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癒えぬ傷、差し伸べられた手

 高い天井──そして、柔らかな感触。

 ティアはゆっくりと目を開けた。


「……ここは……?」


 かすれた声で呟き、視線を巡らせようと首を動かしたその瞬間、思いがけない衝撃が全身を包んだ。


「ティアっ!!」

「目が覚めたのね!」

「よかった……本当に、よかった!」


 温もりが押し寄せる。衝撃の原因は、ルゥナ、エリー、ノアの三人が次々とティアに抱きついてきたからだった。


 エリーは涙をいっぱいに湛え、声を震わせながら言う。


「魔獣と戦って怪我したって聞いて……私、もう、どうしたらいいか分からなくて……!」

「でも、ティアの回復力がすごくて、医者が言ってたんだ。傷はもうすっかり治ってるって。ほんとに、大きな怪我じゃなくてよかった……」


 ノアも、今にも泣き出しそうな顔で言葉を継ぐ。


「ティアだけでも……無事でいてくれて、ほんとによかったよ……」


 ルゥナは堪えきれず涙をぽろぽろこぼしながら、ぎゅっとしがみついてきた。


「ティアがいなくなっちゃうかと思って……ルゥナ、すっごく怖かったんだから……!」


 ティアは、一瞬何が起きているのか分からなかった。だが、三人の声を聞いているうちに、徐々に記憶が蘇ってくる。


 ──魔獣の襲撃。

 ──ヴァルゴイアとの死闘。

 ──そして、現れた見たこともない、異質な魔獣。


 それを目にした瞬間から、記憶が闇に飲まれた。


「……そうだ。あの時……私……」


 ティアは小さく呟いた。胸の奥に不快な焦燥とざわつきが残る。記憶の空白は、まだはっきりと埋まっていなかった。


 そして──あの場には、自分の他にも仲間がいた。


「みんなは!?他の人たちは!?」


 ティアは勢いよく上体を起こし、窓の外へと目をやった。窓は夕暮れの色を反射して、やわらかな赤に染まっている。


「もう夕方……?」


 ──まさか、丸一日も寝ていたのか。

 仲間たちが戦っていたのに、自分だけが……。


「他の人たちは!?襲撃は……どうなったの!?私、そんな……一日も寝ていたなんて──!」


 襲撃の最中に無力なまま倒れ、ただ眠っていたという事実に、ティアは悔しさを滲ませる。


 だが──


「一日じゃないよ」


 ルゥナが、そっと言葉を重ねた。


「……襲撃から、三日経ってるの」


 その言葉が落ちた瞬間、ティアの呼吸が一瞬止まる。


 ──三日。自分は、それだけの時間を、眠り続けていたのか。


 ルゥナの言葉に、ティアの視界が揺らいだ。

 戦いのさなか気を失っただけでなく、三日間も眠り続けていたなんて──。


「ティア……落ち着いて聞いて」


 エリーが、どこか決まりの悪そうな表情で口を開く。


「今回の襲撃で……王都に住む人の三分の一が……兵士も含めて、亡くなったって」


 ティアの心臓が、ひときわ大きく脈打った。


「最終的に、ボルグラム王が自ら出陣して……。王都から遠く離れた場所で、敵と戦った形跡が見つかってる。けど……」


 そこでエリーは言葉を濁した。


「見つかったのは……王の、右腕だけだったの」

「──え?」

「姿はどこにもなくて……戦場の痕跡は広範囲に及んでた。あまりに酷くて、完全に消滅したのか、それとも……敵に連れていかれたのかもって、言われてる」


 言葉が喉に刺さるようだった。

 だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。


「王が敵と交戦してた最中……まるで計ったかのように、王都西区にワイバーンの群れが襲来したの。製造所や鍛冶場は半壊状態。アルセイルやリュシオン、それに職人の人たちも……たくさん、怪我してるの」


 そして──


「カイとレイ。それに、王国軍の将軍ギルバンさんが……三人とも重傷で、まだ意識が戻ってないの。今も、死の淵にいる状態だって……」


 その瞬間、ティアの中で何かが切れた。


「……っ!」


 反射的にベッドから飛び降りる。まだ万全ではない体がわずかによろけたが、気にせず駆け出す。


「ティア、待って!まだ無理だって!」


 エリーとノアの声が背後から飛んでくる。

 だが、止まるつもりなどなかった。


 部屋を出たティアの目に飛び込んできたのは、無数の負傷者で溢れる廊下の光景。

 ここは、臨時に設けられた治療施設──まるで戦場の余波をそのまま閉じ込めたような場所だった。


 包帯を巻かれた者、呻き声をあげる者、沈黙したままベッドに横たわる者。

 そのすべてが、王都が受けた傷の深さを物語っていた。


「カイたちは……褐色肌の重傷の男性はどこですか!」


 ティアは、通りがかった看護師に詰め寄った。


「──階段を上がって、右側の病室です。番号は……!」


 最後まで聞く前に、ティアは走り出していた。


 ──カイ、レイ……どうか、生きていて。


 ティアの胸の中には、祈りとも願いともつかぬ思いが、嵐のように渦巻いていた。


 階段を駆け上がり、ティアは息を整える間もなく廊下を進んだ。

 看護師の言葉どおりに右へ曲がったものの、部屋の番号を聞くのを忘れていた。


 廊下にはいくつもの病室が並んでいた。焦りから心拍が早まる。キョロキョロと辺りを見回していると、前方の病室前に人だかりがあるのが目に留まった。見慣れた服装──商隊の人たちだ。


