第3章:チュートリアルはありません。
少女は白い羽をいっぱいに広げ、空高く舞い上がる。狼モンスターはそれを追いかけるように、自分も空中に駆け上がった。少女の手には、銀色に輝く切っ先を持つ、長く鋭い槍があった。
「こっちにだって用事ってものがあるのよ! ちゃっちゃと終わらせてもらうからね!」
と、言うが早いか、少女は矛先を既にモンスターに向け、攻撃を仕掛けていた。あまりのスピードに、少女が瞬間移動したのかと思えるぐらいだった。鈍い咆哮とどす黒いガスが、モンスターから噴出する。
あっけなくそれは倒されたと思いきや、いつの間に仲間を呼んだか、辺りには同じような輩が空中にいくつも浮かんでいた。少女はためらいもなく次々と槍を駆使していく。少女の飛び回る空には、白い羽が雪のように舞う。銀の煌きと白い羽の中、それはまさに「天使」の姿であった。
「ちょっと! 何よそ見してるの!? 前、まえっ!!」
少女の甲高い声に、俺はやっと現実に戻ってきた。と同時に、すぐに目の前の状況に思考回路が止まってしまった。
「な、……!!?」
俺の目の前には、狼が群れを成して獲物を取り囲むが如く、どこを見渡しても回避ポイントが見当たらないぐらい、まぁ簡単に言えば物凄い数の狼が、「いつでも襲えますぜ」って言わんばかりにうろうろしていた。
こういう時、捕食される側は何も考えないんだろうな。というか、考えられないのだろう。君達も実際に体験してみればよく分かる。一度、このような状況になってみることをお勧めするよ。
だから俺も自然の摂理というか、本能というか、そういった感じで行動するしかなかった。
それでこの行動かよ、と皆様方は思うかもしれない。
いや、人間ってイザって言う時にはこんなもんなんだって。
前置きが長くなったが、そういうつもりで俺は行動したので、心して聞かれるがよい。
俺は、手にした杖を空高々に掲げ、モーセが海を割るが如く、こう叫んだ。
「燃え盛る紅蓮の炎よ、彼の者を焼き尽くせ!! ファイア!!!」
さて問題、この後どうなったでしょう?
1 声は虚しく響き渡るが、その潔さと吹っ切れた感が狼に精神的大ダメージを与え、一団は退散した。
2 変質者がいることを一般ピープルにより通報され、赤いサイレンによって狼とともに御用。
3 夢か幻か、大魔法使いデビューを果たしモンスターを一掃した。
で、本編は一応ファンタジーであるからして、ここから夢と冒険の世界に強引に引っぱっていきたいと思うのだが、皆様くれぐれも振り落とされずについて来て頂きたい。
ということで、俺の詠唱とともに杖は発光し、画面でしか見たことなかった光景が、俺の目の前で鮮やかに繰り広げられた。
気がつけば、そこいらじゅうに居やがった狼たちも、跡形もなく消えうせていた。
バックミュージックで戦闘終了音楽が流れていそうな雰囲気の中、俺はただただ立ち尽くすしかなかった。
「……、さすがに使えるとは思わなかったわね……」
羽少女も上空の敵を蹴散らしたのか、俺の前にふわりと下りてきた。手にはもう、先程の鋭い槍は見当たらなかった。よく見ると、背中に背負っていた羽まで消えうせている。
「ねえ、あんた何者……?」
そんなことこっちが聞きたい、という言葉も、今までの衝撃的なできごとによりうまく話せなかった。というか、今現在も、俺は夢を見ているのではないかと感じるようになってきた。ああそうだ、これは夢なんだ。家に帰って昼寝でもしてたら、ゲームのやりすぎでこんなありえねえ夢を見ちまってるんだ。夢だゆめだ、悪い夢なら早く覚めてくれ……こうやって思いっきり目を閉じて、さあ、ゆっくりと目を開くとそこは……
「現実逃避中悪いんだけどさ、こっちも急いでるんだけれども」
やっぱり無理か、無理なのかよこんちくしょう。
「ってことで、あたしだって信じたくないけれど、あんたがあたしの姿を認識できて、その杖を使えて、さっきの野郎どもを倒したってコトは全て事実だっていうことよ。いい?」
「は、はぁ……」
羽少女はいらない厄介者を偶然にも拾ってしまったという、こちら側にも一瞬でわかる明らかな不快顔で、「心底」ため息をつく。俺だって、こんなパラレルワールドになんか、かかわりたくない。
「で、どうしようか」
「え……?」
いやいや俺に聞かれても……
「全く、近頃の若い男子ってもんは、主体性がないんじゃないの? 曖昧に穏便に愛想笑い浮かべてたらいいってもんじゃないわよ全く」
「……」
今この非日常的展開で適応できる人間なんて、そうそう居ないと思うんですが。
まぁ俺も「近頃の若い男子」真っ盛りであるからして、そのような心の意見を口に出すことはできませんが。
俺がそのまま黙っていると、羽少女はさもめんどくさそうに言った。
「仕方ない。あんた、連れて行くわ」
「…どこに?」
決まってるじゃない、とでも言いたげな顔で、羽少女は続ける。
「天界」
「……」
この言葉で、俺の平穏な日常は完全に姿を消した。