第6章:天界のクレス様
それから本当に二時間かかった。
俺の体力は、すでに限界を超えていた。
あたりまえだ、つい半日前ほどに魔法が使えるようになったんだ。レベルで言ってみれば、せいぜい二か三程度だな。この我慢大会で、MPだけはかなり上がったような気がする。
そして、必死の思いで飛び続けた俺に、とうとうゴールが迫ってきた。
その目に、飛び込んできたのは。
「……」
天界っていうのは、やっぱり俺たちが想像するような天国みたいなものなんだな。
なんていうか、言葉に表せないくらい、神々しい。
凱旋門を数億倍大きくしたような煌びやかな門がまず立ちはだかり、その周囲には、ミケランジェロのダビデ像を、やっぱり数億倍したような像が並ぶ。どこからともなくゴスペルが聞こえてきたり、あちこちに小さな天使たちが飛び交ったりしている。
死んでしまったと錯覚してしまうほど、そこは確かに天国だった。
俺たちは荘厳な門をくぐり、シンデレラ城のような城へ到着した。
「さあ、まずはクレス様に挨拶するわよ。言っとくけど、『くれぐれ』も粗相のないように」
大の高校生である俺様が粗相をするように見えるかよ。わざわざカッコ書きで強調しなくても分かってるっつうの。
というのは俺の心の声であるが。
「なあ、クレス様っていうのが一番偉い人か?」
「一番っていうか、私たちクラジスの中では全てを掌握しておられる方ね。天界全土は、また違う方が支配してるのよ」
「ふーん。クラジスって、何だ?」
「あんたは何も気にしなくていいのよ。とりあえず、こっちに来て」
そういって、奏は長くだだっ広い城の回廊を先導する。
全く、ここは何でもかんでもデカすぎる。俺が縮んでしまったように思う程だ。
「ここよ」
奏が歩みを止めたのは、どうやって開ければよいか分からないくらいのでかい扉の前。俺たちの遥か上空、ビルで言えば十階ぐらいの位置に、申しわけなさそうに二対の取っ手がつけられていた。
あれ、絶対に意味ないな。
「クレス=コンダクト様、光の守護、奏、只今戻りました」
「よくぞ無事で。お入りなさい」
どこからとも無く女性の声が木霊し、バカでかい扉がゆっくりと開いた。
これもやっぱり魔法の力なんだろう。開いた扉の先には、自動的に真っ赤な繊毛がくるくると敷かれた。
繊毛の遥か先、霞がかって見えにくいが、そこにやっと、人と思しき姿を捉えた。
前言撤回、これは人ではなかった。
まず、目を引くのは、背中に携えている大きな銀の羽。それは一枚一枚が光り輝いており、宝石のように美しいものであった。そして、よく絵とかで見る聖母マリア様のような衣装。それらは、絶妙なバランスで着ている者を映えさせた。髪は長く、少しウエーブのかかっている金髪。瞳は吸い込まれるほど青い。こんな、彫刻のように美しい者が、人である筈がなかった。
「お疲れ様です、奏。少々帰還が遅かったようですね」
「申し訳ございません。只今からその原因をお話したいのですが……」
そういって、奏は俺に振り返り、「前へ出ろ」という合図を送ってきた。
まじかよ、こんな神様の前で、俺、挨拶するのかよ……。
「ああ、この方が例の『人間』なのですね」
「……、いっ!!」
俺が気脅されて沈黙していると、奏が横から肘鉄を食らわしてきた。
ほんとに、容赦ないよな……。
「お、俺は志稀と言います。なんの変哲もない、ただの平凡な高校生です……」
「ふふっ、気配からして、その言葉に偽りは無いようですね。全くもって、普通の人間のようです」
「そうなんですよ、クレス様。シキは、どこからどう見てもただの凡人なんですけれど」
凡人となると、嫌な響きになるのは何故だろう。
「私も全く検討がつきませんので、こうして天界へ連れて来たのです。クレス様なら、何かお分かりになるだろうと思って」
うーん、と神様が唸られる。
「申しわけございません。私はこの世界に生を受けて、幾年もなりますが、このように私たちを認識できる人間の方を見たのは、これが初めてです」
「えええっ! クレス様も初めてなんですか!!?」
やっぱり、神様なんだから寿命は長いんだろうな。こんなに綺麗な人だけど、何歳なんだろう。
そんな邪推を見抜かれたのか、俺はクレス様の笑顔の中で険悪なオーラを感じた。
「私たちと人間とは、本来交わることのない『均衡の種族』です。聖と魔、どちらにも属さない中立の属性。そのような方が、何故私たちを認識でき、更にウィスメントまで使用できるのか。これは、少し調べないと分かりませんね」
「はぁ……」
天界のお偉い方も分からないとな。
俺って、一体何なんだ……!?
本当に、突然変異で力を持ったとしか、思えない。
「仕方ありません。シキさんには申し訳ないですが、少し、試させていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、試す? 何を? 俺を??」
いきなりテストみたいなことを言われて、明らかに動揺する俺。学生の性かもしれないが、抜き打ちテストの類は敏感に反応してしまう。
「大丈夫、そんなに難しいことではございません。ちょっと、あなたの力を見させていただきたいのです」
「は、はぁ……」
何だ、この展開は。
よく分からんが、どんどんすごいシナリオになっていくではないか。何もしていないのにストーリーが進んでいくのは、典型的にクソゲーの部類だぞ。
ああ、夢ならもうそろそろ覚めてくれないと、俺、本気でゲームの主人公だよ……。
「簡単なことです。今から、擬似的に魔物を召喚いたしますので、シキさんはそれを倒してください」
「え、えええっ!!? そんなに簡単に簡単なことなんて言いますけど、全然簡単なことじゃないですよ!!」
……別に狙ったわけではない。それだけ動揺していたんだ。
もう一度整理してみよう、俺はただの平凡な高校生だ。
それをだ、いきなり「魔物を倒してください」だ。
RPGの主人公たちは、ボスと戦う前に十分経験を積むだろう。
雑魚敵と数十回数百回、嫌というほど肩慣らしをして、力がついたらボスに挑むのだ。
しかもそれは、リセットが効く。
それがだ、俺の場合はどうだ。
実戦はあの、狼野郎との戦いただ一回のみ。
しかも、あの時勝てたのもまぐれ当たりな可能性が高い。
そんな、ゆとり教育真っ只中な高校生に、魔物を倒せと神様は言う。
この状況が理不尽極まりないことだということを、少しでも分かっていただけたら俺も報われることだろう。
「で、あんたの言い訳タイムは終わった?そろそろ始めたいんだけど」
ううむ、俺の心の声が聞こえているのだろうか。
全く、こうなりゃ当たって砕け散ろう。神様もその方が、手っ取り早く俺を元の世界へ返してくれることだろう。
俺は覚悟を決めて、奏からもらった杖を握り締めた。
「では、了承していただけるのですね」
「ええ、まぁ、とりあえず。負けても、死にませんよね……?」
一応聞いておく。
神様はにっこりと笑って、こう言った。
「はい、死にはしませんけど、魂は消えてしまいますのでご注意を」
って。
おんなじことじゃねぇの……?