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断罪と追放

 時は流れ、季節はまた巡った。

 十八歳となったレティシアとジークハルトは、王立魔法学園高等部の卒業を間近に控えていた。

 すでに学内では次代を担う若者として注目を集め、王子に近い者たちの名は貴族社会でも常に囁かれていた。


 そんな中、ある新入生が注目を浴びた。

 レティシアの弟セドリック・アーデンである。

 端正な顔立ちと柔和な物腰を持つセドリックは、母である後妻の気品を受け継いでおり、年若ながら魔力にも恵まれ、将来を嘱望され入学早々に人々の関心を集めた。

 だが彼の視線が、いつも一人の少女を追っていることに気づいた者は少なかった。


 それは、マリエル・ノクターン。

 彼女は入学から二年を経て、今や王子や側近、教師たちの信頼を集める存在となっていた。

 人を魅了するその笑顔も、気取らない所作も、誰かを踏み台にすることなく自然と得たものだ。

 マリエルは、人を拒まず、身分の差すら自然と越えてしまうような無垢さで周囲を魅了していた。


 だが、レティシアにとっては、耐え難い光景だった。


 王子の隣に立つべきは、誰よりも努力を重ね、教養も家柄も申し分ない“自分”であるはずだった。

 それなのに、平民出のマリエルが、何の苦もなくその場所を得ているように見えるた。

 人々の視線は彼女に集まり、称賛も信頼も、何もかもを攫っていく。


 婚約者であるジークハルトの態度もまた、レティシアの心を深く傷つけていた。

 かつては傍にいてくれたはずの彼が、いつしか距離を取り始め、代わりにマリエルと過ごす時間が増えていった。

 マリエルが意図して王子に近づいたわけではないことは理解していた。彼女の行動は純粋で、誰を押しのけるでもなく、自然と人々の信頼を集めていったのだろう。


 だが、その「無自覚な純粋さ」こそが、レティシアには恐ろしかった。

 身分を弁えず、それでも堂々と王子の隣に立つ姿。

 まるでそれが当然の権利であるかのような彼女の在り方は、貴族社会に生きるレティシアにとって、耐え難い侮辱だった。


 ──なぜ誰も、彼女を止めないの?

 ──なぜ、ジークハルト様は“私”を見てくださらないの?


 積もる疑問と孤独。それはやがて、彼女自身も気づかぬうちに、嫉妬という名の呪いに変わっていった。

 最初から傷つけようとしたわけではなかった。ただ、あの頃のように戻りたかったのだ。王子の隣に、自分が立てる日々へ。


 けれどその願いが、もはや叶わないと悟ったとき、レティシアはすでに取り返しのつかない場所にいた。

 家柄も才知も備えた自分が差し置かれ、出自の定かでない平民が中心に立つなど、あってはならない。

 そう思った瞬間、彼女の心には嫉妬という言葉すら生ぬるい、暗く重たい執着が根を張っていた。


 嫌がらせは、次第に過激さを増していった。

 マリエルの魔力の記録が改ざんされ、実技試験から除外されかけた。

 彼女が訪れる予定だった教室には、毒の仕込まれた花が飾られていた。

 そしてある日ついに、外部の“不浪人”を通じた暗殺未遂事件が発覚する。


 それは王子の護衛を務める側近・ユリウスの手によって未然に防がれ、事件の全容は静かに、そして着実に明るみに出ていった。

 調査が進む中で、関与した者たちは一人、また一人と捕らえられていく。


 運命の刻は、音を立てて近づいていた。


 ある日の午後。

 王立魔法学園の講堂に、特別召喚の鐘が鳴り響いた。

 王子、側近、教師、そして学園長。

 何も知らず講堂に呼ばれた生徒たちの前に、重々しい空気の中で告げられたのは、驚くべき事実だった。


「レティシア・アーデン。あなたはマリエル・ノクターン嬢に対し、繰り返し悪質な嫌がらせ、妨害、そして──暗殺未遂に関与した容疑により、ここに断罪されます」


 ざわめきが広がる。

 その中心で、レティシアは顔色一つ変えなかった。


「……証拠など、あるはずがありませんわ」


 だが次の瞬間、ユリウスが差し出した魔導結晶により、事実の記録が浮かび上がる。

 証言、証拠、計画図。そして何より、セドリックの言葉。


「……姉さん、どうして……どうしてあんな、真っ直ぐな人を、傷つけようとするんだよ」


 弟の声に、さすがのレティシアも息を呑んだ。

 周囲の視線が、すでに彼女を“貴族令嬢”ではなく“加害者”として見つめていることに、ようやく気づく。


 しかし断罪の声が高まるなか、一部の生徒たちは、どこか釈然としない表情を浮かべていた。

 レティシアの罪は確かに重い。それに異論を挟む余地はない。

 けれど、その根にあった感情に、誰かが真正面から向き合ったことはあったのだろうか。


 ジークハルトは王族としての立場を盾にし、レティシアの想いから目を背け続けた。

 婚約という名の鎖を知りながらも、彼はマリエルへの好意を隠そうとせず、むしろ意図的に彼女を選び続けた。


 マリエルもまた、純粋ゆえに無自覚だった。

 身分の差を意識することなく王子に笑顔を向け、優しさを与え続けた。


 その行動は誰を責めたものではなかった。

 だが、レティシアにとっては、自分の存在を否定されるような日々だった。


 ──努力では、愛されないの?


 誰にも言えなかった、心の奥底の叫びがそこにあった。


 講堂に、威風堂々たる声が響く。現れたのは、アーデン公爵。レティシアの父であった。


「我が娘とはいえ、このような蛮行……断じて許すことはできぬ」

「お父様……!」

「もはやお前に、アーデンの名を名乗る資格はない。レティシア、お前は今日をもって勘当とする」


 膝から崩れ落ちた娘に、一瞥を与えるのみで、彼は無言のまま背を向けた。


 だがその場にいた誰もが、心のどこかで問いかけていた。


 本当に彼女だけが、悪だったのだろうか?


 ジークハルト王子は、心揺れる婚約者にどう向き合ったのか。

 マリエルは、無自覚なまま誰かの居場所を奪っていなかったか。

 誰かが、ほんの少しでもレティシアの痛みに気づいていれば、この結末は違っていたかもしれない。


「罪を償い、己の愚かさを知るがよい。我が名を辱めた報い、その身で受けるがいい」


 その日をもって、レティシア・アーデンは王立魔法学園を退学。

 爵位を剥奪され、家の庇護も失った彼女には、ただ一つの選択肢が突きつけられた。


 辺境の砂漠地帯への追放──


 それは、貴族社会において“死”と等しい意味を持つ処罰。

 政略の道具として磨かれた少女に、もはや救いの手を差し伸べる者はいなかった。


 最後に見たジークハルトの横顔には、確かに迷いがあった。

 だがそれは、もはやレティシアの知る優しき婚約者の面影ではなかった。


 ──愛されたかった。選ばれたかった。ただ、それだけだったのに。


 努力すれば報われると信じていた彼女が、その手で壊してしまったものの大きさに、ようやく気づいたときには、もう遅すぎた。


 講堂の片隅。

 マリエルはそっと涙を拭っていた。


「私は……こんな結末を、望んでなんか……」


 その肩に、そっと王子の手が添えられる。


「君のせいじゃない。……誰よりも、君が傷ついていた」


 マリエルは何も言わず、静かに頷いた。


 


 春が来る。


 けれど、そのぬくもりは、もう一人の少女には届かなかった。

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