第六十一話 只今バイト中
「びっくりしたよ、もう‥‥」
悠がテーブルに座った私達を見ながら呟く。
「こっちも驚いたよ、悠が"こんな所"で働いてるなんて‥‥」
私の正面に座った五十嵐がとてもそうは思えないような表情で答える。
「‥‥何がおかしいんだよ」
「いや、別におかしくなんて‥‥くくくっ!」
私の隣の席に座った奏が笑いを噛み殺しながら答える。
若干噛み殺し切れていない。
「言いたいことあるな」
「一之瀬君、早く仕事に戻ってくれるかな?」
悠が全部言い切る前に、同じく執事のような服装をした生徒会長の横溝さんが悠に注意する。
「あ、はい、分かりました!」
悠は奏と五十嵐を睨むと(あまり怖くなかったが)、仕事場に戻って行った。
「ここは‥‥どういう場所なんだ?」
「執事喫茶って言って‥‥簡単に言うとメイドカフェの執事版って感じかな?」
「コスプレ喫茶ということか?」
「うーん‥‥まぁ、そういうことかな」
五十嵐が苦笑いしながら答える。
「まさか悠がこんな所でバイトしてるなんてな‥‥ちょっと意外」
奏が悠を目で追いながら呟く。
「どうしてだ? 悠は執事が嫌いなのか?」
「執事が嫌いなのか?」
「いや、そうじゃなくて‥‥ってか執事が嫌いってなんだよ」
「他人に従属する人が嫌いとか‥‥」
「そんなキャラじゃねぇよ、あいつは。だいたい」
「話ズレてきとるよ」
少しムッとした表情をして話し始めようとした奏に五十嵐がメニューを見ながら言う。
「‥‥執事云々じゃなくて、あいつがバイトしてることが意外なんだよ。あいつ、爺さんからかなりのお金を貰ってるのに全然使わないから、バイトなんてする必要ないんだけど‥‥」
「そうなの? でも僕、悠にいいバイトないか訊かれたよ? なんか、欲しい物があるからって‥‥」
五十嵐がそう言うと、奏はニヤリと笑い、私を見る。
「ああ、そういうことか」
「‥‥どういうことだ?」「どういうこと?」
私と五十嵐がハモる。
「ふーみんちょっと耳貸して」
五十嵐が奏の方に耳を近づけ、奏が五十嵐の耳元で、小さな声で何かを言った。
「え? そうなの? でもわざわざバイトしなくても‥‥」
「そういう奴なんだよ、悠は。自分の力で貯めた金で贈りたかったんだろ?」
「‥‥何で五十嵐にしか話さないんだ?」
「そりゃあ、ニーノに言ったら意味なくなっちまうからな」
意味がなくなる‥‥?
「ま、とにかく注文しよっか、二宮さんは何にする?」
五十嵐が話を逸らす。
まぁ‥‥悠のことだから、そのうち教えてくれるだろう。
「そうだな、私は‥‥」
「きゃあっ! 可愛い!」
私がメニューに視線を向けた瞬間、女性の嬌声がある。
声のした方を見ると、悠が応対していた客の声だと分かった。
「でしょ? ばりショタ執事! もう、お持ち帰りしたいわ!」
「ねぇ、何年生? 好きな人とかいる?」
「ねぇ、バイト終わったらお姉さん達と遊ばない?」
客は女性四人組で、悠のことが相当気にいったのか、ずっと喋り続けている。
悠はかなり押され気味だ。
「あ、あの、僕、付き合っている人いますから‥‥」
悠はそう言って私の方を見る。
しかし、女性達はそれに気がつかないのか、一方的に話続ける。
「大丈夫よ、ちょっとくらいならバレないから! ねぇ、いいでしょう?」
女性は悠を誘惑するようなポーズを取る。
(ふーみん、席代わってくんね? 無言の殺気が凄ぇんだんだけど)
(僕だって感じてるから。こっちの席の方が凄いよ?)
奏と五十嵐がひそひそ話している。
「よ、良くないですよ」
「あ、照れてる! 可愛いっ!」
一人の女性が悠に抱き着く。
そろそろ止めないと‥‥
「ちょ、武力行使はマズイですよ!」
五十嵐が私の前に立って私の腕を掴む。
見た目に似合わず、意外と力が強い。
「大丈夫だ。お仕置き程度で止めるから」
「ニーノのお仕置きは天罰レベルだから!!」
奏が後ろから私に抱き着く。
悠が逃げようとするが、女性はがっちり掴んで離さない。
この店ではよくあることなのか、周囲はほのぼのとした様子で見ている。
しばらくすると、客の一人が悠の頬にキスをした。
私の中の何かがブチッと切れた。
奏を振り払い、五十嵐を押しのける。
「ちょ、ニーノっ!!」
「だめですよ!」
奏と五十嵐が私を止めようとしといたが、それさえ気にならなかった。
一歩踏み出そうとした、その時だった。
「暴れたらダメだよ。大人しくしていてね」
溝口さんが私の前に現れ、私の額を指でぽんと触りながら諭すような口調で私に言う。
それだけで、私は動けなくなっていた。
「だが‥‥」
「すぐに終わりますから」
溝口さんはそう言うと指を離し、どこかへ立ち去る。
ちょうどその時、背が低く、外国人のような顔をした少年が持っていたお盆でぽかりと叩く。
悠と違ってコックの格好をしている。
「こら、やり過ぎ! 悠が困ってるでしょうが!」
少年はそう言うと、悠を強引に女性から離す。
「ああ、意地悪ぅ〜!」
「こっちも仕事なの! ほら、悠行くよ!」
「あ、はい!」
少年は厨房に入り、悠が少年の後を追う。
女性達は不満げな表情をしていたが、すぐに四人で別な話を始める。
「一瞬で終わった‥‥」
「まぁ、毎日やってるからね。嫌でも慣れるよ」
「‥‥毎日?」
「そう、毎日。相手は違うけど‥‥一之瀬君は可愛いからね」
溝口さんはそう言って笑うと、仕事に戻った。
毎日‥‥悠は私以外の誰かに抱き着かれたり、キスされたりしている。
‥‥何となく、面白くない。