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別れと始まり

 巨躯が沈む音が静寂を破ったその瞬間、張り詰めていた空気が、ふと緩む。


 カイは、槍の柄を杖のように突いて立っていた。

 深く、荒く、肺の奥から空気を吐き出す。


「っはぁ~……」


 だが、もう身体が限界だった。足がもつれ、前に倒れかける。


「っと……!」


 咄嗟に駆けつけたグラドが、その身体を支える。カイの腕を背中に回し、しっかりと受け止める。


「よくやった、カイ……!お前、ほんとに勝ったんだな!」


 グラドの隣には、ゼルクとライガが駆けつけていた。カイの傷だらけの姿に、二人とも目を見張る。


「まさか、あのバルザを倒すなんて!」

「信じらんねぇ。でも……本当に、勝ったんだな!」


 獣人たちが顔を見合わせたあと、感情を抑えきれないように吠えた。


「うおおおおぉっ!!カイ、よくやったぁ!!」


 その声に、カイの唇がふっと綻ぶ。


「……あんたらの仲間の仇……ちゃんと、とってやったぜ……!」


 グラドの腕に体を預けたまま、カイはにやりと笑った。

 血と汗にまみれたその顔に、確かな光が宿っていた。


 カイはすぐに顔を上げ、声を上げた。


「ティアとルゥナはどうなった!?」


 カイの脳裏に、戦いの直前に見たティアとノワールの交戦がよみがえる。

 仲間の安否を思い出し、顔を上げる。


 と、その時。


「カイーっ!!」


 叫び声が響いた。

 少し離れた場所、ティア、レイ、ルゥナの三人の姿が見えた。ルゥナの両親が付き添い、彼女たちの肩を支えている。

 ふたりとも、満身創痍。髪は乱れ、服は焼け焦げ、血と煤にまみれていた。


「勝ったのね、カイ!」


 駆け寄ってきたティアが、涙を滲ませながらそう言う。


「そっちも……無事で、よかった……」


 カイは、思わず目を細めた。

 どれだけの不安と恐怖の中で、彼女たちがこの戦いを乗り越えたのか。その姿だけで、すべてが伝わる。


 ルゥナが、ぽろぽろと涙を流しながらカイの前に立つ。


「ありがとう……ありがとう……本当に……っ!」


 その小さな体から溢れ出す感情は、言葉以上のものを物語っていた。

 ルゥナの両親もまた、静かに、深く頭を下げる。


「……ルゥナを守ってくれて……感謝してもしきれません……」


 仲間たちは勝利の余韻に浸りながらも、互いの無事を喜び、束の間の平穏を噛みしめる。


 だが、まだ終わりではない。


「あとは、奴隷商の屋敷に忍び込んで、首輪の鍵を見つけて、仲間たちを逃がすだけだ」


 ゼルクが険しい顔で言うと、ライガがすぐさま頷く。

 だが、その言葉に、ルゥナの父がそっと首を振った。


「……もう、それ以上は必要ありません」

「……え?」


 ルゥナが小さく息を呑む。


「私たちは、ここで終わりにします。これ以上、あなたたちを危険に巻き込むわけにはいかないのです」


 母は、優しくルゥナの髪を撫でながら言った。


「屋敷には、まだ護衛や雇われた戦士たちが残っています。あなたたちまで“犯罪者”の烙印を押されるわけにはいきません」

「そ、そんな……!」


 ルゥナの顔がくしゃりと歪む。必死に叫んだ。


「一緒に逃げようよ!みんなで、自由になろうよっ!!」


 しかし──


「ルゥナ。私たちの希望。あなたには……何者にも縛られず、生きてほしいのです」


 母は、そっとルゥナの額に口付けた。


「生きてさえいれば、またいつか会える。だから──行きなさい」


 父の声は、穏やかで、それでいて揺るぎなかった。


「お願いです。ルゥナを……どうか、頼みます」


 両親は、ティアやカイたちに向かって、深く、深く頭を下げた。


「いやだ……やぁだぁあああああっ!!」


 ルゥナが母親に抱きついて泣き叫んだ。涙で濡れた頬をくしゃくしゃにし、駄々をこねるその姿は、どうしようもないほど子どもらしく、そして切実だった。


「いっしょにいるって言ったじゃないっ……!また離れるなんてやだっ……!!」

「ルゥナ……」


 母はその小さな身体をそっと抱きしめる。

 父は、何度も言葉を飲み込みながらも、やがて静かに語りかけた。


「ルゥナ……私たちは、もともと“戦闘種族”だった。戦い、傷つけ合い、自分たちの手で、仲間の数を減らしてきた……。だからこそ──」


 彼は一瞬、言葉を切り、娘の瞳をまっすぐ見つめた。


「……お前には逃げてほしい。一族の希望として、生き延びてほしいんだ」

「うそつき……っ!一緒に逃げようって言ったじゃん!!やだよ!パパとママと一緒にいる!!」


 ルゥナが声を震わせて叫ぶ。張り詰めた声に、感情がにじむ。


「ルゥナ……お願いだ。お前が笑って、空を見上げて、自由に、どこへでも行ける人生を歩んでくれたら……。それだけで、私たちは救われる。……それが、私たちにとって、一番の希望なんだよ」


