第七十三話 心変わり
球技大会は順調に進み、残すは午後の二つの競技を残すだけになった。
私達のクラスも順調に勝ち進み、千夏さんと砂川さんのクラスを抜き、2位になった。
今は午前と午後の競技の間の休憩時間で、私達はいつもの四人に奏、八雲君、由香を加え、お昼ご飯を食べ、皆で話し合っていた。
「この調子ならなんとか優勝出来そうだな」
奏がおそらく球技大会の成績と思われる紙を見ながら満足そうな笑みを浮かべている。
「なんといっても、三神さんが出るんですから、一勝は固いですしね‥‥ずるいですよ、部活に入ってないからって」
由香は不満げな顔で私を見る。
「いや、そんなたいしたことないわよ‥‥しばらくラケットも握ってないし」
周囲に誰もいないし、人が来る気配もないから、普通に話す。
「でも全国優勝じゃないですか」
「優勝したのはダブルスじゃない。今やるのはシングルスよ」
「三神さんならそのくらいの差、なんとかなりますよ」
「買い被りすぎよ‥‥」
本気で由香は私を買い被ってると思う。
少なくとも、シングルスなら昔から由香の方がずっと強い。
「でも、久々に三神さんのテニスが見れるんですね‥‥楽しみですっ!」
「‥‥だから、しばらくラケット握ってないんだって。もうかなり鈍ってるわよ」
私がそう答えても、由香の目はキラキラと輝いている。
相当期待しているんだと思う。
だけど‥‥本当に鈍っているだろうし、そもそも本気を出すつもりはなかった。
本気出したら相手が合わせられなくなるから‥‥とかそんな贅沢な悩みじゃない。
ただ本気を出すのが怖いだけ。
前みたいになるのが‥‥怖いだけ。
「そんなに凄いのか?」
八雲君が由香に訊く。
「そりゃあ‥‥全国優勝してるくらいですから、かなりの実力ですよ。凄い技術あるし、身体能力も高いし‥‥」
「だから、そんなにハードル上げないでよ‥‥」
ほっとくと、まるで自分のことのように自慢を始めかねない由香を止める。
一之瀬君のことを話す時も、きっとこんなふうになるんだろうな‥‥
「だって事実じゃないですか」
「だから、昔の話だって言ってるでしょ?」
だんだん同じことを言うことが面倒になってくる。
由香はまだ言い足りなさそうだったけど、渋々といった感じで黙る。
「本当に好きなんだな、葉のテニス」
そう言ったのは今まで一之瀬君といちゃついて会話に参加していなかった真鈴だった。
「ええ、それはもう!」
由香が顔をパッと輝かせながら言うと、真鈴は嬉しそうに微笑む。
「私の尊敬してる人ですし!」
由香はそう言いながら私を見る。
顔を見れば、嘘でも冗談でもなく、本気の言葉だってすぐに分かる。
「私なんかより尊敬出来る人はいるでしょうに‥‥」
まぁ、嬉しいことは嬉しいけど。
「十文字は、何か言うことねぇの?」
「はぁ?」
奏が、いつも通り黙って皆の話を聞いていた十文字に声をかける。
「いや、ずっと黙ってるからさ」
「別に、いつもそうでしょ」
私がそう言うと、奏が驚いたような顔をする。
「ミカはそれでいいのかよ?」
「どういう意味よ」
「いや‥‥そのままの意味だけど。全然会話なくてもいいのか?」
「別に全然会話ないわけじゃないわよ。さっきみたいに一之瀬君と真鈴が二人だけの世界に入っていちゃいちゃしてる間は普通に話すし」
「二人だけの世界って‥‥」
「い、いちゃついてなんてない!」
一之瀬君は苦笑いしながら、真鈴は顔を真っ赤にしながら反論する。
「かなりいちゃついてたぜ?」
「いや、いちゃついてた」
「相当いちゃいちゃしてましたよ‥‥」
「いちゃついてただろ」
真鈴は四人から同時にツッコミを入れられ、顔を赤くしたまま俯く。
私は真鈴をほっといて話を進める。
「まぁそれに、会話しなくても何となく考えてることは分かるし」
「心がしっかりと繋がってるんですね」
一之瀬君が仕返しとばかりに、笑みを浮かべて言う。
「確かに、普通のカップルでもなかなかそうはならないぜ? 普通のカップルより仲が良いって‥‥これはもう、なぁ?」
奏がニヤつきながら私を見て言う。
からかっているのだと分かってる。
一生懸命否定すればするだけ無駄だと、むしろ相手を喜ばせるだけだと分かってる。
なのに、顔が熱を帯びたようにほてって、胸がドキドキしだして冷静になれなくなって、自分の意思とは別に声も大きくなって早口になり、言いたくないことまで口走る。
「は、はぁ!? 何言ってるの? そんな訳ないじゃない!」
言ってからすぐにしまったと思う。
でも、もう遅い。
「そんな訳ってどんな訳だ?」
案の定、そう聞いてきたのは八雲君。
「それは‥‥」
返答に困る。
「‥‥本当に仲良いんですね、三神さんと十文字さん」
由香がにんまりと笑いながら言う。
「う、うるさいわね」
「あ〜、照れてるんですか〜?」
「照れてない!」
言葉を出せば出すほど、ボロが出ているのには気付いていた。
でも、なぜか考えるより先に言葉が出てしまう。
「で、のんたんは何かミカに言うことはないの?」
奏が十文字の方を向いて言う。
「‥‥別に」
十文字がぶっきらぼうに答えると、八雲君がニヤニヤしながら十文字の背中をパンと叩く。
「何、言ってんだ、三神のカッコイイ姿が見れるって、内心ワクワクのくせに」
ワクワク‥‥?
「な、だ、誰が!」
十文字の顔がだんだんと赤くなっていく。
「はい図星〜」
「違う!」
「でも顔赤いよ?」
いつもなら傍観してる一之瀬君が口をだす。
ただ、奏達のようにからかったり茶化したりという意図ではなく、ただ単に見たままを言っているだけのようだった。
「ゆ、悠君まで!」
「もう認めちまえよ」
「だから違うっつうの!」
十文字は明らかに動揺していた。
「‥‥なんかもう、ここまで来ると、むしろ頑張れって応援したくなりますね‥‥」
由香が呆れ顔で呟く。
「頑張らなくちゃいけない理由がまた一つ増えたな」
奏が私の背中をぽんと叩く。
「は?」
「のんたんにも、いいところ見せないとだろ? せっかく楽しみにしてるんだし」
きっと、十文字は顔を真っ赤にしてそれを否定したんだろう。
だけど、私の耳には、もう何も入ってこなかった。
十文字が‥‥楽しみに‥‥
そう思っただけで、また胸がドキドキし始める。
由香にあれだけ言われても心変わりなんてしなかったのに、十文字だと、しかも本人から直接聞いたわけじゃなく、(おそらく正しいのだろうけど)憶測にしかすぎないのに、いいところを見せてやりたいと思う。
十文字なら、期待に応えたいと思う。
何でそんな気持ちになるのか、考えるまでもなかった。
本当は、体育祭よりも、ゴールデンウイークの時よりも、ずっとずっと前から気付いてた気持ち。
私は、やっぱりこいつを、この男を。
十文字望海を――‥‥