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すべてが燃えている。

山も、原も、川も、町も。


すべてが。


立ち上る炎の竜巻。

それに巻き上げられてゆく建物や家具の残骸の中に、一瞬、人の影が揺れた。それも、一人二人ではなくて…………ええ。


 もっとたくさんの人影が、炎の中に消えてゆく。


「……ふん」


 肉を、脂を焦がす臭いが濃くなると同時に、バタバタと肉の塊の落下する音があちこちで響き始めた中、私は炎の渦の先の、地平線に広がるどす黒く、うねる影……悪魔の軍勢、あるいは、終末そのものを睨みつけて。

 

 「――ようやく本隊のお出まし、というわけですか」


 吐き捨てるように、呟いた。


「なんて黒い地平線。あの様子では、おそらく、千どころでは済みませんね。万はいるでしょう。――対する私は、たった一人。これではまるで死に急ぎではありませんこと?」


そんなことをつぶやいても、返してくれるものは誰もいない。

当然だ。私と共に戦った皆は、すでに全員死んでいるのだから。


「……ふっ」


 一度瞼を閉じて、息を吸う。ここまで来たのだから、演じ切らなければならない。

 どんなときでも、笑みを絶やさず、誇り高く、孤高で、完璧な令嬢を。


「思えば、争いの絶えない人生でしたわ」


 手を翻しながら、ダンスのステップを踏む。

 それと同時に、地面が割れ、赤々と光を放つ溶岩が溢れ出し、赤色の大波となって黒い地平線へ押し寄せてゆく。


「妹とクッキーの取り合いに始まって――」


 爪先で静かに地を蹴ると、ヒールの音が甲高く響く。すると大地は震え、岩の柱が天を突き破るように立ち上がった。


「あの庶民生まれの聖女との魔法対決や、ケーキの奪い合い。ああ、なんて懐かしい」


 手を振り下ろせば星が堕ち、スカートを風に靡かせれば、鉄をも切り裂く疾風が戦場を舞う。


「思えば、私、皆様に踊りを披露したことはなかったわね。ああ、惜しいことをしたわ」


 力強く手を広げ、くるくると回る。

 空を覆っていた厚い雲は一瞬にして消え失せ、清々しいほどの青空が顔を出す。


 相手のいない孤独なダンス。

 その伴奏は、太陽に焼かれる悪魔共の断末魔と、世界が壊れゆく音色。あまりにも品と趣のないものだけれど、私の最期には相応しいのかもしれない。


「――さ。フィナーレ、ですわ」


 舞台は整った。

 私は目を伏せ、緩やかにカーテシーをする。誰に向けたものでもなく、ただ、終わりに感謝して。


 遥か空の彼方から、轟音がする。

 大地は揺れ、亀裂から再び溶岩が噴き出す。川は沸騰し、木々は燃え、草花は灰となって消えた。


 まさしく世界の終わり。

 いわばエクスターミネーション。


 その規模を小さくしたものが、今、ここで起きようとしている。他の誰でもない、私の手によって。



 

 そして。


 

 一瞬。

 世界が白く染まった。


 

「……ッ!!!」



 全身に強烈な熱――否、激痛を感じる。

 まるで体の前面を、幾万もの剣山で貫かれたような、熾烈な痛み。


「ァ……ァァ…………!」


 思わず、声を上げる。

 しかし、この耳に届いたのは、私の声にならない小さな悲鳴と、大きな雨音のような音。


 その雨音が、私の身体中の脂肪が焼け、水分が沸騰する音であることに気付いたのは、視覚も、聴覚も、感覚も――五感のほぼすべてを、喪失した時だった。


 もうじき、私は、死ぬのだろうから。


 最期くらいは、弱音を吐いたって、赦されるでしょう? 誰も、聞いていないのだし、ね。


 

 …………思えば、後悔ばかりの人生でしたわ。


 

 皆が、私の元から離れてゆくのは、寂しかった。

 皆が、私を嫌いになってゆくのは、悲しかった。


 敷かれたレールを辿ったのは、私の判断だ。それなの、きっとそうなるとも、わかっていた。

 それが、民を率い、救い、時には嫌われ、団結力を高め、人をまとめ上げる。


 そんな、真の貴族令嬢になるための、一番の王道であると――信じていた。

 

 けれど、結果は散々。

 

 人は離れ、人望は消え、いつしか私は嫌われていた。手を伸ばしても、誰一人、この手を取ってはくれなかった。

 