 言葉の一つ一つが、静かに胸に刺さる。

 そのとき、ティアがそっとルゥナの肩に手を置いた。


「ルゥナ、私たちと一緒に行こう。あなたを一人になんてしない。だから……信じて」


 ルゥナは、堰を切ったようにティアの胸に顔をうずめる。

 細い肩が震えていた。声にならない嗚咽が、空気を揺らす。

 そして両親は、もう一度深く、静かに頭を下げた。


「……どうか、娘を託します」


 ──その時だった。


 突如として、空気が凍りついた。


 倒れていたバルザとノワールの身体が、漆黒の炎に包まれる。炎は柱となり、空高く立ち昇った。


「な、なに……!?」


 その異様な光景に、全員が動きを止めた。

 空間が揺れる。


 そして、上空に二人の影が現れた。


 まるで兄弟のように顔立ちの似た二人の男。長く流れる黒髪、紅い瞳の中には、高位魔族の証たる魔紋が浮かんでいた。だが、雰囲気はまったく異なる。


 一人は鋭い眉を吊り上げた威圧的な男。見る者すべてを黙らせるような、冷たく峻厳な空気をまとっている。

 もう一人は、穏やかな微笑みを湛えながら、怖そうな男の肩にもたれかかるように立つ。しなやかな立ち姿と、どこか気だるげなタレ目が印象的だった。


 凄まじい“圧”が辺りを覆う。

 遠くにいるはずの存在から、まるで刃のような魔力が突き刺さる。皮膚が焼けるような感覚に、空気が震え、空すら軋むようだった。


 獣人たちは息を呑み、カイたちも本能的に身構える。


 タレ目の男が、ふとカイたちに目を向けた。

 その視線だけで、心臓が掴まれるような錯覚が走る。


「おや……あれは、ヴァルゴイアを倒した人間か……」


 彼は面白そうに目を細める。

 その視線の先では、ノワールとバルザが、黒炎に呑まれ、静かに崩れていく。


「それにしても……僕らを倒し得る“武器”を持った者が、ただの人間に負けるとはねェ。皮肉な話だ」


 楽しげに微笑みながら、淡々と語るその様子に、血が冷える。


「──持ち主が弱かった。ただそれだけだ」


 隣に立つ男が冷たく言い捨てる。

 吊り上がった眉と鋭利な眼差し。感情の見えない声が、場の空気をさらに凍らせる。


 タレ目の男が、つまらなそうに目を伏せた。


「君は……ほんと、変わらないねぇ」


 揺るがぬ“静”と“狂気の穏やかさ”が並び立つ異様な光景に、カイが叫んだ。


「お前ら……何者だッ!?」


 ティアも、呆然としたまま声を震わせる。


「あれは……間違いない、魔族……!」


 肌に突き刺さる魔力の刃。名も知らぬその存在に、全員が恐怖を覚える。


 だが、カイは足元の力を振り絞って立ち上がった。満身創痍の身体を無理やり支え、槍を構える。

 ティア、レイ、ゼルク、ライガ、グラドたちも、痛む身体を奮い立たせて構えた。


 ……しかし。


 厳しい顔つきの男は一瞥すらしなかった。


「貴様らに用は無い」


 男が、指をひとつ、ほんの少しだけ動かす。


 それだけで、バルザの黒鎧とノワールの銃が、音もなく空を裂いて飛来し、まるで見えない糸に引かれるように男の元へと吸い寄せられた。


 男が、その指先でそっと武器に触れた、その刹那。

