第5話 漆黒のドラゴン
「うわああああ助けてくれえええ!」
先程逃げて行った若い盗賊たちが悲鳴を上げながらこちらに駆け戻ってきた。
「グワオオオオオン!」
そしてその後ろからは大地を揺るがす咆哮と共に漆黒の鱗を持ったドラゴンが巨大な翼をはためかせながら空から追いかけてくる。
見ればそのドラゴンの腹部は全身を覆う漆黒とは対象的に白く輝いており、禍々しくも美しさすら感じる程だ。
俺は我が目を疑った。
こいつは漆黒龍だ。
ドラゴンの中でも特に縄張り意識が強く好戦的で、その姿を見て生きて帰った者はほとんどいないという恐ろしい奴だ。
「親分助けて!」
「馬鹿野郎、こっちに逃げて来るな! あっちへ行け!」
忽ち盗賊たちはパニックに陥った。
あちらこちらで盗賊たちの悲鳴が響き渡る。
こうなってはもう運任せで分散して四方へ逃げるしかない。
運が良ければここから逃げ伸びる事ができるだろう。
自分が逃げた方向にドラゴンが追ってきたら運が悪かったと諦めるしかない。
「お前ら落ちつけ! 慌てる事はない」
この状況で毅然と声を上げたのはゴンザレスだった。
彼に何か考えがあるのか、今まさにこの場から逃げ出そうとしていた俺も足を止めてゴンザレスの次の言葉を待つ。
「いいかお前ら、今ここには歩く天変地異と言われたルカの旦那がいるだろうが!」
「え? 俺?」
「ルカの旦那ならあんなドラゴンなんて一捻りですよね? 一発でかいのをかましてやって下せえ」
「いや、さすがにドラゴンは……」
「旦那、来やしたぜ!」
一瞬足を止めたのが失敗だった。
ゴンザレスの話なんか聞かずに一目散に逃げればよかった。
僅か一瞬の逃げるタイミングを失った俺に向かって漆黒龍が一直線に飛んできた。
盗賊たちは蜘蛛の子を散らすように漆黒龍から距離を取り、相対する俺と漆黒龍の様子を遠巻きに眺める。
「グルルルル……」
漆黒龍は低いうなり声を上げた後俺に向けてゆっくりと大口を開けた。
次の瞬間全てを焼き尽くす灼熱のブレスが俺に向かって吐き出されるだろう。
もし俺に魔法が使えれば氷の魔法である程度相殺出来たかもしれないが、今の俺は人化の魔法しか使えない。
防御手段は何もない。
詰んだ。
死を悟った瞬間から俺の脳内に今までの人生が走馬灯のように流れてきた。
初めて冒険者として依頼を達成した時のこと。
魔法の腕を買われ、当時から有力だった冒険者パーティー【サンブライト】に誘われた日のこと。
ギルドに活躍が認められSランクの冒険者に昇格した日のこと。
そして人化魔法の魔道書に呪われて他の魔法が使えなくなったついこの前のこと。
どれもまるで昨日の出来事の様に鮮明に思い出される。
一説によれば走馬灯とは死に瀕した時に過去の記憶からその状況を打開する方法を見つけ出す為に見るラストチャンスの夢だという。
しかし今の記憶の中にこの状況を打開する方法なんてどこにも……
「ん? ちょっと待てよ」
ひとつ思いついた。
もしかしたら何とかなるかもしれない。
俺の考え通りならこの場を凌ぐことができるはずだが、もし俺の思い通りの結果にならなかったら本当に終わりだ。
俺の身体は漆黒龍の灼熱のブレスによって焼きつくされるだろう。
だが他に手はない。
俺は「ええいままよ」と今まさに灼熱のブレスを吐きださんとしているドラゴンに向けて杖をかざし魔力を放った。
刹那、杖の先から閃光が走り目の前が見えなくなる。
「くっ、どうなった!?」
まだ目は見えないがどうやら俺はまだ生きているらしい。
「上手くいった……のか?」
やがて目が慣れてくると俺の前に立っていたのは黒髪を靡かせ白いワンピースを着たひとりの少女だった。
成功だ。
「ふう……」
極度の緊張から俺は全身から力が抜けてその場にしゃがみこんだ。
一か八かの賭けだったがどうやら人化の魔法は自分自身だけでなく対象を選ぶことができるようだ。
人化の魔法によって人の姿になった漆黒龍は灼熱のブレスを吐くことができず、状況がつかめないといった様子で辺りをきょろきょろしている。
「おお、さすがルカの旦那だ。ドラゴンもこうなっちまえばもう怖くねえな。野郎どもやっちまいな!」
人化したことで漆黒龍が無力化したことを理解した途端にゴンザレスたちが手の平を返したように一斉に元漆黒龍だった少女に襲いかかった。
「何をするの、離して!」
「そうはいかねえぜ。今までの借りを返させて貰うぜ。げへへへ」
盗賊たちは抵抗する少女を力ずくで押さえつける。
その絵面はどう見ても事案以外の何物でもなくとても見るに堪えないものだ。
漆黒龍だって悪意があって俺たちを襲った訳ではないだろう。
勝手に縄張りに足を踏み入れた盗賊たちにも非はあるし、それに考えてみれば俺がこの盗賊たちと仲良くする理由なんてどこにもなかった。
少し懲らしめてやらないといけないな。
元々人化魔法は魔族が人類を唆す為に作り出した魔法だ。
逆に人化させたものを元の姿に戻すこともできるはず。
今ここで少女をドラゴンに戻したらあいつらビックリするだろうな。
「いや待てよ……ここはいっそのこと……」
覚えたてのこの人化魔法、まだまだ分からないことは沢山ある。
丁度いい機会だから実験させて貰おう。
例えば人の姿かドラゴンの姿か二つに一つではなく、その中間の姿を取らせる事はできないだろうか。
そう思いついた俺は試しに少女に向けて弱めに人化解除をかけてみた。
するとどうだろう、少女の頭部からはにょきにょきと二本の角が、背中からは翼が生えてきたではないか。
俺の想像通り人化魔法はどこまで人に近付けるかの調整も自在にできるようだ。
今は大体人化七十五パーセントといったところだろうか。
「離して!」
「うわ、こいつ急に力が強くなりやがった」
少女は僅かに戻った腕力であっという間に盗賊たちの拘束を振り解く。
「このアマやりやがったな、目に物見せてやる!」
「やってみなさい!」
そして少女の反撃が始まった。
俺は遠巻きにその様子を眺める。
盗賊たちは少女の姿に舐めてかかっていたが既に少女の方が何倍も力が上だ。
「ぐう……まさかこのゴンザレス様がこんな小娘にやられるとは……」
盗賊たちが実力の差を思い知った時には後の祭り。
少女はあっという間に盗賊たちを叩き伏せてしまった。