「みんな!」


 ティアはすぐに駆け寄った。


「ティア!目が覚めたのか!」

「大丈夫か!?無理すんなよ!」


 集まっていた面々が口々に声を上げる。心配そうな視線がティアに集中した。


「うん、もう大丈夫。ありがとう」


 ティアは小さく頷き、言葉を繋げた。


「カイたち……あの、カイとレイとギルバンさんは……?」

「この部屋だよ」


 一人が目の前の病室の扉を指差した。


「中に団長と、バルニエ先生もいる」

「ありがとう……!」


 ティアはすぐに扉を押し開けた。


 病室の空気は、重く、張り詰めていた。

 そして、ベッドに横たわる三人の姿を目にした瞬間、ティアは言葉を失った。


 カイ、レイ、ギルバン──その誰もが、全身を包帯に巻かれ、まるで白い繭の中にいるかのような痛々しい姿だった。顔の一部や腕、胸元にまで包帯が巻かれ、呼吸のたびに体がかすかに動く。


 傍らには、団長とバルニエが控えていた。


「ティア……来てくれたか」


 団長が硬い表情で言った。


「三人の容態は……どうなんですか……!?」


 ティアはすがるようにバルニエへ視線を向けた。しかし、返ってきたのは首を振る仕草だった。


「……やれることはすべてやった。だが……今の医術じゃ、これ以上はどうにもならん」


 低く、重く響く声。


「傷の深さもあるが、それだけじゃない。まるで……呪いにでもかかっているようなんだ。どんな高性能の回復薬も……ポーションも、まったく効かない」

「……そんな……」


 ティアの膝が、力を失ったように崩れた。ベッドのそばで、その場にへたり込む。

 唇が震え、声にならない言葉が喉をつかえて出てこない。


「……そんなの、嘘……」


 自分より何倍も強かった彼らが、こんなにも無力な姿で横たわっている。

 その現実が、信じられなかった。信じたくなかった。


「……どうして……どうして……!」


 ティアの視界が滲み、頬を涙が伝っていく。

 答えのない問いが、静かな病室の中で空しく響いていた。


 そのとき、外が騒がしくなる。

 病室の静寂を破るように、廊下の方から荒々しい声が響いた。


「なんだお前たちは!」

「ここは立ち入り禁止だ!」

「部外者は入れられん!」


 怒声と共に足音が近づいてくる。騒ぎにティアが顔を上げた、その瞬間──。


 バンッ!


 勢いよく扉が開かれた。


 目を見開くティアの視線の先、開いた扉の向こうに立っていたのは──ジークハルト、ユリウス、マリエル、ヴィクト。四人は堂々と病室に踏み込んできた。


「突然の訪問、失礼する」


 騒然とする場の空気の中、落ち着いた声音でジークハルトが一歩前に出る。


「私はミレナ王国第二王子、ジークハルト・ヴァレンティア。そして、こちらの三人は私の従者だ」


 堂々たる自己紹介に、商隊の団長やバルニエ、周囲の者たちが息を呑んだ。

 ティアも驚きのあまり言葉を失っていた。


「私たちなら、彼らの傷を癒やすことができる」


 ジークハルトの言葉に、病室の空気が凍りついた。信じられないというように、誰もが彼の顔を見つめる。


「……ほ、ほんとうに?」


 ティアが震える声で問いかけた。疑念と希望の狭間で揺れる、切実な問いだった。

 ジークハルトはすぐに答えず、そっと隣に立つ女性へと視線を向ける。


「マリエル。どうだ?」


 名を呼ばれたマリエルは、包帯に包まれた三人を静かに見つめたあと、力強く頷いた。


「……治せます」


 その言葉には、一切の迷いもなかった。


「方法について説明することはできない。それから、治療中は誰もこの部屋に入ることは許されない。それでも問題なければ……私たちは、彼らを必ず助けると約束する」


 ティアが息を呑む。

 だが、ジークハルトは言葉を重ねた。


「ただし、条件がある」


 緊張が走る。団長が険しい表情で問う。


「……条件?」


 ジークハルトは静かに頷き、ティアを見据えた。


「レティシア。いや、今は“ティア”と名乗っているのだったか」


 唐突に呼ばれた本名に、ティアの瞳が揺れる。


「君と二人きりで話がしたい。それが、条件だ」


 場の空気が、さらに張り詰める。

 ティアは一瞬だけ迷いの表情を浮かべたが、やがて静かに問い返した。


「……本当に、それだけで……彼らを助けてくれるんですか?」

「ああ、君が応じるなら助けよう」


 ジークハルトの答えは、はっきりとしたものだった。


 ティアの目に、再び涙が滲んだ。

 頬を伝った雫をそっと袖で拭い、彼女はふらりと立ち上がった。


「わかりました」


 声は震えていたが、その瞳には決意の光が宿っていた。


「どうか、彼らを……お願いします」


 ティアはジークハルトたちをまっすぐ見つめて、深く頭を下げた。

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