 ガラガラと音を立てて、鎧も銃も、まるで砂のように崩れ落ちた。


「……これで、“俺たちに届きうる武器”は二つ、壊した」


 その声だけが、場に残響のように響いた。

 二人の魔族が、同時にティアを見た。

 タレ目の男が微笑み、厳しい男はわずかに目を細める。


 一瞬の静寂。


「行くぞ」


 厳しい男が静かに告げると、タレ目の男がにこりと笑い、小さく手を振る。


「バイバイ。……また、ね?」


 次の瞬間。

 二人の魔族は、黒の火柱とともに掻き消えた。

 圧し掛かっていた魔力が、まるで嘘だったかのように、一気に霧散する。


「っは……っはぁ……」


 誰かが、息を吐いた。


 カイたちは、その場に崩れ落ちるように座り込み、荒い呼吸を繰り返す。

 まるで、呼吸することすら忘れていたかのように。


 そして──


「……っ……!」


 限界を越えていた身体が、ようやく安堵に支配された瞬間。

 カイは、膝を折り、そのまま意識を手放した。


 ──あのふたりは、何だったのだろう。


 圧倒的な力を見せつけ、何の未練もなく去っていった異形の存在。

 誰もが、その“正体”に言葉を失ったまま、ただ、静かにその場に立ち尽くしていた。


 そのとき。町の方から、複数の気配がこちらへと迫ってくるのを感じ取った。

 足音と気配の数からして、逃げ延びた賊が仲間を連れて戻ってきたのだと、面々は直感した。


「ここは私たちに任せてください」

「あなた方は、すぐにこの場を離れて」


 ルゥナの両親が、真剣な眼差しで告げた。


「しかし──」


 言い募ろうとするゼルクたちに、父が重ねて言う。


「バルザたちは“魔族に滅ぼされた”ことにします。そして、ルゥナは……魔族に連れ去られたということに」


 ルゥナの父は、覚悟を込めた声で続けた。


「私たちのことは心配しないでください。私たちや村の仲間たちの願いはただ一つ。雪豹族最後の子供であり、希望でもあるこの子が、自分の意思で自由に生きること。未来を紡ぐことです」

「ママ! パパ!」


 ルゥナが泣きながら叫ぶ。


「早く行きなさい、ルゥナ!!」


 母の叱責が、涙声で響いた。


「ルゥナが自立できるようになるまで、何があっても守ってみせます」


 ティアが涙を堪えながら言うと、ルゥナの両親はそっと目を細め、涙を浮かべて深く頭を下げた。


 ティアとレイは、獣化したゼルクとライガの背に跨り、気を失ったカイをグラドが背負う。

 ルゥナは、振り返りながらも必死に涙を堪え、名残惜しげに両親を見つめつつ、獣化して森へと駆け出した。


 草原に、ルゥナの両親だけが残った。


「ルゥナ……どうか、健やかに、幸せになってね……」


 母は、遠ざかる娘の背に手を伸ばすようにして、涙を流しながら呟いた。

 父がその肩に手を添え、そっと寄り添う。


「生きてさえいれば、この空の下……私たちは、いつまでも繋がっているよ」


 その言葉に、母は小さく頷き、涙を拭った。


 そして次の瞬間、ふたりは顔つきを引き締め、迫り来る賊たちを迎えるため、静かに立ち上がる。

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