闇に笑うもの
カイとレイが二体のヴァルゴイアを倒して駆けつけたのは、ちょうどティアが最後の一撃をヴァルゴイアに叩き込む、その瞬間だった。
「無事、倒したようだな」
銀髪をなびかせ、月明かりに照らされながらティアが立ち上がる。倒れた魔獣の巨体が地面を揺らすと同時に、カイとレイの胸にも安堵が広がった。
ティアはゆっくりと振り返り、ジークハルトとユリウスの方へ視線を向ける。
「お怪我は、ありませんか?」
再び静かに問いかけるが、返ってくる言葉はなかった。しかし、二人の様子から目立った外傷がないことを確認すると、ほっと息をつく。
だがその静けさを破ったのは、ジークハルトの冷たい言葉だった。
「魔獣を倒したくらいで……いい気になるなよ」
ユリウスも続ける。
「貴様がマリエル様にしたこと……あれは決して、許されるものではない!」
ティアは俯き、泣きそうな顔で、それでも微笑もうとした。
「……はい。承知しております」
その声は震えていた。だが、それでも静かに、彼らの怒りを受け止めようとしていた。
ジークハルトとユリウスの視線には、敗北の屈辱と、どこか嫉妬に似た感情が宿っていた。二人がかりでも倒せなかった魔獣を、ティアがたった一人で討ち取ったという事実。
「……化け物が」
その一言が、深くティアの心に突き刺さった。
──マリエル様のように、隙があって、守られるような人間だったら……良かったのかな……
完璧であることだけが、自分の居場所を得る手段だった。そう思い込んで、走り続けた日々が脳裏をよぎる。
そのときだった。頭上から、からかうような声が響いた。
「あっははは。君さぁ……助けてもらっておいて、その言い草はかっこ悪いだろ」
振り向けば、槍を持ったまま蹲踞の姿勢で屋根に腰を下ろすカイの姿があった。隣には、腕を組み、冷たい目でジークハルトとユリウスを見下ろすレイが立っている。
二人は軽やかに屋根から飛び降り、ティアのそばに着地する。
「カイ……レイ……」
泣きそうな表情のまま、力なく名を呼ぶティア。その姿に、二人の表情が一変した。しかし、それは一瞬のことだった。
「一人でヴァルゴイアを倒すとはな。……成長したな、ティア」
カイがぽん、とティアの頭を撫でて微笑む。
「最後の一撃、見事だったよ。まるで月下の舞だった」
レイの言葉に、ティアの瞳がわずかに潤む。
ジークハルトとユリウスは、彼らが以前大道芸のところで見かけた男たちだと気づき、すぐに察した。
「……君たちは、レティシアの仲間か?その女が何をしたか知らないのか?」
ジークハルトの問いに、カイとレイの視線がティアから彼へと移った。
「私はミレナ王国第二王子、ジークハルト・ヴァレンティアだ。知らぬというなら教えてやろう。そいつは罪人だ。お前たちに取り入ってなんとか生き延びたようだが、その女の本性は──」
そこまで言ったところで、カイがぴたりと言葉を遮った。
「……黙れ」
低く、鋭い声音。まるで刃のような言葉だった。
ジークハルトの言葉が、あまりにも深く胸に刺さり、ティアは前を向こうとしていた心を引き裂かれるように感じた。
──この人たちは、私が死ぬことでしか赦してくれないのだろうか……。
知らず、涙が頬を伝っていた。
その涙を、カイの手がそっと遮った。視界を覆って、ティアの頭部を胸元に抱き寄せる。
大丈夫だ──
言葉ではなく、背に伝わる温もりが、そう語りかけてくる。
ティアはカイの胸に身を委ねたまま、先ほどとは違う涙を零し、唇を引き結んだ。
「テメェ……いい加減にしろよ」
カイが殺気を孕んだ視線でジークハルトを睨みつける。まるで、今にも飛びかかりそうな気迫だった。
──やれやれ。こんな顔、ティアには見せられないな。
レイは呆れたように苦笑したが、止めようとはしなかった。その怒りもまた、理解できたからだ。
ジークハルトたちはカイの殺気に一歩退き、戸惑ったように言葉を返す。
「な、何なんだ……貴様らは……」
「俺たちは、ティアの同僚で、仲間だ!」
カイはきっぱりと答えた。そして続ける。
「……こいつを、これ以上傷つけたら……許さねぇ」
その目には、人を殺しかねないほどの冷たい怒りが宿っていた。
──まずいな。これ以上は国同士の問題になりかねない。
レイはそう悟り、すっと間に入ると、にこやかに言った。
「どうも、すみません。うちの利かん坊が……つい感情的になってしまって」
続けて、カイに小声で言う。
「気持ちはわかる。けど、落ち着け。カイ」
言葉に重なるように、わずかにカイの肩を叩く。単なる制止の意図ではない。それは、これ以上進めば破滅を招くという、無言の警告だった。
