『ナイトメア』とは関係なく、普通の人だったら、三神にテニスやらせたいって思う?」
唐突な質問だった。
だけど、それに対する返答はすぐに出来た。
「三神と話してから、決めます」
京極さんの顔から、笑顔が消えた。
「……へぇ、何で?」
「俺は三神の事、何も知りませんし分かりません。仮に、京極さんから三神の過去を聞いたとしても、三神が今、本当はどう思ってるのか分かりません。だから、三神と話して、本当に三神がやりたい事をやってほしい。その気持ちだけは何があっても変わりません」
俺の本音を吐き出す。
「話したら、三神が本心を話してくれると思ってんの?」
「もし言ってくれないなら、俺はその程度って事でしょう?」
俺が本心で答えると、京極さんは再び笑みを浮かべる。
「‥‥なら、話そうかな、三神の過去」
「え?」
急に心変わりした京極さんは再びベッドに座る。
「三神の過去、知りたいんでしょ?」
「だけど‥‥」
俺は自分の覚悟なんか話していない。
今した話は、京極さんが言った『仮定』が前提としてある。
俺はまだ、この後どうするか、なんて考えてはいない。
「大丈夫だよ」
頭の中で疑問がぐるぐる回る中、京極さんは俺の心の中を覗き込んだように言う。
その顔は、真剣そのものだった。
「望海の重荷は、俺達も背負うから」
「はい?」
「言っただろ? 『ナイトメア』のリーダーとしての十文字じゃなくて、素の十文字を見せる事が出来る相手に相談すればいいって。望海がリーダーとしての責務を感じているんなら、俺達も背負う……だから、お前は葉を助けて欲しいんだよ」
「助けて‥‥?」
「そう。今の葉は、結構アンバランスな状態にある。下手したら‥‥感情が暴走しかねない」
京極さんの表情は変わらない。
冗談や嘘ではなさそうだった。
「何で‥‥?」
「‥‥今から全部話すよ」
京極は、真剣な表情のまま、そう答えた。