第11章:再戦
「……」
鏡を見ることができたのなら、俺は口を開けた状態で、何ともバカな表情をしていたんだと思う。
声は全く出なかった。できれば叫んで今の非常事態をアピールしたかったのだが、それはできなかった。
俺の目の前には、あいつがいた。
華麗なる魔法使いデビューを果たしたきっかけとなった、あの獣野郎が。
再び相まみえるとは思わなかった。
奴は、初めて出会ったときと同じく、血に飢えた形相でこちらを睨んでいる。
しかしこの状況、俺は圧倒的に不利ではないのか?
そう、今この場には魔物を成敗する黄門様、奏がいらっしゃらないのだ。
こんなときに、以前と同様仲間を呼ばれたりなんてしたら、俺一人で勝てる確率なんて銀行の利息より低くなりそうだ。
俺は奏を探すために、周りの様子をうかがった。
さっき飛び去って行ったばかりだが、もしかすると気配を感じて戻ってきてくれているかもしれない。
魔物が現れた瞬間は、地上の人々の時間は止まってしまうようだ。俺もその中に混じりたい。
動きを止めている人たちをかいくぐり、視線をさまよわせるが、
奏は……いない。
「っ!! 仕方ない、やってやろうじゃないか!!」
奏が戻ってくるのを待っている時間はない。こうやってじっとしていてもこちらがやられるだけだ。それなら先手必勝、やったもん勝ち。アドバンテージをとって、時間稼ぎをする戦法に俺は一縷の望みをかけた。
「燃え盛る、紅蓮の炎よ……」
と、俺は詠唱を始めた、しかし。
「ガルルッ!」
あろうことか獣野郎の方が先に、はぐれ○タルもびっくりするくらいの俊敏な動きで俺を攻撃してきやがった。
「!!」
間一髪、俺は転がり込んで攻撃を回避した。
くそう、魔物には空気を読むということができないのか?ここは俺がかっこよく魔法を決める場面だろう。子供向けアニメでもヒーローの変身途中で攻撃するなんてことはないだろうに。卑怯な手法を純粋な子供に見せるなと、世の中のPTAが抗議にくるぞ。
とか何とかくだらないことを考える余裕はもちろんなかったのだが、俺はやっとのことで体制を建て直し、再び詠唱に入ろうとする、が。
「グアアアアッ!!」
「うわあっ!!」
獣野郎は尚も攻撃の手をやめない。本当にこいつ、何も分かっていない奴だ。このままでは、こちらが詠唱する時間が無い。
「くそっ!!」
俺はただただ攻撃を避けるばかり。
たまに受ける傷口からは、鮮血が流れる。土埃が舞い上がり、そこらへんに転がっている石で手足を切る。防戦一方と言いながらも、俺には確実にダメージが蓄積されていく。空気の読めない狼野郎は、余裕 綽々といったところか、後足で耳の裏らへんを掻いていた。
これはかなりピンチである。「その後、彼らの姿を見ることはなかった──」なんてテロップが出現しそうな雰囲気だ。こんな序盤で主人公が負けるなんて、ありえない展開だ。しかし、以前も言ったが、俺の人生にはリセットがきかないんだぞ?この命が途絶えれば、俺のぼうけんのしょは永遠に消え去ってしまうんだぞ?
そもそも、こんな時のために居る天使様は、今頃どこにいるんだよっ!!
俺は、耐えきれず、天を仰いだ。
聞こえるとか、聞こえないとか、そんなこと考えていなかった。
赤子が何かを訴えるとき、大声を上げて泣くのと同じように、声を張り上げて、一心にただ叫んだ。
「かなでーーーっ!! 助けてくれぇーーーーっ!!!」
まったく……呼ぶのが遅いのよ!!
気がつくと、街の喧騒が元に戻っていた。
人々は、数十分前と同じように、のんびりとした土曜を過ごしていた。
俺は気を失っていたようだ。ベンチに横たわっていた体を起こす。目の前には、奏が居た。
「か、奏……」
「魔物は倒した。あんた、私を呼ぶなら呼ぶでもっと早くしなさいよ。死にかけだったじゃないの。」
俺の体には、幾重にも包帯が巻かれていた。所々とれかけていたり、絡まっていたりするのを見ると、不器用な手つきで作業する天使様の様子が目に浮かんだ。
「シキがあたしのことを強く思ってくれれば、どこに居てもあたしはシキのところに駆けつけることができる。先に言わなかったこっちの方が悪いけど、今度からもっと早く呼んでよね」
「……」
理不尽な天使様は、そう言って俺の隣に座った。あれだけ俺が苦戦した魔物を、奏はいとも簡単に倒したのだろう。制服は今日出かける前に見た時と同じ状態で、少しも乱れている様子はなかった。(包帯の糸くずが何ヶ所かにくっついていたことについては、彼女の名誉のために伏せておこうと思う)
そう言えば、用事は終わったのだろうか。とりあえず聞いてみる。
「あ、う、うん。まあ一応」
これ以上の質問は、奏から発する「聞くな」オーラを俺は敏感に察したので、深くつっこまないことにする。
まぁ、とにかく。
俺は一命を取り留めたということだ。
安心したのと、これまでの疲労とが重なって、俺は一気に脱力した。
「……ありがとな」
だらりと腕を預けた姿勢のまま、聞こえないくらいのかすれた声で俺は言った。
奏は、何も言わずに立ち上がり、既に暗くなった空を見上げていた。
街の光で星は見えないはずなのに、きらりと光が瞬いた、気がした。
「やっぱり、シキを狙ってきたわね」
日曜日。
九死に一生を得た戦いを終えて、俺たちは家に帰ってきた。
その日はさすがに疲れ果てていたので、俺は家に着くなり即行布団に突っ伏した。横で奏が「腹減った」のだの何だの言っていた気がするが、記憶が定かではない。起きて早々頭が割れるように痛かったので、多分何か騒いでいたのは事実だろうと思う。
で、今に至る訳だが。
奏は起きてから、ずっと険しい表情でぶつぶつ何かを呟いている。俺が昨日飯を与えなかったことを根に持っているのだろうか。
「本来ならばクラジスを狙ってくるはず。なのに真っ先にシキに向かうなんて、どういうこと?」
「あ、あの、奏?」
一人脳内会議を続けている彼女に、一応声をかけてみたのだがあえなく撃沈。
ふん、いいさいいさ、どうせ俺は奏にとっちゃあ、足手まといのよく分からん一介の人間なんだ。高尚な天使様とお近づきになろうなんて、百万年早いってことよ。
『はぁ……』
俺たちは互いにため息をついた。