 誰かが言った。

 時代遅れの考えはやめろ、と。


 友人が言った。

 あなたらしくあってほしい、と。


 妹が言った。

 昔のお姉様のほうが、好きだった、と。


 両親は言った。

 それでこそ我が娘。それでこそ、我が家にふさわしい、と。



 ――たとえ孤独だとしても、笑みを絶やさず、誇り高く。感情を隠し、心を殺して。 

 嫌われても、貶されても、石を投げられた時も。

 

 ただ、家柄にふさわしい貴族令嬢で在ることを、選び続けた。

 



 …………嗚呼、まるて、わたし悪役ね。



 悪役令嬢、と、いったところかしら。 


 


 ――。

 


 

 ……もし。

 

 もしも、次が。

 来世が在るのなら。


 次は、自分らしく、自由に生きてみてもいいのかもしれない。誰にも縛られず、家柄にもとらわれず、私は私として生きる。


 そんな来世を、心に願いながら。


 意識が、熱されたバターのように、さらさらと溶けて出してゆくその瞬間。

 

 どこからともなく、かすかに。

 ほんの、かすかに。

 

 甘いケーキと、紅茶の香りが。

 漂ったような、そんな気がした。  

  














 ――ぽたり、と。



 


 どこかで、水滴の落ちる音がした。


 それが現実の音なのか、それとも死ぬ間際の蜃気楼が見せた残滓なのか。その判断がつかないほどに、世界は、ひどくぼんやりとしていた。


 やわらかく揺れる陽光。

 温かな空気。


 窓から差し込む風には、甘いケーキと、紅茶、そして花の香りが混じっている。


 

 ――紅茶の、香り……?


 

 そう気づいた瞬間、激しく、喉の奥が焼けるような錯覚に襲われた。

 

 口の中に広がる血と灰の味。焦げた肉の臭い。全身を貫いた激痛と、焼かれてゆく音。その全てが、ありありと記憶の中で蘇る。


 胸が大きく波打って、息が、詰まる。


 


 ――どうして、生きているの。私は。


 


 指先を動かす。

 最上級の絹で作られたシーツの、ひんやりとして、なめらかな感触がする。


 

 意を決して、まぶたを、重く開く。



 見慣れた天井が、そこにあった。

 白い天蓋、金の縁取りに青い刺繍。


 まるで、夢のような光景。

 


「……は……?」


 

 震える声が、喉から漏れる。

 現実味が、まるでなかった。


 だって、これは。


 

 これは、私が十七のころまで眠っていた“かつての自室”なのだから。


 

 全てが無に還されるあの終焉の風景と、あまりにもかけ離れている。

 火も、叫びも、血も、ない。

 あるのは、シーツに織り込まれた薔薇の刺繍と、朝の光のきらめき。


 そして、ケーキと紅茶、花の香りだけ。 

 


 「……戻って、きたのね」


 

 震える唇が、呟いた。


 まさか、とは思う。

 いや、信じてしまえば、きっと心が壊れてしまう。

 

 けれど、認めざるを得なかった。


 これは夢ではない。

 妄想でも、死の間際に見た幻影でもない。


 この肌の感触。枕の柔らかさ。空気の香り。すべてが、あまりに鮮やかで、生々しい。

 


 「お嬢様……! お目覚めでしたか?」


 扉が開く音。

 聴き覚えのある声。

 

 目を向ければ、侍女が居た。


 リゼット・ベルミール。

 

 学園が火事になった時、私を庇って柱に押しつぶされ、生きたまま焼かれた私のメイド。


「…………どうされましたか、お嬢様?」


 リゼットは笑っていた。あのときの焦げた肌ではなく、苦しそうでもない。ただひたすらに眩しい、太陽のような笑顔を、私にむけている。

 

 その瞬間、堰を切ったように涙が溢れた。

 声にならない嗚咽が漏れ、シーツを握り締める。

 

 リセは驚いたように目を見張り、そしてすぐに、小さな手でそっと私の背に触れた。


 「お嬢様……? お加減がすぐれませんか?」

 「……いいえ。いいえ。少し……夢を見ただけよ」


 震える声でそう言いながら、私はリゼットに抱きついた。


「っ!? お嬢様!?」

 

 こんなにも、温かい。こんなにも、やり直せる場所が目の前にある。


 ならば、私は。


 もう二度と、誰も喪ったりはしない。


 この手で、誰かを守れるなら、たとえ“悪役令嬢”と罵られても、笑ってやり遂げてみせましょう。


 


 ――ええ、今度こそ。

 

次回7/10

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