もしカイの正体がフォルセリアの王子だと知れれば、目の前の争いは二国間の火種へと変わる。知られなかったとしても、他国の王族を威嚇し、殺意を向けた事実は重大な外交問題となりかねない。不敬罪に問われ、最悪、彼自身がフォルセリアを窮地に追い込む危険もあるのだ。
カイは拳を握りしめ、ひとつ息を吐いて心を鎮めた。
そんな様子を、遥か上空から静かに見下ろす影があった。
闇夜に溶け込む漆黒の髪、魔族の証たる紅い瞳。年齢は少年と青年の狭間といった印象の青少年。
「へぇ……ヴァルゴイアを一人で倒す人間がいるなんてねぇ」
紅い瞳で眼下の様子を眺めながら、愉しげに口角を吊り上げる。
「楽しめそうなのはドワーフ王くらいかと思ってたけど……意外といるんだね、強いの。ああ、僕も混ざりたい!ねぇ、駄目なの?ラズフェルド様ぁ!」
声を弾ませるその青少年──スピナが、まるで駄々をこねる子供のように振り返る。
「スピナ。君には君の役目があるだろう?それに、あそこにいる三人は僕が先に目をつけていたんだ」
静かに現れたのは、黒の長髪とタレ目が印象的な男。高位魔族の証である魔紋が瞳に浮かび、その存在だけで空気を張り詰めさせる。
彼こそ、かつてティアたちの前に現れた魔族の一人。ラズフェルドだった。
「え~。でもさ、ドワーフ王と組まれたら面倒じゃないですか?今のうちにまとめてぶっ殺しといた方が、後々ラクだと思うんですよねぇ」
スピナは人差し指を顎に添え、飄々とした口調で言う。
「……あの三人に手を出したら、君を殺すよ」
先ほどまでの柔らかな表情が一変。
ラズフェルドの目が細くなり、刹那、鋭い殺気が周囲を包む。
「は、はいはい。わかりましたよぉ。てか、そんなに殺気出して大丈夫ですか?流石に気付かれるんじゃ──」
まるで他人事のようにスピナが肩をすくめる。
その余裕とは裏腹に、ラズフェルドの放った殺気は、一般の人間や獣であれば即座に逃げ出すほどの濃さだった。
ラズフェルドはスピナの言葉にハッとし、慌てて殺気を収める。
しかし、時すでに遅かった。以前、ティアの泉がある村で、僅かな気配もを察知したカイに殺気が感じ取れないわけがなかった。
微かな気配すら逃さぬ彼とレイは、わずか数秒の殺気を敏感に察知し、揃って上空を見上げた。
「ほらぁ。やっぱり」
スピナが面倒くさそうにため息をつく。
高空にいる彼らの姿を、地上の者が捉えることはできない。せいぜい、魔族か、数キロ先まで見通せる目を持つ獣くらいだろう。
「って、あれ?ラズフェルド様。あの女の髪って……」
スピナが何かを見咎めたように声を上げる。
その視線の先、地上を駆ける一団の中に、一際目を引く銀髪が月光を弾いていた。
「うん。恐らく、血を継ぐ者だろうね」
ラズフェルドは表情を崩さぬまま、静かにスピナの問いを肯定する。
「でも……あの種族って、とうの昔に滅んだって聞いてましたけど。それが人間と手を組んでるってのは、ちょっとまずくないですか?」
「今の人間たちは、あの種族の存在すら知らない。いや──正確には、知ることができないようにされたんだ。人間自身が、彼らを滅ぼし、歴史ごと抹消したからね。痕跡すら残さずに」
その言葉に、スピナは眼下を見下ろし、冷笑を浮かべる。
「ほんっとうに、人間って愚かですよね。自分たちの罪を忘れ、魔族に対抗し得る“仲間”の種族を滅ぼすなんて」
その声には、どこにも感情がなかった。
嘲りでもなく、怒りでもなく、ただ、無機質な冷たさだけが残っていた。
ラズフェルドが、ふと口元にわずかな笑みを浮かべた。
「皮肉なものだよね。こうして彼女が生きていられるのも、その種族が歴史から忘れ去られたおかげ、というわけだ」
スピナは短く鼻を鳴らし、小さく息を吐く。
そして、興味を失ったかのように話題を切り替えた。
「さて……そろそろ、ドワーフの精鋭たちも動き出す頃ですよね?予定通り、ヤツを呼んでもいいですか?」
その言葉の先にあるものを想像したかのように、スピナの唇が愉悦に歪む。
「まぁ……大勢、死ぬでしょうけど。あの三人ですら、まともにやり合えるかどうか──」
夜の静寂を破るように、スピナが心の底から楽しげに笑った。
その笑いは、まるで災厄の到来を告げる予鈴のように、暗闇の中に不吉に響いた。
「ああ。問題ないよ。魔獣一体に屠られる程度の者なら、いずれにせよ魔族と戦うに値しない」
ラズフェルドは静かに、しかし断言するように言葉を返す。
その声には、情けも躊躇もなかった。
「ただし、君が直接手を下していいのは、あくまでドワーフ王だけだ。それと、スピナ。目的を見失わないように」
「はいはい、分かってますよぉ。ちゃんと……やりますって」
スピナはニヤリと笑い、悪戯を仕掛ける子供のように軽く手を振った。
その瞳の奥には、期待と好奇、そして破壊への渇望が確かに燃えていた。




